元気がなかったと思ったら、今度は見たことがないほどにイライラしている。本当に、最近の新藤は面倒くさい。凜は結局、関わっている老婆のことは言えずに、事務所を後にした。吉田電気店に行ってみると、今日の店番は娘のようだ。彼女によると、『ともこ』というのは母親だけれども、孫が彼女なのは間違いない。もう一人いるとしても、聞いてみないと分からない。このまま放置をして、無駄に老婆に恨まれることも苦痛だ。意を決して店の扉を開くと、あからさまに少女が嫌な顔をした。
「インチキ霊媒師だ」
スマホをいじりながら、目線を下げてしまう。その態度に、無性に腹が立った。真面目そうな見た目とは裏腹に、意外と底意地が悪そうだ。
「あのねぇ、私は霊媒師じゃないの。それに、あなたのおばあさんに頼まれてここに来たんだって。『ともこさん』に誕生日プレゼントを買えなかったことを謝りたいって、おばあさんは成仏できないでいるんだから」
「それが嘘だっていっているのよ!」
「確かに信じられないかもしれないけど。あなたのおばあさん、あそこの交差点で事故にあっているでしょう? 両足がなくて、動けないのに泣いているよ」
それに加えて、凜が見た老婆の容貌も伝える。少女は幾分怪しんではいるものの、すべてが嘘ではないと思ったようだ。そして、少しだけ傷ついた様子で聞く。
「おばあちゃん、足がないの……?」
少女が食いついてきたことに、手ごたえを感じる。凜は大きく頷いて続けた。
「そうなの! だから、少しでも気持ちを楽にして成仏してもらいたいじゃない? 私は、その手伝いをしてあげて」
「出て行って! そんなの私は知らない。早く! 二度とこないで」
少女の気持ちが溶けかけたかと思いきや、一気に突き放された。店から追い出され、カーテンも引かれる。すると、隣のクリーニング屋のエプロンをした女性がちょうど店から出てきて、凜が追い出されたことに目を丸くする。
「すみません」
思わず謝ると、女性は身体をこすりつけるようにして近づいてきて、囁いた。
「あなた、この間も来て、あの子に怒られていたでしょう。おとなしいあの子に、嫌われるって何をしたのよ。お友達?」
「はぁ……いえ、実は彼女のおばあさんに頼まれごとをしていて」
凜の言葉に、女は怪訝そうな顔をした。半年も前に死んだ女のことだ、当然だろう。軽く会釈だけして、凜は店から離れようとした。
「そりゃ、怒るかもね。何年前の話を持ち出しているのよ」
女の言葉の意味はよくわからなかったが、凜はそれ以上振り返らなかった。
横断歩道では、相変わらず老婆が佇んでは、周囲の人間に怒りをぶつけていた。もはやルーティンになっているのかもしれないが、凜はその霊力の強さに半ばあきれるほどだ。あんな霊に、孫と会えていないなど伝えられるだろうか。しかし、向こうの方が一枚上手で、かなり離れた位置にいるにも関わらず、凜を見つけると大きく両手を振った。完全に懐かれている。老婆に近づくと、凜は潔く頭を下げた。恨まれるよりマシだ。
「ごめんなさい。実は、調査がうまくいかなかったの。あなたのいう『ともこ』ちゃんは、娘なのか、孫なのかも……。あなた、吉田電気店の人よね。ご家族には会えたんだけど、女の子は知らないっていって……」
「そうだろうね、私は、家族のお荷物だったから」
老婆の悲しそうな顔を見て、凜が本当に申し訳なく思った時だった。老婆の視線が背後へ移る。振り返ると、そこにはあの少女が立っている。
「おばあちゃんは、そこにいるの?」
吉田電気店の孫娘だ。やはり、この少女が『ともこ』なのか。凜が小さく頷く。
「もうただの化け物じゃない。私は、冴子だよ。ともこは、お母さん。あなたの娘でしょう。霊になってもボケたままなのに、まだこの世にしがみついているなんて情けないよ」
凜は、急に怒り出す少女に面食らい、何も言葉がでなかった。老婆は、意外にも笑顔でそれを聞いている。
「おばあちゃんのことが、嫌いだったかい?」
老婆の声は低く、しかし優しく空気を撫でるように伝う。不思議と、見えないはずの少女にもその声が聞こえたようだった。両耳を塞ぎ、続けて叫ぶように言う。
「嫌いだったよ! 店番をしていると、襖の奥からおばあちゃんのうめき声が聞こえるの! 出して、取ってって! 本当に嫌だったの」
「……どういうこと? 店の奥に、おばあちゃんがいたの? 取るって何を?」
