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19 時の指輪

「理沙、大丈夫か!」

 砂ぼこりが上がった先まで、数センチしかない。ぎりぎりのところで、理沙の細い腕を掴んだのが功を奏した。

「あ、……ありがとう」

 驚き、後ずさりながら振り返った理沙の両肩を支えながら、新藤は穴から離れた。マンホールほどの穴は、思ったよりも深そうで、そして暗いために三人の姿は見えない。上から呼んでみたものの、返答はない。

「あっぶね! てか、俺も落ちそうだったんだから気にしてよ!」

 山崎が早口で言い、理沙を支える新藤の右腕に、自分の両腕を絡ませてきた。

「あ? あぁ。悪い。存在を忘れていた」

「ひっど!」

 新藤は苦笑いをしながら、まだブツブツ文句を言いつつ少し離れていく山崎の背中を見つめる。この後、どうするべきなのだろう。瞬時に頭を巡らせていると、理沙が言った。

「私、ここの内部の地図らしきものも持っているよ。ミステリーツアーとかも昔はやっていたらしくて、ネットに出ていたの」

 さすがの計画力である。背中のリュックを下ろし、時計を見る。午後1時。まだ日は高いが、暗くなる前にはコテージに戻りたい。ただ、落ちた三人がケガをして動けなかった場合は、どうするべきだ。午後にある本土への船で事故を伝えるならば、せめてここに一人残るべきかもしれない。だが、理沙をここに一人残していくのも不安だ。かといって、山崎を残し、船に事情を話してくれるかは、いまいち信用ができない。もちろん、山崎と理沙だけを行かせる選択肢は皆無だ。

「よし。それじゃあ、城の中に入ろう。理沙、入口は分かるかな」

 覚悟を決めて問うと、理沙はメモした地図を広げながら強く頷いた。簡略的な道順が分かっても、廃墟の建物に入るのは勇気がいった。さらに、いつどこで壊れるか分からないことも証明済みだ。新藤が懐中電灯で照らす光を頼りに、まずは正面と思われる入口に踏み込んだ。所々建物は損壊しているが、レンガ調の壁は光を通さず、中は薄い暗闇だ。穴から落ちたと考えれば、三人は地下にいるのだろう。そして、入口の正面を抜けると上下に行き来ができる階段が見えた。

「なんかめっちゃ怖くない? 方向をちゃんと確認したいわ。理沙ちゃん、地図見せて」

 山崎はどこか不安な素振りを見せる。ペンの付いた地図を手渡すと、理沙は木製の階段に足をかけて、問題がないか確認をしている。新藤はそんな理沙の後を追うと、顔を覗き込んだ。無理をして、怖い思いをして欲しくない。だが、周囲に目を走らせながら、すぐにも階段を降りようとしている理沙に、心配は無用のようだ。

「ねぇ、今が一階の正面入り口にいるでしょ。階段を下りて、みんなが落ちたと思われる場所はこの辺。右に二回、左に二回曲がる必要があるでしょ。迷わないようにしないとね。あと、これ気にならない?」

 山崎が、理沙に地図を返しながら言う。新藤が照らすと、地下一階に【×】印がある。思わず、宝でも隠れされているのではないかと好奇心をくすぐられた。

「そもそも、みんな怪我をしていなかった場合は、落ちたところにいるなんて考えられなくない? そうなると、行き違いになる可能性がでてくる」

「何が言いたいの?」

 理沙が、小首を傾げた。入口から吹きこむ風が、外の生ぬるさが嘘のように冷たく、気味が悪い。

「つまり、まずはこの【×】を見に行かない? ほら、みんながいるっぽい場所の手前だしさ。覗いて、何もなかったら進めばいいじゃん」

「お前なぁ……。そんなんだから」

 新藤は文句を言おうとして口ごもる。すると、理沙は案外素直に頷いた。

「いいわよ。どうせ通り道だし。私もここにはちょっと興味があるの。まずは、降りてみようよ」

 意外な反応に驚いた時、階下で大きな音が響いた。幾人もの足音が、走っているようだ。さらに、直前には女の悲鳴のような声まで微かに飛んできた。三人は顔を見合わせると、誰ともなく入口を見た。

「何か起きているのかも……」

 理沙の不安そうな声を、山崎が安易にかき消す。

「でもよく考えてよ。ここにいるのって、船で来た人たちだけでしょう? しかもみんな沿岸で遊んでいたし。もし、あれが仲間だったら、誰も怪我せずに走っていることにならない? 虫でも出たのかもよ」

 さゆりは冷静に見えて、確かに怖がりだ。さらに不安要素で人に当たるところを思い出せば、あり得る話だ。

「いっそ合流すれば、一緒に遊べるね」

 物の捉え方で、ここまで物音を好意的に捉えられるのかと舌を巻く。三人は再び頷き合うと階段に慎重に足をかけた。なるべく物音を立てずに降りると、地下には黴と土臭さが合わさったような臭いが充満していた。

