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35 襖の奥の秘密

「さぁ、どんどん食べてね」


 優作が寺での仕事を終え、日も落ちて暗くなった頃、奥座敷ではテーブルの上に豪勢な夕食が並んでいた。優作の妻、つまり新藤の叔母は昔から料理上手で、突然遊びに来た甥っ子に驚き目を丸くしながらも、張り切って料理を作ってくれたのだ。


「ほら、お前ちょっと痩せたんじゃないか? 駄目だぞ、働き盛りの男が。健作、そういえば仕事はどうしているんだ? あいつのところの事務所は辞めたって聞いたぞ」


 大皿にのった煮物をつつき、ビールを豪快に喉に流し込んでから優作が聞く。『あいつ』とは、優作の弟であり、新藤の父のことだ。二人は昔からそりが合わず、お互いをこんな風に呼ぶ。新藤と兄の関係にもよく似ていることからも、ここは本音で話せる大切な場所だった。


「ほら、事務所には兄さんがいるから大丈夫だろ。俺は、弁護士の資格はとっていないしね。それに、理沙の件もあったから。全然連絡なんてとっていないんだ」


 新藤も同じくビールをグラスの半分ほど一気に飲むと、大きく息をついて続けた。襖の奥では、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。なにやら、週末の今日はお泊り会をするらしい。一緒にご飯を食べるとうるさいから、と部屋を分けてくれたようだ。


「『あいつ』ももう少し丸くなればなぁ。俺も小さい頃は、兄弟比べられて嫌な思いをしたさ。どうしたって、優秀なのは弟君だったから。俺は寺を継ぐのが決まっていたから跡取りなのに、両親がいつだって気にするのは弟で、怒られるのは俺だったよなぁ」


 新藤が小さい頃に父親から聞いた兄弟間の話は、また別の受け取り方だったが、敢えて水をさすようなことは控えた。困ったように笑い頷くと、優作は満足そうに微笑む。


「いい大学に入って、あっさりと弁護士になって、自分で事務所まで作って。今では結構大きくなっているみたいだし、『あいつ』みたいなのをやり手っていうんだよな」


「まぁ、俺からしたら叔父さんもやり手だよ。寺で色々やっているみたいだし、子どもが集まるくらい、近所で好かれているし」


「今でこそ、だけどな。これも息子の周作が頑張ってくれているんだ。俺は兄弟で争って欲しくなかったから、息子は一人って決めていたんだ。おかげで、自由奔放の好き勝手な奴になっちまったけどな」


 口ではそういうものの、優作の日々の充実さが満面の笑みから読み取れる。周作の嫁も料理を出してくれた時、優作とのかけあいは本当の親子のようだった。堅苦しい実家の雰囲気とは似ても似つかない。安心感からか、新藤の酒も進んでいく。


「俺も寺に生まれたかったなぁ。うちの方の家系にはない力が、俺にはちゃんとあるし。おかげで、幽霊探偵事務所だってできているわけだし」


「おお、そうだったよな。うちの寺にも祈祷してくれって本当に色々来るぞ。三代後まで呪われそうな代物もあるし、檀家の勘違いもあるけどな。でも、『あいつ』の事務所を辞めてまで始めたのは、やっぱり理沙ちゃんのためなんだろう?」


 コトリ、とグラスを置いて、新藤は視線を落とす。アルコールが回って、頬が熱い。


「……理沙が、何を調べていたのか。どうして俺が蚊帳の外だったのか。もう信じていいのかさえ分からないんだ。あの幸せは確かにこの手にあったはずなのに、まるで夢だったみたいだ。俺は、実家で悩みとか相談できなかった。だから、晴人には普通の温かい家庭を過ごさせてやりた……」


 そこまで話すと、もう押さえられなかった。どこで、何を間違えたのか。自分が幸せだからと、どうして胡坐をかいて平和に酔いしれていたのだ。何かが、確実に起きていたのに。涙が溢れてテーブルに顔を伏せる新藤の背中を、優作がそっと撫でる。


