終わらせる手段は、一つしかない。俊太は寺の門に掲げられた『養福寺』の文字を見上げる。ここを巻き込んでしまったのは、自分の責任だ。だが、そもそも優作たちのトレジャーハンター仲間があんな指輪を手に入れなければ、こんなことにはなっていない。そう思うと、これはすべて因果のようにも思えた。
理沙は怯えながらも、どうにかして晴人がこの世で生きていく方法を模索していた。だが、彼女を冷静に止めることができていれば、別の手があったのではないだろうか。服の裏に秘めたものに手を当てながら、そう考えずにはいられない。
「正面から行ったら、弾き飛ばされるかな」
俊太が門をくぐるか迷っていると、寺の境内から鋭い悲鳴が聞こえた。門の影に身を隠し、中の様子を窺う。だが、それ以降、声は聞こえてこない。聞き間違い、もしくは何かが起こったわけではないようだ。裏門に回ろうか考えているところで、門か外へ走りだしてきた男がいた。
「善さん!」
男はすぐに走り去ろうとしていたが、俊太の声に気づいて
足を止めた。驚いたようだが、近づいてくる。そして、寺の方を一瞥して、俊太の肩を押し下げて、身を隠すように指示をする。
「な、なんですか。何かあったんですか」
「健作といい、お前と言い、どうして今日動くんだ。悪いことは言わない。寺には入るな」
「入るなって……さっき、悲鳴が聞こえたんですけど。中で何が起きているんですか」
すぐにでもここを去りたい気配を出しながら、善は早口で告げる。
「あいつだよ。近藤の娘が奇襲をかけてきやがった。でかい刀を振り回して、寺のものを片っ端から壊している。みんなが逃げ回っていやがる」
「なんだっ……て。そんなの助けないと。警察にすぐに連絡を」
スマホを出そうとした手を、善が止める。
「悪いが、俺は関わりたくないんだ。俺だって、妻は死んでいるけど、子供も孫もいる。警察に呼ばれる度に、白い眼を向けられるのはこりごりだ。本当に、俺は何も知らないんだ。これからも、骨董だけを支えに細々と生きていくだけ」
「何を今さら勝手な……! 善さんに言われて、俺も理沙もどれだけ努力したと思っているんですか。何も変わらなかった! 状況は悪くなる一方だ。だから」
「だから、あいつを殺すのか」
善は、俊太をまっすぐに見つめた。それに頷くことはなかったが、善は首を大きく横に振る。
「やめておけ。身を亡ぼすだけだぞ。お前には、できないことが見えていない。いいか、今日はここに近づくんじゃない」
善の言葉を振り切る様に、俊太は寺の門をくぐった。境内を駆け上がり、講堂の正面の窓を開いた。建物の中には、女性の悲鳴が響いていた。市民を助けるために、常に訓練をしてきた体は正直だ。反射的に、悲鳴がした方へ走る。数段を下りると、赤い絨毯の敷かれた厳かな廊下に出る。心地よい香のかおりが鼻の奥に広がる。
廊下脇にある手洗い場のドアが開きっぱなしだ。その次のドアに手をかける。寺の中で起きていることを無視して、今すぐこのドアを開けば、地下へつながる階段が見える。そこを下りれば、目的に近づく。
「誰かー!」
だが、俊太は耳に届く声を無視することはできなかった。取っ手にかけた手を放し、舌打ちをして悲鳴の聞こえた方へ走る。すると、和室から女性が飛び出してくる。よく見ると、それは優作の妻の姿だ。右肘から血を流している。
「大丈夫ですか!」
「俊太君! 大変なの、女の子が刀をもって」
「聞いています。早く安全な場所へ。他の人は」
「もう、みんな逃げているみたい。夫のことを、息子が探しにいっているみたいで」
「分かりました。僕が押さえますので、早く逃げて」
「ありがとう、でも俊太君も気を付けて」
彼女を寺から逃げるように促すと、俊太は和室の中を覗いた。言う通り、女が中で刀を振り回している。それは善のいうとおり瞳のようだ。だが、俊太の記憶にある鳥島で初めて会った姿とも、理沙を必死に追いかけていた姿と別人のように異なるものだった。ストレスだろうか。体重は倍ほどに増えただろうし、髪の毛は老人のように真っ白だ。振り乱し刀を回る姿は、狂った鬼のように見える。