「うーん、それにしても暗いね。あ、次が階段は最後ね。気を付けて」

 山崎は、新藤の光を頼りに先陣を切ったが、我慢できなかったのか手を伸ばしてきた。

「先頭は危ないし、俺が行くよ。懐中電灯貸してもらっていい?」

 確かに、一番先を歩くのは腰が引ける。誰かが代わってくれるのであれば有難い話だ。懐中電灯を渡しながら、背後を守ることを宣言する。山崎がにやりと笑ったので、若干馬鹿にされた気もするが、いいだろう。地図で見た通り、まずは二回曲がったところで、該当と思われる場所へ着いた。どうやら部屋の一室のようだ。一瞬聞こえた足音や人の声は、一切しない。また、思ったよりも廃墟の中は通路の構造がしっかりしていて、明かりさえあれば古い施設を歩いているのと同じだった。まるで洞穴のような粗野なものはなく、三人さえ無事に見つけられれば地上に戻ることは容易いと思われた。と、ふいに明かりが消えたと思った瞬間、地面にガラスが叩きつけられるような音がした。新藤が声を上げそうになった時、部屋のドアが開く。そして、右手首を強く掴まれて中に引きずられるようにして入った。小さな手から考えるに、理沙だろう。状況に反して、体がかっと熱くなる。

「新藤君、大丈夫?」

 スマホの明かりが、顔の前で光る。理沙に怪我はないようだ。周囲を見回すと、数センチ隣に山崎の姿もある。

「ごめんごめん。懐中電灯落としちゃった。スマホの充電なくなっちゃうからさ、マッチかライターの火をつけたほうが良くない?」

 一瞬、山崎の顔が近すぎて驚いたことを隠したくなる。言われるがまま、鞄からたばこ用のライターを取り出そうとした新藤の手に、そっと理沙が手を置いて止めた。

「待って。ねぇ、山崎君。あんた、わざとでしょ。何を企んでいるの?」

「え?」

 新藤が山崎の顔を見た時だった。部屋の中に、新藤の懐中電灯とは比べ物にならないほどのまばゆい光が飛び込んできた。三人ともが肘で目を隠し、その根源を探す。

「どこから迷い込んだんだ。ここは、ガスが出ているんだ。遊びにくるようなところでは……お前、火なんてつけたらだめだ!」

 びくりと肩を揺らした新藤が、慌ててポケットにライターをしまう。低音で叱りつけてきた男は、顎髭を生やした恰幅の良い初老の男だった。リュックを背負い、手にはナイフまで握っている。途端に足がすくんだ新藤とは異なり、山崎がくすりと笑う声が聞こえた。

「あーあ、ばれちゃったか。よし、じゃあ骨とって逃げよう」

 男の灯りを頼りに、山崎は迷いのない動きで部屋の奥にある机と椅子に近づいた。目を凝らして、悲鳴を漏らしそうになり口元を覆う。そこには、人間の頭蓋骨と思われるものが置かれているのだ。

「ほら、早く」

 それまで冷静に場を見守っていた理沙が動く。腰に巻いていたパーカーをとると、骨をくるんで持ち上げる。

「おい、どうしてそんなものを……俺たち、みんなを探しにきただけじゃないのか」

 まるきり状況が読めない新藤をよそに、理沙と山崎が部屋を出ようとする。髭面の男も一瞬虚を突かれたように戸惑っていたが、廊下に出るように手で合図をした。そのまま、男に導かれるままに奥まで走ると、小さなドアを開けて中に滑り込んだ。四人の浅く速い呼吸が木霊する。

「……近藤先生ですね」

 理沙がまっすぐに問いかけて、男性の胸元にパーカーを押し付ける。ごろりと姿を現した白骨を腕に収めると、男性は小首を傾げた。

「どこかで、お会いしましたか」

 毛深い顔から覗く目元は優しく、理沙の顔をまじまじと見つめている。

「藤本理沙です。先生は、父の藤本幸太郎をご存知ですよね」

 理沙が名乗ると、途端に近藤は破顔した。その場の空気まで柔らかくなるような笑顔だ。

「あぁ、藤本君の娘さんですか。藤本君はどう、元気にしていますか」

「父は五年前、私たち家族の前から姿を消しました。最近、父の物から、先生と研究していた記録を見つけたんです。失踪の一か月前のことです。先生は、何か知っていますよね!?」

 今まで、こんなに声を荒げる理沙を見たことがなかった。軽い気持ちの肝試しをするために来たはずの島で、建物の崩落で消えた仲間たちを追いかけていたはずが、こんな薄暗い気味の悪い部屋で、大柄の男に詰め寄る理沙。

「なに、理沙。この人、知り合いなの? お父さんがこの人と仕事をしていたってこと? 待ってよ。俺たちがここに来たのって、偶然じゃないわけ?」

 考えるほどに混乱する。そういえば、夏の合宿の予定を立てているとき、島のホームページを印刷した紙を持ってきたのは、理沙だった。日程も予約も、頼れる仲間として任せてしまっていたが、実は彼女が来る目的はサークルの活動ではなかったというのか。

「ごめんね、新藤君。私、一人でこの人に会う勇気はなかったの。でも、忘れないで。私は、あなたを絶対裏切ったりしないから」

 今は、何を言われても答える力なんてない。このおかしな出来事に、どうすれば終止符が打てるのだろう。そう思った瞬間、ドアが開いた音がする。

「伏せろ!」

 響き渡った声に、新藤は全く理解ができていないまま床に体を伏せるのだった。

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