「理沙ちゃんは、お前のことを大好きだったじゃないか。ほら、いつだったかな。家族でキャンプに行ったら、お前が蜂に追いかけまわされたって笑って話していたぞ」


「……違うんだって、叔父さん。あれは、晴人が間違えて蜂の巣の近くでおしっこをしちゃって、俺たちが驚いて……」


 昔話に思わず顔を上げて、涙を隠すように拭きながら反論してから、ふと新藤の言葉が止まった。優作は、相変わらず上機嫌で笑った後、新藤の背中を叩いた。グラスを持つ手が震えた。


「あれ、叔父さん。俺その話したっけ? その頃、俺たち家族ってあんまりここに来ていなかったし、それから結構すぐ理沙たちは」


「そうだったか? いや、理沙ちゃんと晴人は、お参りだといって二人で何回かここに遊びに来ていたから、その時に聞いたのかもしれないな?」


 優作が笑顔を崩さず、しかし少しだけ早口になったことに新藤は違和感を持った。理沙と晴人が二人で、ここに来ていたというのか。確かに、晴人の従兄がいるから遊び相手になるし、結婚をすれば理沙も親戚の一員だ。寺という組織上、人を受け入れる体制なのも珍しくはない。だが、理沙からそんなこと聞いたことがあっただろうか。


「お、珍しい客じゃん! 健作、久しぶりだなー! お前が来ているって聞いて驚いたぞ」


 障子を開けて入ってきたのは、まさに話題の周作である。優作と周作が一瞬目くばせをした気がした。しかし、袈裟を着て、檀家のところから戻った様子の周作は、「すぐに着替えてくるから、待っていろ。うまい酒があるんだ」と、挨拶だけして姿を消した。


「理沙は、隠し事ばっかりだな」


 新藤が吐き捨てるように呟くと、優作は意外にも低い声で遮った。


「ある一面だけで、決めないことだ。いつかきっと、分かる時がくるかもしれないだろう」


 その声音に驚き、真顔で優作の顔を凝視する。すると、すぐに笑顔に崩して優作は声を小さくした。


「実は、俺だって秘密がある。確かに、『あいつ』とは仲が良いとは言えない。でも、信頼しているんだ。なぜなら、『あいつ』は肝心な時に俺を守るんだ」


「え、父さんが? 叔父さんを?」


「そうさ。昔、俺と『あいつ』が小さいとき、夢中になったのが近所に住む美代ちゃんだ。一緒に川に遊びに行って、俺は美代ちゃんを川に突き落とした」


 あまりの告白に、新藤は口に含んでいたビールを吹き出しそうになって、大きく咽た。


「オヤジが霊を退治する時に、背中をこう、叩いていてな。あれを真似してみたんだ。もちろん、何も憑いていなかったが。俺は慌てて水に飛び込んで、美代ちゃんを岸に助けあげた」


「好きな子をいじめる、的な感じだな」


 がはは、と高らかに笑った後、優作はまじめな顔になる。


「親は大騒ぎさ。美代ちゃんは、背中を押されたというし。普段の親なら、真っ先に『あいつ』ではない方を疑っただろう。まぁ、事実だしな。でも……」


「もしかして」


「そうさ。『あいつ』は自分がやったと言ったんだ。俺のことも責めなかった。その時の俺は、ヒーローだった。あいつは自分が請け負えば、丸く収まると思ったんだろう。両親は、あの時の犯人を『あいつ』だと思ったまま、あの世へ行ったよ」


 つまり、家族の中には秘密はある、といいたいのだろうか。


「なにー、なんの話をしているのー?」


 障子を開けて入ってきたのは、熱燗を盆に乗せた叔母と周作である。いつの間にか子供たちは風呂にでも行ったのか、襖の向こうは静かになっていた。


「なんでもないよ~、美代ちゃん」


 すでに酒で出来上がった優作が、叔母の腕にまとわりつように頬を寄せている。呆れたように周作が笑い、新藤の前に腰を下ろす。今夜は、思いっきり飲んでやると心に決めた。


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