「もういいよ!」
凜は、通話の相手に声を荒らげるとそのままスマホの電源を切った。ため息をついた時、急に肩を叩かれて、飛び上がる。振り返ると、そんな顔を初めて見るというほどに笑い転げる俊太の姿があった。
「凜ちゃん、漫画みたいに怒っていたね。誰、新藤?」
「まさか。さすがに事務所の所長にあんな言い方しません」
俊太を振り切るようにして歩き始めたのに、なぜか後をついてくる。凜は、手の中に握りしめているチケットのことを考えて、立ち止まる。
「そっかー、確かに新藤って所長だったね。それにしても、どこに行くの? 俺さぁ今日非番なんだけど、暇なんだよね」
「俊太さんって映画好きです? 実は、さっきの電話は彼氏だったんですけど、喧嘩しちゃって。一緒に行ってくれませんか」
「え、いいよ! 行こうよ。でも、新藤には黙っていてよ。あいつ、凜ちゃんの保護者みたいに怖いじゃん」
勝手におしゃべりをしながら付いてくる俊太と、映画館のエレベーターに乗り込む。駅近のビルに構えた映画館だが、メインではなく寂れた方が会場となっていることに、ようやく俊太も気づいたようだ。エレベーターの中の広告に目を走らせながら、慎重な様子で聞いてくる。
「ねぇ、凜ちゃんの持っているチケットって何? もしかして、これじゃないよね」
俊太の指差した広告は、まさしく凜の手の中にあるものだった。
「正解」
チケットには、血まみれの女性が叫びながら手を伸ばしている姿が描かれている。
「うそ。俺むりむり。スプラッター系ダメ。叫んじゃうし、吐いちゃうし」
「彼氏と同じこと言わないで。ほら、着きましたよ」
エレベーターがついて扉が開くと、男のプライドだろうか。俊太は一気に大人しくなった。そのままチケットを確認され、開場しているままに飲み物とポップコーンを買って滑り込んだ。すでに開始五分前だというのに、ほとんど客はいないようだ。
「ねぇ、マジで怖いんだけど。しかも思い出したけど、ここ、出るって有名じゃない?」
「私も学校で聞いたことありますね。でも、そんなに毎回遭遇しないから大丈夫です」
「いやいや、でも見るものがこれだよ?」
凜と俊太が言い合いをしていると、女の子が一人で入ってきた。イヤホンで誰かと通話しているようだが、同じように友達に断られたのかと凜は同情さえしていた。
「いいって。私一人で見るから。でも、これ面白いんだよ。四十分のところで女子高生がめっちゃ切り殺されるんだけど、見ると本当に呪われるらしいね。じゃ、また報告するー」
通話を切った彼女は、スマホをいじっている。ホラーやミステリー映画が好きな凜は、迷わず前売り券を買ったものの詳しい内容をあまり知らなかった。隣の俊太を見ると、同じように怯えている。
「タイマーセットしようぜ。四十分だよな。知らせるから。呪われないようにしよう」
俊太がいじるスマホを、凜も必死に覗き込む。まさかここまで変な噂があるとは知らなかった。だからだろうか。もはや開始時刻だというのに、入ってきた客は何人もいない。前の方には、個人で来ているだろう男性が数人。意外にも年配の夫婦が一組。そして、数列前に同世代だろうカップルである。
開始の音と共に照明が落ち、すぐに上映中の注意事項を促す画面に切り替わっていく。凜と同じく、俊太も覚悟を決めたように静かになり、何度か飲み物に手を伸ばしていた。絵は迫力だけでなくミステリー的な要素もあり、思わず真剣に見入ってしまう。そして、ある程度集中していた時に、俊太が凜の肘を小突く。丁寧にも、タイマーできちんと時間を図っていたらしい。そして、どうやら四十分の呪いについては有名なのだろう。数列前のカップルのうち女の子が立ち上がって出ていく。トイレ休憩にでも行ったのだろう。ついに、スマホを膝にだした俊太。見ると、一分前だ。確かに、女子高生が駅に逃げこみ、背後から追ってくる何者かに怯えている。このまま、どうなるか見届けたいという思いと、呪われたくないという恐怖が葛藤する。
「凜! ちゃんと目を閉じているか!」
「分かっているって!」
それでなくても、最近は幽霊事務所に不吉なことが多すぎる。呪われている場合ではない。咄嗟に凜も目をつむると、すぐに大音量の悲鳴が館内に響き渡る。それに加えて、切り裂く効果音や血が飛び散っているだろう音が混じる。それが数分続いただろうか。
