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49 文太の使命

 凜とショッピングモールで霊に襲われた新藤は、その後、なぜあんなに霊に襲われたのかを考え続けていた。確かに、あの日は初めから霊が多かった。駅やコンサート会場などもそうだが、人の熱気が集まるところに霊は引き付けられる。だからこそ、数体見かけるくらいでは気にならなかったが、明らかに奴らは新藤を狙っていた。


「私、思ったんだけど」


 事務所の暖房のスイッチを入れて、凜はポットから急須に湯を注ぎながら言う。季節はどんどん進んでいく。もう少しで今年も終わりを迎えようとしていて、昼間もなかなか気温が上がらなくなってきた。凜が入れてくれたお茶を受け取りながら、新藤が答えた。


「なに?」


「あの時、あんなに霊がいたのに、ほとんど新藤さんを追いかけて行ったでしょう? 確かに、引き付けるつもりで突っ込んでいくように逃げてくれたんだとは思うけど。それにしても、私にはかなり無関心っておかしくない? 同じように霊が見えるのに」


「おー、嫉妬か?」


 ふざけて笑ってみるも、凜は一ミリも笑わなかった。こほん、と咳ばらいをして新藤も真面目な顔で返す。


「確かに、最後はそうだった。でも、じゃあ階段の女の子は? あの子は凜の腕を掴んだんだぞ」


 ただ、新藤にも引っかかるところはあった。そして、凜もそこに気づいているようだ。


「私はきっと、囮だったと思うよ。だって、新藤さんの顔をみた瞬間、あの女の子にやって笑ったの。何回経験しても、殺されるってああいう瞬間は思っちゃうよね」


「そうだよな。あれの表情が変わったのは、俺も少し感じていた。でも、なんでなんだ。こんな幽霊探偵なんてやって、霊に恨まれているのかな。俺」


 今度は自嘲気味に漏らすと、凜は向かいのソファに腰かけた。ベルも、寒いから散歩に行くことを面倒くさがるようになってきた。ソファの上に始終置かれている新藤のソファに潜り込み、今も寝息を立てている。その背中をそっとさする様に撫でると、言いにくそうに告げる。


「確証はないんだけど、そもそもの始まりは、霊がショッピングモールで晴人君を見かけたことでしょう? そうなると、もしかしなくても原因は晴人君と親子ってことなんじゃない?」


 凜は、いずれかの言葉が新藤の怒りを買うかもしれないと心配だったのだろう。顔色を確認しながら、ゆっくりと慎重に伝えている様子だった。晴人の死を掘り起こすことは苦手だった。でも、その死を信じていない自分もどこかでいる。それを解明したいと思って、探偵事務所も整えた。だが、いざ目の前に突きつけられると、相変わらず心臓が痛くなる。


「そうだよな……。晴人が目撃された場所で、あんなに霊がいるなんておかしいと俺も思う。もしかして、家系的な理由で晴人は標的にされたのかもしれないと思い始めている。俺の親戚の養福寺も、多くの除霊を行っている。晴人が理沙とそこを訪れているということは、霊たちの間で知られていたことかもしれない。恨まれて、小さいがゆえに」


 マイナス思考だと言われても仕方がない。だが、他に理由が思いつかない。


「俺、もう一回あの杉並って霊にあって話を聞いてくるわ」


「一人で平気? 私、きっとバイトのシフトも変わってもらえると思うけど」


「いや、大丈夫だ。文太も相変わらずなんだろう? 側にいてやって欲しいし」


「んー、時々せき込んでいるみたい。この間の夜みたく、ひどくはないけど。なんかふさぎ込んでいるっていうか、文太らしくはないような」


「それだけ、体が辛いのかもな。ま、様子を見てやってくれ」


「変だね。あの子だって幽霊なのに」


「確かに!」


 二人で文太の口真似をして、さらに笑い合う。新藤にとってはありがたかった。




 その日の午後、早速新藤は杉並のいる通りに足を向けた。もちろん、酒瓶を持って行ったけれど今日は安物の日本酒だ。これがあるだけで、杉並の口が軽くなるなら容易いものだ。そして、現場について日本酒を巻いて杉並に話しかけようとした新藤は、一瞬怯んだ。新藤に声をかける杉並は、陽気で時々質の悪い酔っ払いのようだった。それが、今回はびっしょりと濡れた様相で、地面に転がったまま真顔で新藤を見つめてくるのだ。


「あの……、すみません。俺、新藤っす」


「まさか、本人がのこのこやってくるとは。あの猫、お前の知り合いか?」


「はぁ……猫、ですか?」


 相手の雰囲気が悪いことに警戒をし始めた新藤は、この場を去ろうか迷い始めた。明らかな敵意と戦闘態勢だ。それはきっと、酒をかけたからではないだろう。


「俺、思い出したんだよねー。お前の息子のせいで、俺は死んだと思うんだけどー」


「……は?」


 突然の素っ頓狂な話題に、新藤が顔をしかめる。酔っぱらいの戯言、なのだろうか。それを図りかねていた時、男がまた口火を切る。


「そもそも、お前は俺が……」


 今まで、何をしても道路から体を起こさなかった杉並が、ふらりと体を縦にした時、その顔に力が入った。目に火がともったように赤みがかった気がした。


「うわああああああお」


 その先は、突然だった。杉並が新藤をめがけて飛び掛かってきたのだ。同じような悲鳴を発して、新藤が身を翻す。道行く人が、血相を変えて飛びずさった。何度ここで、変な行動を目撃されればいいのだろう。杉並は、再び新藤に手を伸ばす。そして見事、新藤の左腕を掴んだ。


