目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報
007 -恋、諦めない。-

 +



「お待たせ、……しました」

 指定されたカフェは、駅前のオフィスビル、その5階。

 エレベーターから降りるなり、事情も訊かずに案内された上品な個室。夜景の眺めはそこそこいいけど、通り向かいのクリニックの看板が雰囲気をほどよく壊していた。

 その手前に、彼女が。

 静かな瞳で夜景を見つめて、かちゃりと微かな音ばかりで、ティーカップが口元へ。格好は概念コーデから制服へと戻っていて、それさえ上品なドレスのように着こなしているのが流石、桜条さんだと思わせた。

「…………」

 再びかつりと、カップとソーサーの立てる音。

 室内の上品な雰囲気に、一応一階で整えた身嗜みが異様に気になり始める。汗だって、培った体力でライブ後の必死の移動でもそこまで掻かずに済んだけど。だけど。

 状況は圧倒的に不利なのだ。彼女の機嫌を損ねただけで、色々人生が断たれる。秘密を知っているのもそう、だけど。普段生徒会室であんな感じだから、完全にそんな意識なくなってたけど。桜条撫子は、本物のお嬢様だ。うちの三流事務所を潰すことも、圧をかけることも容易いだろうし、どころか私の生活に直接、影響を及ぼすのも多分、造作もない。



「ウィッグ」



「えっ、」

 どきりと、急にかけられた言葉に心臓が飛び跳ねる。

「外して」

「…………」

 外出するから、一応さすがに、モブ変装用に被っていた。逆らう勇気は欠片もない。恐る恐る外せばぼさり、自然に溢れる髪。

 

 カメラアプリのシャッター音と、向けられたスマホ。

「前髪を上げなさい」

「…………あ、……あの」

「いいから」

「…………」

 何かもう、頂上で途切れているジェットコースターに乗せられて、ゆっくり昇っている気分。どうにでもなれと思いながら、とりあえず従う。伶と澪とで、一番印象を隔てるパーツ。

 かしゃ。

 いや、そりゃそうだろうけど。

「撮り忘れてたから助かったわ」

「あの。何を」

「脅迫用の写真よ」

「は、……はぁ!?」

「別に証言だけでも十分だと思うけど、モノがあるとまた違うでしょう?」

 スマホの画面を見せて、にこりと微笑む。そこには引きつった表情で、前髪をぼさりと下ろした素山澪と、前髪を上げた飛鳥井伶。

「ま、……まさかほんとに、脅す気じゃ」

「告発した方がいいかしら?」

「…………」

「ふふ、そう怖がらないで。好きなもの、頼んでいいわよ」

 差し出されたメニュー表。一度彼女に視線を戻せば、静かに目で、受け取れと促される。

「ああ、ただ」

 開いたそれから、はらりと一枚の紙が落ちて。

「注文前に、それを読みなさい」


 終わった。

 何かはわからないけど、たぶん、桜条さんはこれからずっと、このネタで私を脅すつもりだ。

 絶望的な気分で紙を手にして、目を通す。


「――えっと、……」

「何?」

「いや、……えっと。これ、なんですよね?」

「何か文句!?」

「いえ、……いや。わかりました」


 終わり、回避かも。

 思いながら前髪をあらためて、飛鳥井伶用に丁寧に整えた。

 ……どういう感情なんだろう?



 *



 スマホを構えて、今度は動画に。

 事前に設定は確認済みだから、最高画質、最高音質。

 見知らぬモブ、からウィッグを取ってぼさぼさの素山澪に、なって。どうしてこうもすぐに、伶くんに様変わりできるのか。

「……まったく。こういうこと……なこだけの特別なんだからね?」

「……」

「本当は打ち上げなんだけど。なこが来てほしいって言うから、抜けてきたよ」

「っ……」

 耐えた。どうにか。

 今はきっと、言い逃れできないくらいに頬が真っ赤だ。

 なこ。推し活で使うハンドルネームを、彼が認識していないわけない。素山さんなら、いつも変装してたんだとか、スパチャの内容とか掘り返して揶揄ってきそうなものなのに。そんな様子なんて少しも見せず、その瞳は、まっすぐ、見れないくらい。

 下読みの時間なんてないはずなのに、用意した台詞を、自分の言葉みたいにすらすら読んで。

「どうしてだろう。なこの瞳を見てると、……それだけで、幸せなんだ」

 なんでわたくしこんなことしてるのかしら。顔真っ赤選手権があれば今こそエントリーの時だと思う。ついでに頬がどうしようもなく緩みそうで、録音に変な声残したくなくて、死ぬほどこらえて口を結ぶ。

