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20 時の指輪

「もう大丈夫だと思う」

 瞳の声が、狭い弾薬庫に響いた。自分の声のせいで、兵士の亡霊に気づかれてしまったことが後ろめたく、俊太が黙っていると、瞳が笑って言った。

「気にしない方がいいよ。あいつら、確かに目ざといけど気まぐれなの。時々走ってくるから、本当に気づかれたかは分からないの。それに、私もよく追いかけっこしているから」

「そんなわけがないだろう。大丈夫なら早く出ようぜ」

 相変わらず、高石の憎まれ口も続いていたが、俊太を責めなかったことはありがたい。一方、ずっと文句を言っているのはさゆりだ。

「私、足を怪我しているって知っているよね。これで余計痛くなってきたんだけど。帰ったら病院代は払ってよね。ううん、帰りの船代も出してくれても良くない?」

 自分でも、なぜこんな文句をいう女に気持ちが昂るのか謎だったが、思わず頷く。

「本当、ごめん。病院にも付き添うし、ちゃんと言って。コテージに湿布もあるし」

「馬鹿じゃないの」

 もはや、自分でも高石に言い返す気になれなかった。瞳はそんな三人をよそに、弾薬庫から外へ体をするりと出した。目で、続くように合図する。壁に背中をつけて様子を窺いながら、高石、さゆり、俊太の順で進んだ。亡霊から逃げるために、一行は一度地下二階の小さな倉庫へ降りていた。数段の階段を上り、耳を澄ませる。すると、足音はしないものの、動物的な感覚か何かの気配を察知した。それはみんな同じだったようで、瞬時に緊張が走る。そして、弾薬庫に再び姿を戻そうか確認しようとしたところで、先頭で声が漏れた。

「おオ、瞳。ここにいたのか」

「お父さん! 今日の守備はどう?」

 出会い頭にぶつかりそうになったのは、どうやら瞳の親族らしい。軽くハグをした二人は、早口で状況を伝え合う。

「すでに入手は可能。でもさっき、日本兵に見られたとは思う。撃たれかけたが、伏せて目くらましはした。あいつらの視界は狭いだろう。だから、あとはこれをセットしてくるだけだ。だが、こっちも問題があってな」

 恰幅のいい男がそういうと、背後から頭が複数顔を出した。

「俊太たち! 無事だったのか」

 暗がりで顔はきちんと見えなかったが、新藤の声が届く。恐らく、穴に落ちた自分たちを探しに来てくれたのだろうと合点する。やはり、サークルの部長は新藤しかいないと改めて思ったところで、ふわりと生暖かい風を感じる。

「遊んでくれて、ありがとうね」

 そう耳元でささやかれ、俊太は鳥肌をたててのけぞった。

「な、なんだよ!」

 耳に息を吹きかけられたような、そんな近さだった。だが、誰もその声に反応してくれない。瞳と男の会話では、すぐに地上に出た方がいいとのことだったからだ。

「亡霊が欲しがっているのは、将官の遺骨だ。俺はこの後、兵の陣地にこれを置いてくる。運がいいことに、今日は敵の姿は見ていないから、すぐ終わるだろう。だが、こんなに大人数でうろついていると、憑かれる割合も上がる。面倒を避けるためにも、早く地上に出て、怪我人の手当てをしてやるんだ。瞳、頼んだぞ」

 男の指示に、瞳が了承している。そこからは、早かった。迷うことなく階段までたどり着くと、瞳の後に女子、そして男子が続いた。正面の入口から差し込む光が見えた時は心底ほっとした気持ちで、腰が抜けそうだったとは言えない。俊太は、暗闇から出て足から血を流しているさゆりを見て、水で洗おうと声をかけた。他の者も、みな一様に座り込んでいるようだ。それだけ、地下は数メートル先だけの世界なのに、異様な緊張感があった。

「はぁ、やっと外に出られた。勘弁しろよ。誰だよ、あんなところに行こうって言った奴」

 早速、高石が皮肉を言う。みんなの視線が理沙に集まったものの、新藤がそれを遮るように引き取った。

「待てよ。最初に城跡に入りたいって言ったの、あいつだよな。……あれ」

 だが、その後が続かないようだ。俊太もそれをフォローしようとして、止まった。

「そういえば、いつのまにかいなくなったな。……もしかして、さっき耳元で礼を言っていた声って」

「俊太って、本当に馬鹿なの? 俺、思い当たるんだけどさ、船の上でお前が怖い話したじゃん。幽霊が来るとかなんとかって。そのせいじゃない? 呼んだから視えたんじゃない? 多分、みんな頭に思い浮かんでいる顔は一緒でしょ。あいつ、サークルにいた?」

