都心から離れているとはいえ、学生の街である和泉町は夜も賑やかだ。事務所のある隣の駅の方が繁華街でガラの悪さが目立つが、こちらは小さな居酒屋が乱立している。学生や職員をターゲットにして料金は良心的で、アットホームさがかなりのリピートだと聞く。
だが、あちこちで女子生徒の肩に手を置いている男子を横目に、新藤は凜が混じっていないかを素早く確認する。あんなの、触りたいがための口実に決まっている。見つけたら、事務所に引っ張って帰ると意気込んでは、いつのまにか湧いている親心に苦笑いをする。そもそも、最近は凜に支えられっぱなしだ。養福寺で心が洗われたことで少しだけ力も安定してきた。仕事に支障をきたさない様にメンタルを整えるべく、新藤は重い腰を上げたのだった。駅のロータリーを抜けて、最初の角にある小さな居酒屋のドアを開けると、カウンターの奥に待ち合わせの相手がすでに座っている。
少し決まずそうに片手を挙げたように見えたのは、気のせいだろうか。新藤も軽く手を挙げて答える。ここは、大人も子供も夢中になるほど唐揚げが旨いようで、酒の品添えもいい。
「よく抜けられたな。事件、少ないのか?」
カウンターの隣の席に腰かけると、すぐにアルバイトだろう女の子がおしぼりを持ってきてくれた。「生で」と女の子に声をかけると、隣の男がやっと答えた。
「おい! 俺だってまだ注文していない!」
二人の間に俄かに漂っていた気まずさが、その声で薄まったのは間違いない。新藤は、おしぼりで軽く顔を拭くと、大きく息をついていった。
「俊太。俺と二人で飲むの、嫌がられるかと思ったわ」
「え? 地味に無視とかして嫌がらせされて、俺が怒っているとおもったからか?」
「なんだと? 元々は、お前が俺に隠れて、理沙となんかしているのが悪いんだろう!」
思わず声が大きくなり、新藤は慌てて口を噤んだ。カウンターで調理をしている大将が、一瞬だけ目を上げた気がしたが、大人の対応で聞いていない振りをしてくれる。
「お待たせしましたー、生ふたつですねー」
二人の間に割り込んできてくれた店員のおかげで、再びスタートラインに立つ。それぞれがジョッキを手に、まずは軽く掲げた。
「おつかれ」
「新藤も、な。……高石から連絡がきたよ。お前に、大学で見かけたことを話したって。だから、連絡は来ると思っていたんだ。あいつ、口が悪い癖に律儀だよな」
「いや、マジで分かるそれ。でも、大学で生徒に、あいつ『しめじ』って呼ばれていたぞ」
「まじで? それはうけるな。今度集まったら、俺たちも呼んでやろうぜ」
俊太の言葉で、新藤が止まる。今度、なんていつのことになるのだろう。どうしても、サークルのメンバーで集まれば昔の話になる。理沙がいないことを必要以上に突きつけられて、落ち込むことは目に見えている。周囲もそれが分かっていて、敢えてイベントを企画しないのだ。
「まぁ、実際に高石が連絡をくれて良かったよ。最近、お前の態度がおかしい理由も分かったし、誤解は早めに解きたいし」
「誤解?」
心を落ち着けるように、ぐびりとビールを喉に流し込む。胃が冷えていくのを感じると同時に、怒りからか痛みが走る。俊太は、そんな様子の新藤に気づいたのかテーブルの上で指を組んだ。
「誤解じゃないだろう。お前たち、じゃあ大学でわざわざ二人で何をしていたんだよ。俺は、理沙のことは信じて……いる。お前だって、さゆりちゃんがいるし。……って、そういえば、まだ続いているのか?」
すったもんだあった挙句、俊太は大学時代に見事さゆりと付き合うことができた。ただ、色白ですらりとしたスタイルのさゆりは、彼氏がいるからといって周りの男たちが放っておくわけもなかった。結果、嫉妬する俊太と何度も喧嘩をしては別れる、というのを繰り返していた。俊太が答えないので、新藤は続ける。
「でも、お前が誤解だっていうなら、話は聞くよ。でも、じゃあなんであの時嘘をついたんだよ」
「……は?」
散々言われているからか、俊太の眉間に微妙に皺が寄っている。だが、ここで怯んだら事実は聞けないかもしれない。新藤はビールで勢いをつけて、一気に言う。
「俺が、画廊のオーナーの奥さんに聞いたことを伝えた時、知らない振りをしただろう。覚えていないとは言わせないぞ。理沙が事故に遭う半年くらい前、お前たちが画廊のイベントに夫婦の振りをして参加していたんだろう?」
俊太は、その話にさらに苛立ちを隠さなかった。あからさまにため息を吐くと、音を立ててジョッキをテーブルに置く。そして、まっすぐに新藤を見つめて告げた。
「確かに、俺たちは画廊に行った。あの画は、俺が知らないところで理沙ちゃんが渡したみたいだけど。多分、浮気をされていて同情したんだろう。分かるだろう? そんなまっすぐな子が、俺みたいなのとどうにかなるはずがないって。あの子は、お前のために生きて……」