和室に足を踏み入れると、瞳が振り返る。俊太に気づくと、目を見開いて叫んだ。
「お前! おまえー!」
圧倒的な迫力があったものの、俊太は部屋の中を瞬時に見回した。新藤のような霊力はないが、明らかに何かに憑りつかれているようにも見える。だが、そんなものを考えて説得している暇はない。咄嗟に部屋の隅に置かれている花瓶を手に取ると、瞳に向かって投げつける。刀で花瓶を弾き飛ばした瞳だったが、割れたかけらが目に入ったのか、うめき声を出した。さらに片目を瞑り、痛がっている。それを、俊太は逃さなかった。
「やめろー!」
瞳の両手を抑え、刀を取ろうと掴む。目の痛みと戦いながらも、必死に抵抗する瞳。もみ合いをするには、刀が長すぎた。瞳が刀を下ろした時、俊太の腹部に痛みが走る。瞳がにやりと笑って、俊太から離れた。右手を当てると、べっとりと血がついている。それが自分のものであることは明らかだった。咄嗟に込み上げる吐き気と、燃えるような腹部の熱さに耐えられず、右ひざを床に付けてしゃがんだ。
「こんなことのために……来たのではないのに」
喘ぐように絞り出した声に、瞳が高笑いをした。まるで、自分が勝ったとでもいうように。ざまぁみろ、そう笑われているようで怒りのスイッチが入った。この女が、理沙につきまとわなければ。この女が、指輪をもっとちゃんと管理していれば。この女が……
馬鹿にしたように笑って去っていく瞳の後姿を見ながら。俊太はなんとか態勢を保つ。そして、服の中に隠したそれを手に取る。チャンスは一度キリ。
「……お前のために持ってきたわけじゃ……でも」
瞳をこのまま寺の中をうろうろさせるわけにはいかない。ましてや、寺の外に逃がしたら刑事として廃る。俊太が追いかけてこないと分かっていて、瞳は和室を出ていこうとする。その一点に狙いを定めて、俊太は引き金を引いた。
パーン。耳を劈くような音が響き、瞳の動きが止まる。狙いどおり、弾は瞳の左胸を貫通したようだ。一気に畳に崩れ落ちた瞳が、俊太の方に顔を向けた。
「おま……まさか」
そのまま、手を伸ばして目を瞑る。荒い息を漏らしながら、俊太も和室を出ようと這っていく。だが、出血しすぎたせいだろうか。視界までぼんやりとして諦めかける。畳にごろりと全身を投げ出すと、体の力が抜けていく。あぁ、死ぬんだとぼんやりと頭の片隅で考える。数秒経った頃だろうか。ふと、人の気配を感じて目を開けると、思わぬ人物が俊太を見下ろしていた。
「あなたは……」
「ずっと見ていたよ。君は、誰よりも理沙の力になってくれていた。一度でもきちんとお礼が言いたかったんだ。本当に、ありがとう」
それは、かつて刑事の時に追いかけていた、理沙の父親、藤本の姿だった。理沙に見せてもらった家族のアルバムの姿であり、刑事の時に捜査資料で見た顔はすぐに分かる。
「そんな……いいんです。でも、だれかを呼んで……助けて」
俊太が助けを求めるように手を伸ばしたが、藤本は俊太から足を一歩退けた。俊太が薄目で藤本を見上げ、首を傾げる。今すぐ、優作やその妻を呼んできてくれれば、助かるかもしれない。なぜ、そんなにぼんやりと立っているのだ。
「君がもしこれを持っていて、助けて欲しいと言えたら良かった。でも、残念ながら、君が持っているわけではない」
何を言っているのか全く分からなかった。だが、藤本の手元を見て、眉をひそめた。そこに、真鍮の指輪が光っている。
「……まさか、それ……」
俊太の視界がぼんやりと薄れていく。藤本はそれに答えることなく、俊太の視界から消えていく。そしてもう一つ、背後で畳のすれる音がした。次に感じたのは、鼻をかすめるきな臭さだった。視界の隅で、瞳が手をかろうじて動かしながら、ライターで火をつけている。数秒で畳に火が付く。
「……新藤、ごめ……何もできな」
俊太の意識は、そこで途切れた。和室に転がるのは、動かなくなった瞳と俊太。そして、その身体もすぐに燃え広がる炎で覆われていくのだった。