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82 見つめる未来

 俊太のマンションに来たことは、ほとんどない。理沙と晴人を失った後、二人で飲みに行った夜、俊太だけが飲みつぶれてしまったことがある。それまで泣き崩れるのは新藤の方だったが、その日はやけに俊太が悔しがり、そして謝っていたことを思い出す。刑事として、晴人の遺体を見つけられずに悔しがってくれていると、ずっと思っていた。だが、どうやらそうではないと、今ならわかる。


「俊太、お前は一体、まだ何を俺に隠しているんだ」


 俊太がメモした簡単な経緯は、事務所の本棚から見つけている。だが、それが本当だという証拠も、なぜそうなったのかも全く分からない状態だ。一人蚊帳の外で、理沙と俊太が晴人を救おうとしていた、ということがメモから窺えた。ハッキリしているのは、理沙が指輪の力で生き返った人間だということだけだ。


 俊太を送った、あの夜の記憶を頼りにマンションに到着した。管理人は平日しか常駐していないようだが、願いを込めてインターフォンを押した。数秒待っても反応はない。やはり、家に帰っているという期待は外れである。別の心当たりを探そうと廊下を戻りかけた時、背後でドアが開いた。振り返ると、隙間から顔を覗かせているのは、新藤も知っている。


「さゆり! 新藤、帰っていないか? あいつ、勤務先にも行っていないって。おかしいんだ、電話にもでなくて」


 新藤が矢継ぎ早に問いかけると、ぼんやりとしていたさゆりの目に力が入った。


「新藤君のせいでしょう! 俊太、ずっと苦しんでいたんだから。どうして、友達のくせに気づかなかったの! あの女のことだって、心配するのは俊太君の仕事じゃない!」


 パジャマ姿のさゆりは化粧もせず、髪も乱れている。頬がこけて、心身に影響が出ていることは明らかだった。だが、新藤には意味が分からない。


「あの女って……理沙のことだよな? 確かに、俺たちは晴人と俊太と遊びに出かけて行ったことはあるけど……。え、理沙が何か相談していたってこと? まさか」


 さゆりは新藤の胸を両手の拳で強く叩いた後、諦めたように家に入る。とても招かれているとは思えなかったが、新藤はドアを開き、玄関に足を踏み入れた。すでに、さゆりの姿はない。だが、入っていいと言われている気がした。靴を脱ぎ、そっと廊下に上がる。すぐ手前の部屋が俊太のベッドがあると知っている。部屋は、この寝室とリビングしかない。


 さゆりとの部屋でもあるので気になったが、迷った末に扉を開ける。特に荒れている様子はない。だが、クローゼットの扉に手をかけた新藤は、ふと違和感を持った。物で溢れているような重さを感じたのだ。そっと引くと、中から物が転がり落ちるように床に流れて来た。


「……なんだ、これ」


 とても俊太の趣味だとは思えなかった。マグカップのような陶器、和製の人形、こけしや巾着。小さなキャンバスや絵巻のようなものまである。


「それ、理沙が亡くなる前に、急に俊太が集め始めていたのよ。集める度に、俊太の顔色が悪くなるの。私何度も捨ててって言ったのに、何も聞いてくれなかった。これが、未来を救うんだとか、訳の分からないことばかり。誰かに騙されているって言った私を、俊太は遠ざけるようになって……」


「……未来? なんの話だよ」


 床に転がるものからは、新藤にも分かる負のオーラがあった。人の命を脅かすまではいかなくても、持っているだけで周囲の人間に禍をもたらすような強いものもある。これを俊太は、集めていたというのか。


「誰かの入れ知恵……」


 そう呟いた新藤に、一人の顔が思い浮かぶ。さゆりは怒りを隠さずにため息をつくと、その場から離れた。スマホを取り出した新藤は、善の名前を検索し、電話をかける。何度も諦めずに数コール鳴らしていると、それは急につながった。


