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一度駅を出てから、目的地、へ向かう前にレンタルスペースを経由する。
社長の伝手で、一度目の着替えをここで行う。貸し出し用とは別のスペースで、学校の制服は鞄にしまって、中性的で目立たない服へ。アイドルモードとは別の外出用。変装も随分手慣れたもので、やっぱりウィッグは強力だ。この間弟に写真を見せたら、スタッフの人? とか聞かれた。
そのまま従業員用裏口から出してもらって、地下鉄に乗り換えて会場に移動。
本当に、学生やりながらアイドルやるのってあんまり普通じゃない。本来ならリハだって昨日に回さず、午後の授業も全部休んで、皆と合流するべきなんだけど。生徒会長で特待生で、おまけにバイトは禁止ともなると、社長に相談して無理を通してもらうしかない。今日も桜条さんは憤慨してたけど、ほんとに生徒会に出席してるだけでも褒めてほしいくらいだ。いや本当に。
車両の中にも、広告はない。まだそこまで大きくはなれていない。でも流石に会場に近づくにつれて、ファンらしき人、見覚えある、前にイベントに来てくれた人が目につき始める。大体の人はイヤホンをつけて、グッズや服装にも愛が見えて。
そんな空気を肌で感じて、実感する。
ライブだ。
特に今日は、私――飛鳥井伶にとって大事なライブ。
センターの曲が、二曲ある。うち一曲は、この間発表されたばかりの新曲。MCもその分振られるし、色々準備はしてきてるのに、どうしても緊張は拭えなかった。
車両の反対側に立っている子は、服装から察するにリーダー推しの子。その横に伶のカラーがお洒落に遇われた子も立っていて、どちらもさり気なくグループ名が綴られたグッズを一つずつ着けている。
普段使いにも違和感のないように遇われたそのグループ名は、『
人気上昇中のこの時期、ライブの評価は直接数字に繋がるし、正体がバレるなんて以ての外だ。
「…………」
大丈夫。ここまで気を付けてるんだから、バレるはずない。
ふう、と小さく息を吐き出して、意識をアイドルに切り替えていった。
*
『――やはりこの建築物にはレンタルスペース以外ありません、勉強用に借りてるのではと』
「けれど、今借りられてるのはこの部屋です。学生の勉強用には高すぎるように思います」
『何かセミナーに参加しているとか? であれば不安ですが……』
「どれも憶測にしかなりませんね。いずれにせよ……リミットです。動き出さなければ、マスターが間に合いません」
「そうよ! さすがにもう待てないから!!」
車内に流れる軽快でスタイリッシュな音楽のお陰で、緊迫感は3割減。もうライブの時間も近いから、さっきショニの新曲に切り替えたのだ。
「チームA、あなたたちは引き続き、スペースの出入りを監視してください。裏口から出たあの人物がターゲットだったとすれば、今日はもう追跡は不可能です」
『了解、……監視を続けます』
返事を待たずに車は走り出していて、目指す先は区を跨いだ先のライブハウス。
今日は、本当に、遅れたりできない。
移動中にも服装と、グッズとコーレスの最終確認。尾行用からリムジンに乗り換えて、車内で制服から概念コーデへお着替えを。
今日は、最推しセンターの新曲があるのだ。
「――お嬢様、到着――」
「ありがとう!!」
待つのももどかしく扉を開いて、お上品さをぎりぎり保つ疾走を。
いや。当然入場には十二分に間に合わせてる、合わせているけど物販がある。
「オディショニでこの箱えぐい」
「キャパ倍はいいけど人気ガチで伸びてるからねー」
世間話に興じる同好の士を通り過ぎ、かけてそれとなく周囲に目を配る。
いや。噂には聞いてたけど本当に施設の構造がわかりづらい。
物販、どこ!
会場内、そう判断して急ぎ足。廊下の向こうに足音を感じて、そっちに足を進めてみる。
けれど。目に映るのは無人の廊下で、一応端の方まで歩いて、慌てて引き返そうとして。
がちゃりとそこの扉が開いて、出てきた人物とぶつかって。
「きゃ!」
「っごめん、――って」
――そうして。
私の初恋は、終わった。
「う、わ」
「な、………………――は?」
一瞬、脳がバグりかける。
地面に落ちてるウィッグと鞄。ぐるりとまとめられた髪でも、推しなら当然見分けが付く。
付くはずなのに。なんで、どうして。
輪郭が別人と重なる。転がった鞄から零れる制服。一瞬見えた、知ってる表情。
「な、な、な、……な……」
至近距離の整った顔。とくんと打つ胸、焦って汗だくの顔見られてるかもとか、いつも握手会とかは変装した上でマスクするのにとか、今日大事なライブなのに動揺させてごめんとか、こんな大事な用なら追いかけないのにとか、いや言えるわけないかとか、一年以上こんなの続けてるのとか、てか、男装? 女装? いやバイト?
とか。
そんな色々が思考を染めて。
「……だ、大丈夫? 怪我とか」
「――い、いいから! ライブでしょう、大事な! センターの!! 新曲!!」
顔面蒼白のまま、真っ先に出るのが心配の言葉なのが、やっぱり私の推しだって。
思ったからか、意識する間もなく出る言葉順に追い立てて。そのまま、急ぐ背中を見送って。
「――――え?」
真っ白な思考で、最後に残ったのは一つ。
私の初恋が、素山澪に終わらせられるのか、と。
いや、負けないが?