*
天才とはどんな人間を指すか。
例えば、世界を魅了するアイドルとか。
例えば、素振りも見せずに満点の首席とか。
例えば、
そして例えば、――。
「
『ひゃーはははは! 凡百では手も足も出ないよねー? ねね、悔しい? 悔しい?』
「勝つ気ないし悔しくないです!! オイさっさと開けないと扉ぶち破るぞ!!」
例えば、バカとか。
化学室前に設置された100インチのモニターから、ギザ歯を覗かせて高らかに笑う女子生徒。
高等部一年首席、通称天才問題児、
紙一重なんて遠慮は、この子には不要だ。
「あっ! ほら副会長が来ましたよ小薬ィ!」
集った野次馬が勝手に割れて、モニターを睨んでた彼女がすごい形相で振り返る。
「桜条先輩、はやくあの子やっちゃってください!!! あと会長も!」
一年生の風紀を取り締まるはずの彼女に内心嘆息しながらも、柔らかく微笑んで見せた。
「小薬さんに翻弄されているのは理解しますが、少々言葉が乱れていますよ」
「あっ、――んン゛ッ! す、すみません、わたしったら」
頬を赤らめた彼女は制服を整え、すっとモニター前を譲ってくれる。
「それで――小薬さん、これはどういう騒動かしら?」
『えーリリリ様にきかないでよぉ。化学室の利用について来週お話がありますって言われたから、ちょーっとおもてなししてるだけですよ?』
「……おもてなし、ね」
化学室の扉はもくもくと白い煙を漏らし、廊下に面する窓も真っ白。どうしてこれで火災報知機が発動しないかわからないけど、まぁそこは考慮してるのだろう。扉の取っ手部分には見たこともない謎の機械があって、何やら問題文が表示されたパネルと、テンキーが設置されていた。
『二年次席の桜条先輩ちゃんなら解けるかなー? ね、どうかな?』
「モニターもこの機器類も、設置許可を出した覚えはないけれど」
『理事長に直でもらってるよ! 秋流ちゃんもオッケーって!』
『あ、桜条先輩。リリが一生のお願いだというので忍びなく、許可を出してしまいました』
「……そう」
ひょこり、と問題児の横から顔を覗かせたのはやはりと言うべきか、生徒会室に来る方の後輩、
どうにか息を吐き出して、心を凪にしようと努める。いや本当に、この子たちをきちんと受け流せる胆力は天才のそれだと思う。
「……解けばいいのよね?」
『ええー、解けるかなー、桜条先輩ちゃんに? リリリ様がヒント出してあげよっか?』
「あら、見くびってもらっては困るわ。私だって――」
『あっ、会長サマだぁー!』
余裕をたっぷり含ませた返しをぶった切って、きゃぴきゃぴと
『会長サマには簡単すぎるから、手助けしちゃダメですよぅ』
あー、本当に、野次馬がいて良かった。扉ぶち破ってあげたいけれど、私は天才だから受け流せるのよね。
「……お、桜条さん、どうします? 私がやりましょうか?」
「いッ……い、から」
危ない。なんてタイミングで囁いてくるのか。反射的に叫びそうになったのをぐっと抑えて、ひそひそ返す。
「別に! これくらい余裕だし、あなたはそこで指くわえて見てなさい」
「……協力してもいいと思いますけど……」
解けばいいのよこんなもの! まだ問題見てないけど!
