事件の捜査で連日帰れない日が続き、やっと一週間ぶりにベッドに倒れ込んだ俊太は、ポケットで震えるスマホを取り出して飛び起きた。理沙の名前が表示されている。休日の遊びの誘いは、ほとんど新藤からかかってくる。つまり、理沙からの連絡は緊急時ということだ。慌てて通話ボタンを押すと、向こうで荒い息遣いがした。
「理沙?!」
何か、あったのだろうか。思わず叫んでしまう。もしかして、家で晴人と何かあったのではないかという心配が脳裏を占める。だが、事態は想像よりも深刻だった。
「俊太君? ごめん、今少し話せる?」
どこか外に出たからだろうか。理沙の声は、寒さで震えているようだった。風の音が混じる。
「う、うん。どこにいるの? 何かあった?」
「あ、ううん……。晴人は大丈夫。でも……」
「なに!」
「うちはもう、安全じゃないかもしれないと思って」
理沙がいうには、夕飯を食べてから晴人を風呂に入れた後、新藤が帰ってきたという。それなのに、玄関のチャイムが鳴って不思議に思いながら確認すると、インターホンに見えた顔に驚いたそうだ。
「……あの女だったの」
「あの女? まさか、鳥島の」
「そう、近藤先生の娘。ひとみだったの。どうして家が分かったのか」
「マジか。……もう無理だよ。新藤に話して、家族できちんと対策を立てないと、このままじゃ本当に危険な目に」
「それは無理だよ!」
俊太は、理沙の頑なな態度に内心舌打ちしそうになった。確かに、幼少時から心臓が悪く、一度死んでしまったが生き返った存在なのかもしれない。だが、自分が望み、そして誰かを傷つけてまで指輪の力を使ったわけではない。自分が知らないところで、父親が独占的にやっていたことだ。それなら、理沙も被害者といえなくもない。
それなのに、理沙は配偶者である新藤に、それを知られることを恐れていた。ゾンビの自分を、気味悪いと思われたくないという。新藤が事実を知っても、決してそんなことをいう人間ではないと思う。だが、理沙の間にも秘密がある以上、強く言えない自分がいた。
「……ひとみの要求は、指輪とその力だろう? 新藤に話せないなら、指輪を渡すのも手じゃないかな」
指輪が誰に渡ろうと、もういいではないか。彼女にも叶えたい何かがあるのだろう。だが、理沙はそんな俊太の問いかけに返事をすることはない。まるで、誰にも渡したくないと駄々をこねているようにも思える。ため息を吐きたいのを堪え、俊太は切り出す。
「あとこの間話していた、養福寺。ほら、新藤の叔父さんの寺。俺も知り合いだから、電話をしてみたんだ。そうしたら、一回遊びに来いって。驚いたよ。行ったことないんだって?」
「……あの子がお腹にいる時に、一回だけ、少しの時間。私がすごくお腹が痛くなっちゃって。それからは、晴人もあそこに行こうって日には体調を崩すの」
「でも、俺たちだけじゃ解決できないよ。新藤には黙っていてくれるから、まずは相談に行こう。あと、晴人の力を消す方法があるかもしれない」
理沙が、電話の向こうで息を飲む。
「寺に行ったとき、善さんが……、理沙のお父さんの仲間でもあった骨董屋のオヤジ」
「あ、うん」
「そのオジサンが、解決策みたいのを知っているらしくて。教えてくれるって」
「それって、晴人の命を奪うとかじゃなくて」
幽霊を操ったり、物を触らずに動かしたりするような子供でも、自分の腹を痛めたからには愛情があるということか。実際、俊太が晴人と遊んでいて、理沙が言うような超人的な力を感じたことはない。否定をするわけにもいかないので話を聞いているが、実際に寺で本当のところあり得るのかを確認したい思いだった。
「どうするのかを聞いてはいないけど、違うんじゃないかな。抑え込む、みたいな話だったと思うけど」
「抑え込む。あんなに小さい子の身体を?」
それなら、どうしたいのかと聞こうとして止めた。ここで二人で押し問答をしても仕方がない。しかも、今、不安になっているのは理沙の方だ。彼女に答えを求めたところで、解決策が見いだせるとは思えなかった。
「とにかく、行ってみよう。晴人と新藤が、二人で出かける日は作れる?」
こうして何度も親友を裏切っているうちに、不思議と罪悪感は浮かばなくなってしまっていた。
なるべく誰にも目撃されない様に、理沙とは養福寺の前で待ち合わせをした。賽銭を入れて祈っていると、足元に一匹の猫が体を寄せて来た。思わず、しゃがんで猫の背中を撫でようとすると、奥から叫び声が聞こえた。
「こらー! お前―!」
振り返ると、寺の住職でもある優作が、箒を振り上げて向かってくるところだった。
「うわあああっ」
