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「…………」
物販は当然のように敗北した。
新曲に合わせての会場限定グッズ。座席は抽選漏れてもそれだけゲットしに来る子も多くて、ライブ終了後に買えるかどうか。
というか。
擦れ違ううち四人に一人がひっと息を呑むくらいには、すごい表情をしているらしい。今能面の自覚はある。いや。怒りとかじゃなく、通り越して、負けないが、で止まったこの感情。
え?
何度考えても、負けたくない。
なんであの子のために、私が、初恋を諦めないといけないの?
ここまで来るともう恋でいい。はいはい恋です、一番求めているものです。
さすがにと躊躇していた、上品だけど露骨なハートモチーフの小物もがっつり付け直した。これで仮に、ライブが始まっても感情がごちゃごちゃしたまま戻らなかったら、あの子には責任を取ってもらおう。どういう形かわからないけど、じっくり生徒会室で相談しましょう。
会場に入って、席に移る。最前から三列後ろ、センター寄りのすこし左という神ポジションに、いつもならテンション爆上げなのに。今日はただぼんやり開演を待っている。横の子がそんな態度を少しだけ嫌そうに、怠そうに感じているのが伝わる。ごめんなさいね。かといって。あなた六番推しなの、私零番で失恋中で、とか世間話できるわけもなく。
開演前の暗い会場。
ぼんやり浮かぶ、初めての記憶。
アイドルなんて知らなかった頃。
中等部の最期の学期。私の進路なんて少しも興味がないお父様に嫌気が差して、不良になろうと飛び出した街。
ライブハウスなんて不良の巣窟だって、あの時はそう思っていて。初めての変装は頼りなくて、迎えに見つけられないように、人混みと騒音に紛れられたらそれでいいって、適当に当日券を買ったのだ。
あの時はそれくらいガラガラだった。箱のキャパだってまだ小さくて、一人一人が自己紹介から、グループの売り出しから頑張っていて。
『おーでぃしょにーって、英語でオーディション受ける人って意味なんだよね』
『そうそう。さすが伶、よく知ってるね』
『いや、オレたちは知らないとダメでしょ』
『えー、おれ初耳なんだけど!!』
お客さんからパラパラ上がる笑い声と、いまいちわからない状況を、不機嫌に見つめていたら。
ふと。彼が。私を見たのだ。
『……あらためて、オレは、飛鳥井伶』
まるで、私のために名乗ってくれたみたいに。
『そういうグループ名だからさ、だからオレたち一人一人が、お客さんに審査されるつもりでやっていきます。コイツは認められる、コイツはダメだって遠慮なく思ってくれていいから、推しができたら全力で推して!』
『おいー、今ので名乗り直すのは飛鳥井の点数稼ぎだって』
『そういう発言が減点でーす。伶はお前と違って本心なの』
再び彼の目線は動いていって、私は会場の一人になって。でも。あの時確かに、推しになった。
ううん。
「…………」
しんと、不意に周囲が静まる。
どこかを起点に、静寂が伝う。
いよいよだと。どうしてか。
あんなに最悪の気分だったのに。あんなに真っ白だったのに。
とくりと、胸が高鳴った。
『――言葉以上に伝わる 想いがほら 君の瞳が好きだよ』
「――」
周囲の悲鳴に近い歓声のなか、何度もリピートした新曲のイントロ。ブルーのライトが持ち上がって、そこに、彼がいた。
すぐに輝き始めるステージの中央、眩しい笑顔が観客席に。『君』に、向けられる。
そうして、今、たしかに目が合って。
「――伶くんーーーー……!」
そう。
私は初めて会った時にも。あの時も、彼のパフォーマンスを見て。ステージ上の瞳を見て。
そうして、彼に恋をしたのだ。
+
「飛鳥井お前っ、や、る、じゃんっ!」
「うへっ!」
「え、えほっ……力強いって! いや、ありがとう」
「今日の伶ほんとにすごかった……始まる前あんな顔してたのに」
「伶さんほんと、かっこよかったです……!」
「そーだよれーくん、まじさいこー!!」
「うわっ!! ちょ、ちょっと……重いから」
「新曲以外も完璧だったよね。こっちも助けられたし……何より、皆も触発されて、いつも以上のパフォーマンスだったと思う」
口々に上がる言葉をリーダーがそうまとめると、皆はそれぞれに同意を示して。ライブ後特有の高揚感が、そのままグループへの、仲間への信頼へ繋がっていく。だから心から、首を振って返せる。
「オレがうまくできたの、皆が元気づけてくれたおかげだから。……あらためて、ありがとな」
「いーってことよ!! 焼き肉でいい焼き肉で!」
「ちゃっかり奢られようとすーるーな。せめて一と七緒だろ、奢られるのは」
ほっと。
手応えを感じたライブ後特有の空気感。やっぱり。アイドルを始める前は想像さえもつかなかったけど、緊張したり不得意な活動もそりゃあるけど、でもライブは、この活動は、好きだ。
今日はすごいスタートだったけど、だからこその結果かもしれない。終わったなんて思っていたけど、むしろここから始まるような。そんな気さえする。いつも以上に、パフォーマンスを届けるっていうことを意識できた。
何だかこの控え室の光景を収めておきたくて、スマホを手に取る。
取って、固まる。
「…………」
『ライブ後、このカフェに来なさい』
現実は幾分残酷で。送り主は、桜条さん。
「飛鳥井?」
「れーくん? どう……えっ、なんでライブ前の顔色に!?」
「なな、なんでもない!! うわーっ急用が、ちょっとお先に! ごめん、打ち上げはまた後日で!!」
やっぱり、終わったかもしれない。