「なんだ」


 唐突で、そして挨拶もない。


「善さん。俺のダチの俊太、知っているよな。刑事の俊太だよ。もしかして、最近のあいつのことは、俺よりも善さんのほうがよく知っているんじゃないか」


「久しぶりに電話をしてきたかと思ったら、相変わらず遠回しな奴だな。悪いな、今は忙しいんだ。切るぞ」


「俊太に呪物の入れ知恵していたの、善さんだろう。他に、心当たりがない。こんな邪悪なものをコイツに持たせて、どうするつもりだったんだ。嫌がらせか?」


 勢いに任せて言い放ったが、善がその煽りに答えることはない。電話の向こうが数秒静かになった後、ごーん、ごーんと鐘の音が聞こえる。


「お前は、何も分かっていない。俊太がお前の家族のために、どれだけ犠牲になったと思う」


「そんな……俺は、そんなことを頼んでいないっ!」


 子供のような反論だと分かっている。だが、責められて黙っているのも許せなかった。


「善、裏に回れ。あいつが来ている。このままだと、やばいぞ。あいつも感じているはずだ。結界が……」


 突如聞こえた声が、止まる。善が電話をしていると気づかずに、話しかけてきた者が近くにいる。そして、それは新藤もよく知っている。……優作の声だ。そして、そのまま善が何かを告げることなく電話は切られた。


「叔父さん。養福寺で、何かが起きているのか? もしかして、俊太もそこに」


 新藤は、部屋を飛び出して廊下に出る。リビングから様子をうかがっていた、さゆりに気づいて声をかける。


「さゆり! ごめん、物が床に出ちゃったけど。俺、行かないと」


 つい数分前まで声を荒げていたさゆりだったが、新藤の様子に弱々しく頷いた。そして、追い払うように手を振って言う。


「ごめん、八つ当たり。きっと、俊太君が望んでしたことだったと思う。もう行って」


 さゆりとは、大学時代からの付き合いだった。深い話を二人でしたことは、ほとんどない。だが、俊太からの会話で、愛情深い女性だというのは知っている。返す言葉もなく、新藤は深く頭だけ下げると、俊太の家を後にした。






 探偵事務所に戻ると、新藤は何か起こった時のために役立ちそうな聖水や道具、家族写真などをリュックに詰め込んだ。部屋の隅で寝ていたベルが起きて、新藤の背中に両手で体重を乗せてくる。


「ベル。悪い、散歩は大吉さんに連れて行ってもらってくれ。俺は、行かないと」


「どこに?」


 振り返ると、事務所の入り口に凜が立っている。


「どこに行くの? 俊太さんのところ?」


 リュックを背負い、ベルの頭を撫でる。もしかしたら、もう戻れないかもしれない。何があるか分からない時、愛情を伝えておかなければいけないと学んでいる。ベルの背中を撫で、抱きしめた。


「私も行く」


 凜の言葉に、新藤は反射的に強く出る。


「ダメだ!」


 そして、即座に凜の顔に不満が出る。ベルの脇にしゃがむと、新藤の足から引き離すように自分で抱きしめている。


「俊太さんの危機は、新藤さんの危機。新藤さんの危機は事務所の危機でしょ。ベル、私たちも事務所の一員だよね」


 確かに、霊のいる場所に動物を連れていくことは、空気を正常化するために悪くない。だが、凜はあまりにも危険だ。とはいえ、彼女も少なからず霊体が見えるし、過去まで通じる時がある。自分が持っていない能力というのは、側にあるとありがたいことに違いない。


「危険だったら、何も考えずにベルと逃げられるか? ベル、凜のことを最後まで守れるか?」


「うん!」


 わん、とベルの返事も凜の声と重なった。ここで、わだかまりを残すことも、時間を使うことも避けたい新藤は、机の上にあるヘルメットを凜に投げる。


「え! 原チャで行くの!」


 迷ったのは一瞬だったようだ。ベルの首にリードを付けると、今度は先導するように凜は事務所を飛び出して行く。どこか心強さを覚えながら、新藤もその後を追うのだった。


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