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84 見つめる未来

「なんだか、外がざわついていないか? 」


 迷い込んだ幽体を丸めて壁に投げるという運動で暇を潰し、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。暗闇に差し込む薄い光だけでは、何も分からない。だが、いつもと違う何かが起こっているのは分かる。


「おい」


 人差し指で呼ぶと、すでに原型をとどめていない浮遊霊が一体飛んできた。最近寺に入ってきたそれを見つけたのは、少し前のこと。『子供らしく遊ぶ』という約束をした上で、近所の子どもたちとの交流という輪に加わることで、外に出してもらえる。その時に、寺に迷い込んできたのを捕まえたのだ。いつもなら幽体なんて散々形を変えてもてあそんだあと、消滅させてしまう。だが、それを捕まえた時は、どこか懐かしい匂いがした。形なんてないのに、ふわりと頬を撫でる柔らかさまで感じて、消すのはもったいない気がしたのだ。その直感は当たっていた。


「何が起こっているのか、見てこい。それでヤバかったら、ここの結界を破れるか」


 それは、忠実にいうことを聞いたのだ。それだけでなく、夜になると懐に乗ってきたり、足元に転がっていたりする。感情が動くことはほとんどなかったけれど、つい触ろうとしてしまう時さえあった。


 ふわふわと上階へ消えていくそれを目で追いながら、日を数える。


「今日は、満月か」


 月が満ちる時、霊たちの動きも活発になる。人間の心もざわつくのだろうか。何かが起こっているのだとしたら、ここから出られるかもしれないと期待がよぎる。





「晴人、起きるんだ」


 最後の記憶は、歩道橋の上だ。親しいと思っていた俊太の、苦しそうな顔が目の前にあった。思わず飛び起きて、首元を触る。あの時、首に小さな痛みが走った。何かをされたのは間違いない。


「落ち着け。大丈夫だ。お前をここに入れるために、少し眠らせただけだ」


 薄暗がりの中、自分が太い木枠で覆われた牢屋のような場所に寝かされていたのだと気づく。目の前にいる男は、ママと一緒に時々遊びに来た寺の住職。パパの親戚だと聞いていたはずだが、なぜこんなことをするのだ。


「お前……一体なにを考えている。こんなことをして、覚悟しておけよ」


 大人を前にして、こんなにも滑らかに言葉を話したのは初めてのことだった。閉じ込められてしまっては、あの家に来た男の忠告なんて無意味だ。晴人の言葉を聞いて、優作は目を見開いた。


「……驚いたな。晴人、お前はまだ五歳にも満たないのに……。こんな力を持って生まれてしまったことは、不幸でしかない。お前に力があることは、知っている。だが、それをコントロールすることを、大人になるまでに学ばなければいけない」


 コントロールはずっとしてきている。何かを破壊するときは、意思がある。幽霊たちは、何も言わなくても服従する。怖いものなんてない。そう、お前でさえも。晴人が片手を前に突き出し、木枠を破壊しようとした時だった。いつもなら、霊をかき集めて団子にして、すべてをぶつけて破壊させる。だが、何も起こらない。首を傾げて、再び手を動かすが物音ひとつしない。


「幽体がいないのか」


 そう呟いた晴人に、優作が諭すように告げる。


「お前の力は、ここでは封じられている。ここは養福寺の結界の中にある。自分の力がすべてだと思うには、早すぎる。良い子にしていれば、月に二度、外に出て人と交わることができる。力を使おうとすれば、俺には分かる。そうすれば、お前は何年も誰かに会うことはないだろう。そして、獣に慣れ果てて朽ちるしかない」


 力が使えないのは明らかだった。晴人は、優作を睨み上げて、唇を噛んだ。悔しいけれど、優作に今は勝てる気がしなかった。


 それからは、運ばれてくるご飯を食べ、決められた場所で用を足した。おとなしくしていれば、本当に優作は外に出して、子供たちと遊ばせてくれた。同年代と遊ぶのは、前から変わらずばかばかしいと思えた。でも、地下から出た時、隠れて少しだけなら力を使っても優作は咎めなかった。それがたとえ、霊体をもてあそぶことであっても、ある意味ストレス解消だと受け取ってくれたようだ。


 寺の子供でさえ、晴人が普段は自分と同じ場所の地下に隠されている存在だと知らないようだった。近所の子供と同様に、『アキくん』と自分のことを呼んだ。優作が考えたあだ名のようだったが、ハルとアキではなんと安易なセンスだろう。だが、そのあだ名も今日までと言える予感がした。

鼻をつく臭いが漂ってくると同時に、偵察に行かせた霊体がふわりと戻ってきた。意思疎通をしたことはなかったが、どうやら慌てているようだ。


「何が起きている」


 晴人の言葉に、幽体が音を出す。それは楽器のようでいて、かすれたラジオのようでもある。だが、繰り返すうちにそれは言葉をゆっくりと吐き出した。


「燃えて……いる。あ、ぶな……」


 やはり、と思う。少し前から燃えている気がした。誰も助けにこないということは、忘れられているのか、それとも意図的なのだろうか。まさか、自分を殺すために火事を起こしたとは考えにくいが、自力で逃げなければいけないのは間違いないだろう。