そこまで言って、俊太は舌打ちをして俯く。新藤が怪訝な顔をしたところで、俊太は再び顔を上げた。
「とにかく! 俺と彼女の間にやましいことはない。これは神に誓って断言できる」
「……分かった。でも、何を調べていたのかは教えてくれないってことか」
新藤も、内心では本当に二人の間に何かがあったとは思っていない。だが、それがたとえ愛情ではなくても、自分の大切な人間と秘密を共有されるのは気持ちのいいものではない。自分のプライドは別として、疎外感を得るなというほうが無理だろう。
「捜査上のことなんだ。そのうち、きちんと話すけどもう少し待ってくれ。でも、そうだな。お前の周りで、最近おかしなことがあっただろう」
「おかしなこと? そんなの、前からだ」
霊現象が身近で起きる人間にとって、物事の吉兆は際立って目立つ。日々、関わりたくないものが勝手に寄ってくるし、無理難題を押し付けられる。事態は予想もつかないことが多いし、死んだ人間が幽霊となって現れて驚くこともある。
「……死んだ人間が幽霊となって」
自分の考えを口に出してから、新藤はふと思いついた。
「そういえば、理沙の、失踪したと言っていた父親が訪ねて来たんだよな。あいつ、大学の時に父親は死んだことにするって話して。母親も病死したから、身寄りがないって言っていて。だから結婚式とかもやらなかったんだ。……ちょっと待て。理沙の父親に関係があるのか?」
俊太は、新藤の答えに反応することなく、店員に声を掛けた。メニューを指さしながら、いくつかの品を注文している。目の前の調理場からは、油で揚げるいい音がする。次々と店を訪れる客が、席を埋めていく。乾杯の声や笑い声で、店内はあっという間に賑やかになった。
「俊太が絡むってことは、理沙の父親の失踪には事件が関係しているってことだな。それを、二人で追いかけていたのか。そうなると、理沙は俺に迷惑をかけるって思っていたのかな……。なぁ、それくらいなんか聞いていないか?」
俊太は、ちらりと新藤を見て、首を横に振る。
「悪いな。マジで捜査中なんだ。でも、俺がいえるのはこれくらいだし、お前の筋がほぼ間違っていないとも言っておくよ。お前はきっと気になって、調べ続けるだろう。ただ、これだけは言っておく。深みにハマるな。それと、分かったことは共有しろ」
「なんだ、それ。勝手すぎるだろ。今まで、理沙と二人で
やっていたくせに」
「新藤。俺はふざけていない」
低い静かな俊太の声に、新藤の腕に鳥肌が立った。友達ではない。刑事の俊太が、警告しているのだ。諦めたように、新藤は数回小さく頷いた。
「分かったよ。もう、お前と理沙のことも疑わない。でも、そのうちマジでちゃんと聞かせろよ。とはいえ、もう一つ、気味の悪い話があるんだよ。俺の叔父、寺をやっているだろ」
「あぁ、幽霊寺な。肝試しさせてもらったことあったよな」
俊太の声からは、すでに鋭さが消えていた。新藤のわだかまりもほぼ解消し、テーブルに運ばれてきた料理に、二人は交互に箸をつける。
「養福寺な。この間、寺で写真を見つけたんだ。叔父さんと理沙の父親が一緒に写真にうつっていたんだ。しかも、かなり若いときの写真だった。知り合いだったんだよ。これ、偶然だと思うか?」
「やっぱり、そうか。理沙ちゃんが、お前の叔父さんを見たことがある気がするって言っていたんだ。でも、確証はなかった。彼女は、一人で調べていたのかもしれない」
「理沙が……」
寺に、晴人と二人で時々遊びに来ていたと言っていた。理沙は、父親が失踪した原因は叔父にあると疑っていたというのだろうか。だからこそ、新藤に言えなかった可能性はある。だが、そうなると、叔父が何かの悪事に手を染めているというのか。
「いやいや、おかしいだろ。結果として、理沙の父親は生きていたんだから。そもそも、父親が逃げたのだって、借金とか女とか原因があったんだろ」
どうせ、俊太になんの事件を追っているのか聞いても話してはくれないだろう。だが、理沙の父親と叔父が知り合いだったのは間違いなさそうだ。学生時代の友人だろうか。理沙の父親は研究職だったはずだ。寺の住職である叔父と仕事で関わるとは考えにくい。
「まぁ、俺の方でも、理沙ちゃんの父親の最近の動向は調べてみるから」
俊太はそう言いながら、ポケットからスマホを取り出した。画面をちらりと覗き込み、さゆりからのメッセージだと気づく。『今夜会える?』そう小さく見えて消えた文字に、俊太は興味なさそうにスマホを戻した。どうやら、二人は続いているらしい。そんなことに不思議と安堵しながら、新藤は唐揚げに箸を伸ばした。