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37 襖の奥の秘密

 ふと目が覚めると、部屋は真っ暗だった。慣れない布団の匂いに天井の模様。数秒経ってから、養福寺の客間だと気づいた。どうやら、優作と周作と散々酒をあおった挙句、つぶれてしまったようだ。


 最近、酒を飲みすぎることが多い。喉の渇きを覚えて流しに向かおうとして布団から出ると、今度はぐにゃりと視界が揺れた。同時に喉元に込み上げる吐き気。人様の家で粗相をしてなるものかと、ぐっと口を閉じて我慢する。とりあえずは、洗面所だ。ふらりと布団から這い出ると、ぼんやりと灯りのともる廊下を歩く。


 恐らくここは夕食を食べた座敷を出て、左側手前の部屋だ。突き当りを右にまっすぐ進めば、洗面所があるはずだ。事務所で寝ていれば、数歩歩けば流しもトイレもすぐにある。寺とはいえ、広い家はうらやましくもあるが、ある意味不便である。


「なんだっ!」


 足首を何かに掴まれた気がして、思わず蹴り上げる。昼間、久しぶりに養福寺の門をくぐった時は、最後に訪れた数年前よりも妖力が強くなっている気がした。だが、それは小者の霊が集まってきているというよりは、寺を守る力が増しているような感じだ。優作一人の力ではなく、周作もめきめきと力をつけている結果なのだろう、と疎外感をもったとは言えなかったが……。


「このやろう!」


 もう霊力を感じたわけではないけれど、力任せに足を蹴り上げる。ただでさえ酔っているのだからバランスを失い、右足の指先が壁に激突し、脳天に突き抜けるような痛みが走った。


「あああぁっ」


 痛みに呻きながらよろめき手をつくと、引き戸が開いてしまった。前のめりになり、必然的に後ろ脚が追いかける。数歩で物置のような部屋に入ってしまったようだ。手探りで部屋の中を探ると、足元にある籠に躓いた。床に突っ伏すように転び、顎を打つ。指先の痛みが遠のいたかと思ったら、今後は顎だ。


 しばらく、酒は控えようと心に誓う。しかも、起き上がって見たら、なんと床に何かが散らばってしまったようだ。廊下から漏れ入る光で、それがどうやら写真のようだと気づいた。ここは居住している建物というよりは、寺のほうだ。そうなると、周作や家族の写真というよりは、寺に関連しているものだろう。


 法事の後に、親戚一同で記念写真を撮るが、同じように寺の行事で檀家のためにまとめているものなのかもしれない。かつては月刊でチラシも作っていたので、今でこそデジタル化しているだろうか、昔の写真を整理しようとしているのだろう、と思った。


 問題は、そこで一つ気づいてしまったことだ。転んだ拍子に顎を打ったのだが、その時に唇に歯が当たってしまったようだ。暗闇でも分かる程、ぽたり、ぽたり、と写真に自分の口から血が落ちる。舌で触ると、鉄の味が口に広がった。


「健作かー? 大丈夫かー?」


 遠くから、微かに周作の声が聞こえる。先ほど転んだ音が相当だったのだろうか。たとえ昔に一緒に住んだことのある家だとしても、今は客である。特に、寺という共有スペースをいじられて、気持ちのいいものではないだろう。慌てて血の付いたと思われる写真をポケットに押し込むと、新藤は納戸をよろめきながら飛び出した。


「すまん、大丈夫だ。寝ぼけて壁に頭ぶつけちまった。起こして悪いな。あー、しかも俺、気持ち悪いんだけど」


 慌てて廊下に出て扉を後ろ手に閉めるのと、廊下の奥から周作が顔を出したのがほぼ同時だった。


「うっわ、なんか血が出てない? やば、ちょっと待て。洗面所行こう。バンドエイド貼ってやるから。こっち、こっち」


 どうやら、何も気づいてはいないらしい。新藤は写真で少し膨らんだポケットにそっと手を当てると、未だにせりあがってくる吐き気を堪えるのだった。


 翌日、二日酔いの新藤に、叔母の美代がしじみのみそ汁を出してくれた。ほっと温まる味に、頭痛と吐き気がつきまとう中、何杯でもお替りができそうな気持になる。太陽がしっかりと上る前に、子どもたちが連れ立って周作と出かける声がした。


「大丈夫か? 俺たちはいつでもお前の味方だからな。遠慮せずに遊びに来るんだぞ」


 そういう優作に心を込めて頭を下げる。境内には、今日も猫がまんじゅうを狙って忍び込んでいる。それを見つけた優作は、口元に人差し指を当てると、足音を忍ばせて箒を片手に外へ出て行った。物の怪相手に、随分と古風な戦い方である。


 幾分気持ちはすっきりとしていて、昨日よりもクリアに霊力を感じられている気がした。やはり、自分のルーツとなる一族と話すことで、精神も安定したに違いない。それに、家族の間ですべてが見渡せることなどないと、若干諦めがついたからかもしれない。


 養福寺を後にした新藤が、電車に乗って探偵事務所に帰ると、そこにはいつもの日常が待っていた。二階の開いた扉からは、ベルが興奮して鳴く声がしたし、三階からは奇妙な声が階段に響き渡ってくる。


「おーい、なんだ。あの変な音」


 事務所に入ると、早速ソファに座る凜に声を掛ける。ベルは興奮して鳴きながら走り回っているが、文太の方はソファで丸くなり耳を塞いでいる。くるりと顔を向けると、我慢できないとでもいうように叫んだ。


「そうだよな! あれが歌のわけがないよな! 言ってくれよ、もう」


 そんな文太に、凜が困ったように答える。


「もうちょっとで終わるから我慢してあげて。あれでも、ちょっとマシになったんだよ」


 聞けば、最近の大吉はカラオケ教室にはまっているらしい。我慢できずに吹き出すと、新藤は事務所の椅子にどっかりと腰を下ろした。文太の声も、よく聞こえる。順調だ。


「なに、随分と顔色が良くなっているね。ってあれ、顎どうしたの?」


 凜が嬉しそうに近づいてきた。養福寺での出来事を説明しようとして、新藤はふとポケットの膨らみに気づいた。そういえば忘れていたが、写真を突っ込んだままだ。ここまで黙っていたのだから、捨ててしまってもいいだろうか。皺くちゃになった写真を机の上に出した新藤は、何の気なしに中身に目がいった。ある意味、直感が働いたといってもいいだろう。


「なに、それ」


「ん?……いや」


 答えながら、眉間に皺が寄る。写真は新藤が想像していたよりも、ずっと古く色あせていた。しかし、そこに写っている人物は確実に見おぼえがあった。


「この写真の人、新藤さんに似ているね」


 凜の言うとおりだ。まさしくそれは、優作の若い頃の姿だった。新藤は、息子の周作よりも優作に似ていると、小さい頃から周りに言われていた。それがよく分かる。そして、驚いたのは、その隣に写っている人物だった。


「待って。この人、この間の写真に写っていた人だよね……? 理沙さん、の父親だっけ」


 新藤は戸惑いながら頷いた。確かに若いけれど、間違いないだろう。頭が混乱する。二人は、どこかの島でスキューバダイビングでもした様子である。理沙と結婚する時、詳しいことは話していない。だが、苗字は知っているはずだ。自分の友達に偶然でも同じ苗字がいたら、そのことを話題に出さないだろうか。


「あのタヌキオヤジ……。何が、一体どうなっているんだ」


 新藤は机に散らばった写真を呆然と見下ろした。事務所には、大吉のへたくそな歌だけが響いていた。


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