一気に静かになってから凜が目を開けると、映画のシーンは火葬場に写っていた。同級生たちが神妙な顔で俯いている。そして、トイレに行っていたのであろう女の子が戻ってきたため、一瞬館内が外の光で明るくなる。次の瞬間だった。
映画のシーンは厳かなままだというのに、悲鳴が響く。すぐに異変を感じた俊太が立ち上がる。前の座席の人間も立ち上がり、スクリーンに幾人もの影が映る。
「郁夫! 郁夫。いやだ、誰がやったの! いやー」
叫んでいる女の子のところにいって、凜も息を飲んだ。そこには、恋人であろう男の子が明らかに死んでいるのが分かった。喉に一突き、ナイフが刺さっている。
「ちょっと……、うそでしょ」
一瞬動けなくなった凜とは対照的に、殺人に気づいた観客からも悲鳴が上がる。さらに、すぐに出口に走っていく観客もいて、俊太が怒鳴る。
「凜! 受付にいけ。誰も建物から出すな!」
叫ばれた瞬間、凜は走り出した。観客はパニックになって逃げようとしていたようだったが、間一髪で外へ出る人間は防げた。さらに、チケット売り場まで行くと、中で殺人が起きたことを告げて、救急車と警察を要請した。
すぐに上映は中止になり、明かりのついた館内で数人の人間が震えるようにして立っていた。俊太は一人で男の死亡を確認すると、館内にいた人間の確認を始めている。ここ数か月で、凜はいくつもの事件を目の当たりにしてきた。事故にも遭遇したし、幽霊にも関わってきた。しかし、こんなにもはっきりと残酷な死体を見るのは精神的にも大きな負担になる。気分の悪さを覚えて、トイレに行こうと館内のドアを開いた。
「犯人は、右の隅の女よ」
廊下に出た瞬間耳元でささやかれ、危うく悲鳴を上げそうになった。飛びずさって見ると、モンペを履いた年配の女性が立っている。明らかに、生きている者ではないと分かったが、それにしても今の時代にはいないような服装だ。
「あ、突然ごめんなさいね。私、ここに住んでいるの。毎日映画見放題」
満面の笑みで伝えられて、返答に困る。
「今の子たちはいいわよね。私……、戦前なんて男性と映画に行くなんて本当に許されなかったわよ。それに。お金もなかったし。妹たちの世話をして忙しかったし。でも、爆弾にやられて死んじゃったけど、私は映画監督の夢をあきらめきれなかったの」
暗い過去をまるで笑い話のような調子で話す女性のテンションの高さに、凜は周囲に目を走らせた。すぐに逃げられる体制をとっておきたい。それに気づいたのか、女性は凜の肩を大げさに叩く仕草をした。
「いやね! 取って食べたりしないわよ。いい? 犯人は右端の女。右腕に高そうな金の腕時計をしていたわ。上映中に移動して、男を刺したの。ほら、早く戻って!」
トイレに行きたかったのに、霊の勢いに押されて凜は再び中に入る。すると、確かに右腕にごつごつとした金の腕時計をした女がいる。年齢も、凜より少し上くらいだろうか。
「えーっと、じゃあ署で少しだけ話を伺ってもいいですか?」
俊太が声を掛けているのは、どうやら殺された男の子の隣に座っていた彼女のようだ。
「……私、トイレに行っていて、席にもどったら郁夫が殺されていたの! 何もしていない!」
過剰に反応する彼女に、年配の夫婦が囁くように言う。
「でも、トイレに行く前に殺しちゃっていたのかも」
「そうだよな。凄い音だったから、うめき声ぐらい気づかないしなぁ」
二人の会話は、その場にいた誰の耳にも届いた。もちろん、彼女が怒り夫婦に殴りかかろうとする。振り上げた右手を俊太に掴まれ、突っかかる様に叫ぶ。
「そんなことするわけがないだろうっ! 私は、ずっと郁夫が好きだったんだから!」
「まぁ、まぁ。それも署で聞くから」
証拠は何もない。だが、俊太が間違った方向へ進むのも防ぎたい。あの霊がどこまで信じられるかは分からないまま、凜は手を挙げた。
「私、犯人を知っているの!」
その場にいた全員の視線が、凜に集中する。俊太が驚いた顔をしてみた後、凜のところに駆け寄ってくる。だが、それを待たずして凜は金の腕時計の女を指さして言った。
「犯人は、あなたよ」