 正直舐めていた。スパチャはこそばゆいくらいなのに、台本となるととんでもない。こんなところ他人が見たら、共感性羞恥で死ぬに違いない。でも推しがボイスを録り下ろしてくれる贅沢を逃すつもりは全然ない。読み上げにつられて恋に落ちなさいと念を込めつつ、画面中央に最推しの顔を収め続ける。

 ていうか。かっこよすぎる。こんなの恋しないわけない。文句ある? ないわよね。ある奴は皆かかってきなさい。とか理性を保つためにそう思考を飛ばしていると、不意に。

「――ねえ。ねえ、なこ」

「……っは、……っ、え?」

「なこ。……撫子じゃ、だめ?」

「なぁッ!?」

 台本にない!! 変な声も載ったし!!

「っん゛、……ん、ごほっ!!」

「平気なら、そう呼びたい」

「けほけほっ、う゛、い、……いですけど……」

「大丈夫。二人きりの時にしか呼ばないから」

「…………」

 冷静に。冷静に! 私が勝ってるんだから。恋に落とすところなんだから!

 顔が熱すぎてどこにあるかわからないけど、主導権を取り戻すべく、いつもの澄ました表情を取繕う。と、くすりと。それはただ幸せそうに、嬉しそうに零れた音で、そんな音のレパートリーもあるなんて。

 無理。敵わない。と悟って、そして。

「今日のこと、二人だけの秘密だから」

「…………」

「撫子」

 最後の台詞に録画を止めかけると。

「……ライブ、来てくれてありがとう」

 そんな指定してないのに。付け足して、一番自然体に笑った顔がそのまま”伶くん”で。

 まあ、だから、ボイスは程々にしようと誓う。

 もっとも。

「……あの、これで、」

「何か文句言ったら、終わるわ」

「もう直球の脅しじゃないですか」

 すぐに前髪を戻したと思えば、すっかりいつもの彼女に戻るから、恋に浸る間もなかったけど。

「ほんとに。普段とギャップありすぎでしょう」

「い、いや、……アイドルなんだから、しかたないでしょ」

「にしても極端でしょ、素の性格が違うってレベルじゃないんだから」

 まぁ性格以上に、世間には注目されるところがあるだろうけど。

 前髪がスイッチなのかもしれない。そう思えるくらい正反対で、出来心で手を伸ばす。と、すごく嫌そうな顔で避けかけて、理性が働いたみたいに動きが止まって。今度は別の形で心がくすぐられる。そのまま伸ばせば、彼女は嫌そうに手を受け入れる。口角が緩んで、ゆっくり持ち上がる。

 全日本悪役令嬢顔選手権があれば、多分今の私は、かなりいい線行けるはずだ。

「素山さん。伶くんとして、これからも活動したい?」

「し、……できないと、困ります」

「そう。なら…………」

 目指すは恋。この時間を耐え抜いて、まだ負けるもんですかと思えていて。伶くんへの恋心だって、覚悟以上にそのままで。

 諦めてやるもんですか。

 いつか、この恋を果たすまで。



「素山澪。あなたはこれから、私の言いなり……ね?」



 +



「……なんですか、この部屋」

「あの子、……やったわね」

 翌週、月曜日。

 生徒会は毎週火曜と金曜だから、放課後の今も誰もいない。

 なのに脅されて呼びつけられて、開いた扉の先には、パーティー会場が如く飾り付けられた生徒会室。

『清正院の覇者 清正院せいしょういん秋流あきる 祝勝会』

 祝の字はしっかり赤丸に塗られ、壁にでかでかと貼り付けられた紙で、犯人を察する。

 いくら理事長の娘と言えど元気過ぎるとは思うけど、脅し脅されの緊張感をぶち壊してくれるのはありがたい。

「どうしますか?」

「い、いや。……やるわよ! 今日あの子呼び出すのは活動日じゃないのに不自然だし、今は無視すれば――」

 ぴんぽんぱんぽーん、全然へこたれないお嬢様の言葉を遮って校内放送。

『えっと、えっと、清正院学園高等部生徒会の皆さんっ、至急、大至急、化学室へ! お集まりください! 繰り返しますっ!!』

「……」

「……」

『――生徒会長、副会長! お願いします、至急、化学室へ!!』

「……どうしますか?」

「……とっちめましょう。あの子たち」

 命拾い、したのかどうか。脅し脅されは取りやめで、にっこり微笑む桜条さんと一緒に、化学室へ歩き出した。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?