 高石の鋭い突っ込みに、誰も反応しない。思い出そうとしても、両手の隙間を落ちていく砂のように、どんどん顔も思い出せなくなりそうだった。

「待てよ? お前、なんか約束がなんとかって言っていたよな。そうしないと連れていくとか」

 新藤の言葉に、理沙が、はっとしたように呟く。

「そうだ。顔を背けない、海で遊ばない……あとなんだったっけ……」

 誰もがパニックに陥りそうになった空気を、瞳が鋭く切り込んだ。

「大丈夫。もしかしたら、怖い話に触発されて現れたのかもしれないけど、あの子は、時々現れる幽霊だから。でも、うっかり好かれちゃうと殺されそうになるの。全員が無事みたいでよかったよ。あの子、高校の時に遊びで来た時、海で溺れて幽霊になったらしいんだよね。この島、変わっているの。私別に視える体質でもないのに、あの子や日本兵の亡霊がいつも見えて。まぁ、みんなもそうだろうけど」

「おい、もしかして理沙のこと……。だから、あの部屋でライターに火をつけようとさせていたんじゃないか」

 行動を別にしていた俊太たちが、意を汲めずに黙っていると、城から出てきた瞳の父親だと名乗る男が大きく頷いた。

「そういうことか。火をつけようとしている君、びっくりしたよ。あそこは微量だけれどガスが発生していてね。将官も、ガスが原因で亡くなったらしい」

「もし火をつけたら、爆発して俺たちは……」

 新藤が、恐怖を覚えたのか呆然とする。一方理沙は、あまり興味がなさそうだ。瞳が言っていた面倒な奴、というのはあの幽霊のことだろう。腰の袋には塩でも入っているのだろか。恐らく、以前、瞳もあいつに命を狙われたことがあるのではないかと想像する。ネットで拾ったただの恐怖怪談だったが、ミス研としては貴重な経験だった。結果、全員無事だったのだからと、俊太は自分に言い聞かせる。そして、怖がりの癖に、幽霊が視えたと喜ぶさゆりに手を貸して、俊太は水洗い場を探すのだった。

 高石はいち早くコテージに戻っていた。瞳は、さゆりの怪我の消毒をすると申し出てくれたので、二人もコテージに行くことになった。俊太も付いていこうとしたが、明らかにさゆりの態度が冷たかったので、一瞬引くことにする。落とす時はゆっくりと、である。

「……本当に、藤本君のことは残念だよ。確かに同じ研究もしたし、出張も行っていた。でも、当時行っていた調査で、私は途中から離脱してしまったんだ。だから、姿を消す理由に心当たりは……。他に、何か力になれることがあれば、言ってきなさい」

 水洗い場で濡れた手足を、乾いた服にこすり付けながら歩いていると、唐突に男の声がした。思わず柱に隠れて、耳を澄ます。そっと様子を窺うと、瞳の父親と新藤、理沙が話しているようだ。

「先生のこと、考古学者って書いてありました。本当はトレジャーハンターなんでしょう?」

 理沙の声は、普段の彼女から想像できないほど切羽詰まったものに感じられた。何事だ。俊太は、一つの音も出さないように動きを止めた。

「確かに、一部ではそう呼ぶ者もいる。だが、それも昔の話だ。今はこうして娘と共に、この島の歴史を守っている」

 日々繰り返される遺骨の移動を、なぜこの親子がしているのか。確かに、不思議な話ではある。だが、物好きなど世の中にはたくさんいることを俊太は知っている。それで平和が守られるのであれば、いいではないか。

「そうだ。ひとつだけあげられる物がある」

 近藤は、そう言ってリュックをしばらく漁る。袋を何個か開けて確かめた後、理沙に右手を差し出した。その手に置かれたものが何か、俊太には見えない。

「私は昔から穴が開かない限り鞄は変えない主義でね。鞄に入れっぱなしになっていて良かった。最後に藤本君に会った時、彼は私にそれを渡したんだ。何かは言わなかったし、専門家の私が見ても一見価値はないように見える。でも気になって、捨てなかったんだ」

 それだけ言うと、近藤は大きく伸びをして、リュックを背負った。理沙の肩を励ますように叩き、森に足を向ける。話では、森の中にテントを張って暮らしているらしいから、帰るのだろう。

「新藤君、幽霊視えるでしょ」

 二人に声を掛けようか迷っていた俊太は、理沙の言葉に息を呑んだ。サークルでは、新藤と一番仲いいのは自分だと思っている。今まで、まだ数か月とはいえ色んな場所に出向いてきた。それでも、新藤がそんな話をしたことはない。理沙に向かって、新藤が何か答えているようだが、聞こえない。俊太はもどかしい思いを残したまま、コテージに戻る二人の背中を見送るしかなかった。

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