もう答え分かってます顔がなんだかムカつく。ムカついて、ふと、思い至る。
「素山さん。……これ」
「え?」
「受け取りなさい。今日の指令よ」
「し、指令って……ちょっと、皆見てるんだけど」
「いいから」
「い、……や、……」
さっと顔を青ざめさせた彼女に紙を開かせると、数秒の逡巡の後、深い溜息が返ってくる。
「できないですって」
「ここでじゃないわ。……場所はどこでもいいから、目立たない場所でしてきなさい」
「あの、……わかりましたけど、一応私、今日早く帰るつもりで」
「わかってる、配信でしょう」
「…………」
金曜がライブで、土曜はお休みらしくSNSの更新だけ。昨日がショニの皆で配信。そして今日は、
「一応その、……色々準備で、十八時には下校したくて」
「絶対間に合わせる」
「……いや、」
「私……なこが、今日の配信に来ないわけないでしょ」
「う、…………あ、あの、間に合わないと思ったら勝手に帰りますよ」
「そんなことにはならないから! とにかく、指令は忘れないでよね!」
そうして。くるりと振り返り、不正だなんだと大騒ぎのモニターを見つめ返す。
『あっやーっと離れた! ちょっとちょっとー、会長サマに答え教えてもらったんでしょ!』
「――皆さん」
声は無視して、一転。皆を見渡して。
私は、桜条撫子。
使えるものは全部使う。
「お騒がせしてごめんなさいね。この子は生徒会が責任を持って躾けますから、なぞなぞ遊びにご協力いただけるかしら」
『……あー、そういう? ま、凡百が束になっても敵わないと思うけどねー。いいよいいよ、皆で解きなよ』
「副会長! わたしの拳ならいつでもお貸しっ、…………あら、会長は……よろしいのですか?」
ざわりと、風紀委員の子を筆頭に。傍観者からこちらへ歩み寄ってくれる皆と入れ違いに、素山さんはするりと輪の外へ。
素山さんからの、この子たちはいいの? と言いたげな視線を目で促して、廊下の先へ急がせる。
「必要ないわ、あんな人」
使えるものは全部使うが、それはプライドが許す限り。
それに、本当に要らないのだ。確かに天才かもしれないけれど。
「さぁ、……皆さん一緒に、清く正しい在り方を、思い出させてあげましょうね」
彼女たちは、数の力を知らない。
『ひゃーはははっ! ヒントほしかったら、どーしてもって言うなら教えてあげるからねー』
『苗字からして清く正しくあるもので、いや、お恥ずかしい』
加減しないから、覚悟なさい。
+
まぁ、そういうわけで。
清正院学園生徒会のメンバーの中で、生徒会長の知名度が最下位なのは誰もが理解できたと思う。
「…………」
私が地味、かつ目立たないように振る舞ってるのもそうだけど。とても生徒会とは思えない後輩二人と、どう見ても生徒会長の桜条さん。あの三人に勝てる誰かがいるのなら、ぜひ会長職に立候補してほしい。いや本当に、選挙制の方が良いと思いますよ、私は。
でも本当に。私が手伝うのはダメで、何であの子たちがいいのかは謎だ。代わりにさせられるこれはまぁ、私しかできないことではあるけど。
慎重に確かめた、廊下には誰の姿も見当たらない。第二校舎は部活動に関わる教室がほとんど存在しないから、放課後の今はがらりとしていた。狙い通り。
ただ。
ぱらりと、もらった紙を見つめ直して溜め息を吐く。
本当に学校で、こんな指令をこなすなら。
それを考えると必要以上に慎重になって、一つ一つの教室を吟味する。ここは階段に近すぎる。窓から覗かれる心配がある。この部屋は隠れる場所がない。
「……ここ、なら」
そうして選び抜いたのは、埃の積もった用具置き場。状態からみて、普段使いの道具でもなく、予備とか廃棄のものばかりが収められてるよう。鍵は、かけられないけどしかたない。
本当に、桜条さん、私にどうなってほしいんだろう。
古ぼけた姿見に顔を映して、前髪を上げる。扉の軋む更衣用らしきロッカーを開けて、逡巡の後、制服の上着をハンガーへ。
シャツのボタンを調整したり、その他、ノーメイクでもそれなりに整えて、遂に。
「……はぁ」
生徒会長、
でも。今の姿は、人々の目に留まるためのもの。
『自撮りを五枚以上撮って、一言添えて送ること』
姿見の向こうのアイドルは、そんな指令にもすこし困るな、くらいの顔しか浮かべはしないのだ。