「おばあちゃんは、何年も前から認知症になっていて……。お父さんもお母さんも、施設に入れるお金はないからって、家で面倒を見ようとしていたの。でも、しばらくすると徘徊するようになって、家の柱に両足をくくって……動けないようにしていたの」
ここで、交通事故はなかった。老婆の足がないのは、日常的に歩けなくさせられていた記憶だったのか。
「私の誕生日だった……。おばあちゃんにプレゼントが欲しいって嘘をついて、店番の私が足の紐をとったの。そうすれば、家から出ていくと思って……」
そして、老婆は横断歩道で自ら転倒し、頭を殴打した。結果として、誰も罪を犯してはいない。だが、老婆の思いは報われなかった。襖の奥で呻き続けた記憶だけが、この世の苦しみとして残ったのだろうか。
「でも、勘違いしないで。私は、おばあちゃんが邪魔だったんじゃないの。奥から聞こえる声が苦しそうで、聞いているのがつらくて……自由になって欲しかったの!」
「自由にしてくれて、ありがとうね」
老婆が小さく微笑む。孫がしゃくりあげるように隣で泣いた。凜は、その光景にほっと胸を撫でおろした。やはり、どんなことがあっても孫は可愛いのだ、と。新藤に黙って首を突っ込んだとまた怒られずに済みそうだ。凜が老婆を見ると、満足そうに笑っている。
「お嬢ちゃん、私の話を聞いてくれてありがとうね。素直な子は、大好きだよ」
そういうと、老婆の体が左にゆっくりと倒れていく。あ、と思った時には、ちょうど信号を待ちしていた男性に重なるようにして姿が見えなくなった。サラリーマン風の男性は耳にイヤホンをしてスマホに目を落としているため、少女が道路わきで号泣しているという奇妙な光景に気づいていないようだ。
と、その男性はリュックを下ろして荷物を漁り始める。信号が青になり、道行く人が動き始める。その時だった。男性がきらりと手に光るものを持っているのを見たが最後、凜の隣に立つ少女に一瞬で襲い掛かってきたのだ。慌てて身を翻し、振り返ると、少女が地面に倒れている。首を大きく切り裂かれ、徐々にコンクリートを血液が濡らしていく。悲鳴と金切り声が辺りに幾重にも轟き、人々が散らばり逃げていく。
「人殺しだー! 警察、警察を呼べ!」
「通り魔よ! あの男が女の子を刺したのを見たわー!」
雑踏のざわめきの中、凜は男が笑いながら呟くのを聞き逃さなかった。
「冴子ちゃん、小さい頃にずっと一緒って言ってくれたでしょ。おばあちゃん、これだけは忘れなかったのよ。すごいでしょう?」
そして、男ははっと我に返った表情になり、自分の手にあるハサミと横たわる少女に気づいたようだった。かしゃん、とハサミが落ちて、男は力が抜けるようにその場にしゃがみこんだ。
「俺じゃない、俺じゃないんだー!」
すぐさま駆けつけた警察官に両腕をしっかりとつかまれて、男はパトカーに乗せられていく。規制線が張られ、凜も警察官に声を掛けられる。しかし、凜は最後まで呆然としてその場を動けなかった。
「凜ちゃん、大丈夫? ごめん、新藤と電話がつながらなくて。送っていくよ」
目撃者として警察署に連れてこられた凜は、結局俊太の世話になることになってしまった。情けなくも、今はなによりも心強かった。地面に広がる少女の血が頭から離れない。
「あの人は……」
たまたまあの場所に居合わせただけで、老婆に乗り移られてしまった。その上、ハサミを持っていたがために、殺人まで引き起こしてしまったのだ。
「犯行時の記憶はないって。凜ちゃんの話は分かったし、新藤とあの事務所に関係のある俺はそれが事実だって分かるけど、世間では通用しないからね。殺人犯で起訴されることになると思う」
結局、救急車で病院に運ばれた孫も死亡したと連絡が入った。あの老婆に会った時から、悪霊だと気づいていたくせに、うっかり手を出してしまった。孫を突き止めただけでいい気になり、誰かの役に立ったと思えた瞬間、それは両手からこぼれる様になくなってしまった。
「でも実際、あそこの交差点では変なことが多く起きていたんだ。風が弱いのに看板が倒れたり、土が突然舞い上がったり、人の転倒が多かったりね。これで、そんなこともなくなるだろうって……不謹慎か」
凜が、肩を落として項垂れる。後悔は消えない。あの家族に、また悲しみをひとつ増やしてしまった。
「大丈夫、大丈夫。ゆっくりと帰ろう」
震えながら肩を落とす凜の背中を、警察署の廊下で、俊太はただずっと優しく撫でていた。