「な……かま」 


 ふわふわと漂いながら、それは晴人の方へ寄ってくる。そして、その言葉を待っていたかのように、上階からいくつもの霊体が飛んでくる。まるで、それを使えとでも言っているようだ。最近は、力を使っていないので、手をあげても感覚が分からない気がした。加えて、ここは結界だ。力は使えないはず、と思った晴人だったが、手をあげてみて確信した。いつもより、右手が軽い。結界が消えているのを体で感じた。自由になった解放感で、体中に力がみなぎってくる。意識を集中して、その力を体の中心に集めた。


 晴人の眼に、光が宿る。両手を上げると見えないボールを掴むように、円を描いた。すると、漂っていた幽体たちが一つにまとまる。左右を回転するように動かすと、それは本当の巨大なボールのような塊になった。勢いをつけて、木枠にぶつける。まるで爆発でも起こったような音とともに、木枠が砕け散った。大きく息をつく。


「おいで」


 無意識に、それを霊体の塊に混ぜることはしなかった。晴人の肩に一度乗ると、それは導くように階段を上がっていく。追いかけると、納戸に出た。顔を出すと、廊下はすでに火が燃え広がっている。一瞬戸惑うと、それが晴人の肩を叩く。廊下を進むと、いつも遊んでいる和室が見えた。そして、そこに誰かが転がっている。


「俊太」


 すでに、死んでいるようだ。自分をここに閉じ込めるために加担した奴に、同情するつもりはない。晴人は、俊太の顔を足で踏み、その無常さに笑みを浮かべた。自分を傷つけた人間が不幸になるのは、なんと気持ちがいいことだろう。


「晴人」


 名前を呼ばれて振り返ると、そこには見知らぬ男が立っている。


「誰だ、お前」


「二度と会うことはないだろう。私は、これをもってここを離れる必要がある。でも、一度でいいから会っておきたかった。お前は、私の大切な孫だ」


 孫という言葉は知っていた。だが、その相手を前にした時、どうすべきか知らない。さらに、自分の存在を知っていたくせに助けなかったのかと思うと、憎しみの相手だと判断できる。右手をかざして、近くの力を集める。だが、すぐにそれを放つ前に消失する。


「指輪を持っていると、霊が生命力に触発されて襲い掛かってくる危険がある。だが、持っている人間によってその力は変わる。力のある、お前の父親が持っていると、それは身に着けていない限りはプラスの力も、マイナスの力も発しない。力のないものだと襲われるだけの危険なものでしかない。そして、私のようなものだと、皆が守ってくれる証となる」


「お前のようなもの?」


 男は、指にはめられている真鍮の指輪を見せる。気が付けば、寺の中はどんどん火が燃え広がっているようなのに、なぜか自分たちの周りだけ避けているように見える。この男、何者だ。


「おじいちゃんは、今は指輪の守りびとになっている。お前のママの命を取り戻したことで、指輪に憑りつかれたのだ。これからずっと、指輪のために時間を使う。といっても、時間は守りびとにとって、ないようなものだ」


「どういう意味だ」


「お前は、異端だった。指輪の力を二回も受けてしまっている。一回目は、ママが指輪で生き返った人間であること。二回目は、ママがお前自身の生命を変えようとしたことだ」


「それが、僕になんの関係がある」


 男は、分からないことが愛おしいとでもいうように優しく微笑んだ。


「お前の力が多大なものであることは、感じるよ。誇らしくも思う。だが、お前は人間でしかない。一年、一年と年を取る。だが、守りびとはそうではない。お前がおじいちゃんになった時に会っても、私は同じ姿であるだろう」


 晴人にとって、男が何者であっても関係なかった。男の命がどれだけ長かろうと、二度と会うことはないだろう。


「晴人、また会える時を楽しみにしているよ」


 そういうと、男は指を一振りした。そうすることで、火の渦だった廊下に一本の道が生まれる。助けてくれるというのか。男は小さく頷くと、そのまま消えるように姿が見えなくなった。どうやら、逃げられるらしい。晴人は廊下を進もうとして、霊体を探して肩の辺りを探る。だが、先ほどまで肩に乗っていたそれが見当たらない。火で姿を消すことはないだろうが、一緒にいると心強い。晴人が辺りを見回した瞬間だった。左胸に激しい痛みが襲った。白い幽体が、道を先に進んでいく。先ほどまで側にいた奴が、自分の身体を貫いたのだと分かる。そして、体から何かを持ち去ったのだということも。


「待て……。返せ、それ」


 晴人は、男が開いた一本の道をゆっくりと進みながら、白い浮遊物を追いかけるように一歩ずつ踏み出す。体から力が抜けるような感覚と、胸のしびれるような痛みが断続的に続く。


「いたい……。パパ……、ママ」


 暗い地下に閉じ込められても、その名を呼んで泣くことなど一度もなかった。だが、今、無意識に口をついて出たのは、かつてずっとそばにいてくれた存在のことだった。道がもう少しで消えるという頃、晴人の意識も限界を迎えた。急に、口の中が煙で苦しくなる。何度かせき込み、床に倒れる。白い魂には追いつけなかった。あいつは一体なんだったのかと悔しくなる。だが、その思いも虚しく、晴人は目を閉じるのだった。


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