数歩後ずさると、背後で理沙も驚きの形相だった。だが、それよりも足元の猫が一目散に寺を駆けだしていくことに気づく。そこでやっと、優作は俊太たちが目に入ったようだ。
「なんだ、お前だったのか」
「おじさん、なに今の。めっちゃ怖いんだけど」
あんな剣幕を見せられて、理沙が晴人のことを相談しないと言い始めたら困る。
「あの化け猫。あいつは猫又さ、俺が小さい頃からここで客の賽銭を盗もうと狙っているんだ。えーっと、お前がいるってことは、もしかして」
俊太は、理沙の背中を押して優作の前に出すと、これ以上余計なことはするな、と目で圧をかけて言った。
「理沙ちゃんだよ。俺と新藤の大学の同期で、新藤の嫁。そして、晴人のママ」
「君が! よく来たね。なかなか会えないから、寂しかったよ。もう善さんも来て、中で茶を飲んでいるんだ。いやぁ、普段からきな臭い骨董ばかりに埋もれているジジイだから、あんまり相手にしないほうがいいと」
「オジサン!」
優作がこれ以上話し続けない様に、俊太が遮る。その意図に気づき、年齢に似合わず、ぺろりと舌を出して反省の意を示すと、優作は二人を連れて寺の中に入った。俊太の心配をよそに、理沙としては優作の喋りで緊張がほぐれた様子だったのだから、女子とは本当に分からないものである。
廊下に置いてある壺や動物の形の置物を横目で眺めながら進むと、一番奥の部屋に一人の男の姿があった。白髪を首元で一本に縛り、無精ひげを生やしている。目の奥の光は鋭く、刑事をしている俊太でも、なるべく話をしたくないと直感で思う人種だった。
「やぁ、よく来たね」
正座をして、にこやかに両手で茶碗を包んでいる。その上品さが、俊太の中で警戒心を掻き立てる。それは、次の言葉でより強まることになる。
「そんなに警戒しないで。彼女が、藤本の娘さんか」
すべて知っている。確かめる間もなかった。そして、理沙も覚悟を決めたようだ。善の前に正座をすると、深く頭を下げた。優作だけが、善の軽口を詫びるようにソワソワとしている。
「父が、ご迷惑をおかけしました。また、父の行った私への行動のせいで、再び大きな問題が発生しています。私は、このことを夫である新藤健作に打ち明ける気はありません。でも、どうにかして息子の晴人を助けたいです。お力を貸してもらえますか」
理沙に新藤が惚れた理由が、俊太もこういう時に理解できた。困っていて、悩んでいる。そんな弱さと、一方で誰にも持たれることのなく折れない意志の強さが、彼女はうまく融合している。凜とした空気に、力になりたいと思わされてしまう。
「いいでしょう。恐らく、あなたのお子さんは呪われています。呪いには、呪いで返すのが一番です。例えば、人を呪い殺すような物品があるとします。それを子供に与えることで、邪悪なものを排除してくれる可能性があります」
「息子の、邪悪な部分だけを殺してくれるということでしょ
うか」
「マイナスとマイナスはプラスになる、みたいな感じ?」
最後の俊太の問いは無視するように、善は理沙にだけ頷いて見せる。そして、自分が知っている呪いの骨董品をいくつか紹介してくれる。
「呪われたものを一つの個所に停滞させておくと、周囲に悪影響が起こります。つまり、それに詳しい人はわざと流動させるんです。つまり、これらのいくつかを私は目にしたことはあるけれど、今、どこにあるかは分からないのです」
「子どもを助けたければ、自分たちで探して見つけろってことか」
俊太がそう呟いた瞬間、善の前に置かれた湯呑が勢いよくはじけ飛んで割れた。一瞬呆気にとられた全員だが、すぐに優作が拝みながら言う。その声は、さっきまでのふざけた調子が吹き飛んでいる。
「相当の力だ。理沙さん、あなたは離れていても常に息子に監視されているのかもしれない。もしかしたら、呪い返しだけでは足りないかもしれないね」
念仏を唱え始めた優作の額に、青白く太い血管が浮かんでくる。じんわりと汗まで浮かんできたのを見て、俊太もタダならぬ事態だと悟った。震える手で、善が教えてくれた呪物をメモしていく。これからも随時計画を立てるために連絡を取り合う算段をつけ、二人は養福寺を去った。
「やっぱり、私が生き返ったことがいけないのよ」
駅で別れる時、理沙がふとそう呟いた声に、俊太はもう返す言葉が見つからなかった。だが、諦めることはできない。自分は、もう新藤と理沙、そして晴人の人生に大きく関わってしまっているのだと言い聞かせる。それから二人は情報がある度に、美術館や大学、寺や個人宅などに呪物を確かめに行くのだったが、なかなか本物を見つけることができないまま、ついにあの日が訪れたのだった。