 さらに、それだけでは済まない。大きく口を開けると、左手の指先を噛もうとしてきたのだ。指に歯があたり、動揺する。しかし、凜の勧めもあって、新藤は日本酒の他に聖水も持ってきていた。胸元から小瓶を出し、口で栓を抜くと杉並の顔に投げつける。命中した聖水のおかげで、杉並は目をつぶって体を引いた。この男が何かを知っている。そう思うと一瞬迷ったが、危険が迫っている。呪詛を唱えると、右手を男に振り下ろした。杉並は、悔しそうに薄く消えて行った。


 そして、残された新藤は急いで小道に逃げ込んだ。あまりにもおかしな行動に、注目を集めた可能性が高い。とはいえ、左手に猛烈なかゆみを感じて、立ち止まって目をやって驚いた。杉並の噛もうとした左手、しかも薬指のあたりが黒く煤がついているのだ。まるでそこだけ、燃えたように。


「……なんだこれ」


 その場にとどまっていることなどできず、新藤は咄嗟に走り出す。指に痛みはない。だが、また左手だ。凜は、午後からアルバイトだと言っていた。大学近くのカフェは、ちょうどお茶の時間に差し掛かっているのか、幾分込み合っているようだ。だが、待っていることなどできない。外で並んでいる人を追い越し、店のドアを開ける。カランカラン、といベルの奥で、鳴るはずのない音を訝しんだ凜が顔を出した。客のテーブルに運ぶためであろうケーキを二つ持っている。


「え、なに!」


 ざわついた店内で、どのグループもおしゃべりに夢中だが、ドアの近くの数人が怪訝そうに話を止めて見上げてくる。凜も、スマートに客席にケーキを置くと、滑るように入口までやってきて言った。


「ちょっと、どうしたの! その手。それに、私、今バイト中で」


「凜、分かったんだ。ちょっと来てくれ」


 強く腕を掴み、店外に連れ出そうとする。前もこんなことがなかったか、と記憶をさかのぼっていると奥の厨房から男の子が颯爽と現れた。


「凜! 大丈夫か」


 恐らく、凜の彼氏だろう。新藤の左手を見てぎょっとした様子の男は、それでも仕事場だからか、それ以上の牽制はしてこなかった。凜が振り返って、謝る。


「ごめん、すぐ戻るので、一瞬出てきます。本当、すぐ戻ります」


 これは、怒られること必至だ。だが、今夜まで一人でこの情報を抱えていることなどできるわけがない。新藤もつられて頭を下げると、男も納得したようだ。


「これからまた混むから。すぐ戻って」


 二人で頭を下げて店を出て、裏に回った瞬間、当然のように凜が声を荒げた。


「ちょっと! 夜まで待てなかったの」


 掴んだ腕を振りほどかれ、明らかに怒っている。でも、新藤の興奮も収まらない。


「待てない」


 真剣な声で言い、左手を差し出した。一瞬、新藤のはっきりした言葉に戸惑った顔をした凜も、そっと左手に触れる。煤を払うような仕草を見せた後、はっとして顔を上げる。


「この間も、左手だったでしょう」


 新藤も、大きく頷いた。


「そうだ」


「私も考えていたの。新藤さんの左手で、前と違うのは何かって。最近、この指輪をつけるようになったよね。仕事をする時に」


「そうなんだ。二人がいなくなってから、思い出すのが嫌で……。特に、理沙が亡くなる時に側にあったということで俺は余計に避けていた。でも、最近はきちんと向き合おうと思って、仕事の時はこの指輪をはめるようになったんだ」


「どういうこと? この指輪を狙って襲われたってこと?」


 新藤は手の汚れを払うと、そっと指輪を外す。


「事務所の机に置いてあった時は、別にこんなことはなかったんだ。人がはめて、何か意味があるものなのかもしれない……。俺がこれを持っていることは、誰も知らない。けど、もし知られたら……」


「そういえば、今日会いに行ったんでしょう? ショッピングモールのことを話せたの? その幽霊に」


「いや、最初から様子が変で。この間は明るい陽キャの幽霊だったのに、おかしなことを言っていた。自分が死んだのは、……晴人のせいかもしれないって」


「え……どういうこと」


「それを聞き出す前に、これを見て目の色変えて襲ってきたんだよ」


「そうか。これまでは、指輪をして会っていなかったのね」


「もしかして、二人がいなくなったのも、この指輪のせいだったのかもしれない」


 二人の視線が、新藤の手のひらにあるシルバーのリングに集中した。


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