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10 大切な彼女

 翌日、学校が休みだと言っていた凜を訪ねると、玄関に出てきた大吉はいつにも増して迫力を帯びていた。鋭い眼光で新藤を睨むと責めるように、しかし小声で問いただす。

「おい! 凜の元気がなくなっているじゃないか! お前、昨日は何をしていたんだ」

 ほとんど殴られそうな勢いだ。だが、背後を気にしているところを見ると、こんな姿を凜には見られたくないらしい。首元を掴まれても、これなら怖くない。

「わぁ、大丈夫ですか。大吉さん」

 特に声量を変えずとも、部屋の中には聞こえるはずだ。家の中には、魚を焼いたのだろういい匂いが漂っている。理想的な朝食ではないか。思った通り、水音が途切れると、エプロンで手を拭きながら凜が現れた。反対に、怒りを炸裂されていた大吉の表情が、見る間に萎んでいく。

「おじいちゃん? どうしたの」

「なんだか、眩暈がしたみたいだよ」

「え!」

 人を殺められるのではないかと思うほどの睨みを密かに向けてから、凜に手を引かれて大吉が奥に引っ込んだ。代わりに、エプロンをほどいた凜が鞄を手に駆け足で戻ってきた。

「天気のせいかなー。最近あるみたいなの。私もなんか」

 言いながら、耳の周りを手で何度も払う。まさか、黒い影が頭部にまで上がってきたのかと心配した新藤だったが、そうではないようだ。

「何か聞こえるのか?」

「うーん、時々なんだけど。「にいな」って呼んでいる気がするの。誰かが」

「にいな?」

「……自殺した友達の名前なんだよね」

 無言になる二人の、沈黙を破ったのは凜だった。

「行こうか。友達との待ち合わせに間に合わなくなるし。ベルは?」

 凜も、どうやら犬好きのようで昨夜はベルとの別れは惜しんでいた。

「いや、あいつがいるとお店にいる時間も気が引けるし、今日は留守番。あいつも一緒に行きたがっていたよ」

 事実、ベルは新藤が出かける気配を察して、ドアの前から動かなかった。一緒に行けないと分かっていて、どうにか事務所から出ようとしたようだ。だが、攻防を経て新藤は一人で三階へ向かった。

「今日は、おやつでも買って帰らないと」

 階段を下りる足音で分かったのだろう。ベルが事務所で吠えているのが聞こえる。安心感からか、さっき部屋から出てきた時とは打って変わった明るい表情で、凜が笑った。

「私が買ってあげるよ。バイトしているから、少しはお金持ちなんだ」

「お、言ったな」

 凜のバイトしているカフェで、昨日の友達とは待ち合わせをしていた。事情を話し、まずは『こっくりさん』の経緯について知る必要があると思ったからだ。それに、友達の中で犯人捜しをしようとするなんて、普通ではない。第三者から見て、『にいな』の自殺をどう考えているのかを新藤は探りたかった。

 店に行くまでの間、凜は六人での関係を話してくれた。大学に入って、もうすぐ最初の夏休みだ。このまだ短い期間で、もめ事など起こりうるのだろうか。

「私たちは、大学入学するときのオリエンテーションで仲良くなったの。一人だけ、新名と同じ高校だった子がいる。でも、学科は同じだから授業とか一緒に受けているけど、サークルもバイト先も違うから、意外とみんなのことまだ知らないの」

「それなら、自殺した時に、どうして仲間に犯人がいるなんて思ったんだ?」

 凜は、少し悩んだような素振りを見せた後、確信はないけど、と前提した上で言った。

「反対よ。みんな、自分には関係ないって思いたかったんだよ。でも、口には出せないし、好きな人を言うとか口実を作って、何かにすがりたかったんだと思う」

「なるほど……」

「私も全然そんな風に考えていなかった。でも、昨日の夜色々考えて。でも、そうなったのも理由があるの。私たちお葬式の後に、新名の家に行ったんだ。友達の一人が、……その高校の時からの友達の子が、部屋に入ったらしくて。日記を見ちゃったんだって」

「友達が死んで、よくそんなことができたな」

 逆に、後ろめたい何かが書いてなかったのか、確かめるためだったともいえる。

「その子が、言っていたの。日記には、『殺されるかもしれない』って、書いてあったって」

 それが、事実かは日記を見ない限りわからないだろう。新藤は、友達にどこまで深堀するか考えた。一駅電車に乗るために、駅に着いた。改札を抜けて、ホームで立っていると、うるさいくらいの場内アナウンスが有難かった。これでは会話もままならない。事実を確かめようとするほど、凜を傷つけることばかり言ってしまいそうだった。すでに朝のラッシュを終えた車内はとても空いていて、否応なしに隣同士に腰かける。

「私、一泊だけど新名と旅行したことあるの。旅行って言っても隣の県の温泉に行っただけ。でも、私、友達と二人で旅行なんて初めてだったからすごく楽しくて。それなのに、新名が自殺したのって、その一週間後なの。私、何か傷つけたんじゃないかって。あの子元気がなかったような気がして」

 話しているそばから、凜が鼻をすすっている。背中の黒い影は、すでに腰まで広がり始めている。まるで、凜が彼女のことを話すたびに、大きくなっていっている気がするのは間違いだろうか。まるで、凜から離れたくなくてしがみついているように見えてきた。

 カフェに着くと、すでに四人はメニューを楽しそうに選んでいるところだった。新藤と凜に気づくと、四人は顔を見合わせるようにして笑う。どこか気分のいいものではない。

「ごめんね、集まってもらって」

 凜が椅子を引くと、ポニーテールをした女子が言う。

「いいよー。彼氏の紹介したいんでしょ」

 え、と口を開けた凜に、四人が一斉に笑う。奥から顔を覗かせたのは、昨日タオルを持ってきてくれたバイト仲間だが、心配そうに眺めた後奥に消えた。

「うそうそー。本当、凜って冗談通じないよね」

「だよねー。からかいがいがあって、可愛いんですよ」

 口々に笑いながら言い、一人が凜の頭を撫でる。だが、どうしても褒めているようには聞こえない。

「うちら、もう適当に頼んじゃったから。えっとー、二人はどうする?」

「それにしてもさ、凜っておじさん好きなんだねー。意外」

「いや、だからそれって違うって言っているじゃん。それに、お前も付き合っていただろー。不倫のオヤジ」

「それなー。最悪だったんだけど。黒歴史だわー」

 新藤は、隣の凜の顔を盗み見る。必死で笑顔を作っているが、口元がひきつっているのは明らかだ。割って入ろうかと思った時、ショートカットでボーイッシュな一人が遮った。

「凜は! どうしたの? 急ぎの用事だったんでしょ。私、午後はサークルに出なきゃいけないから、何かあるなら早めに言ってね」

 彼女の一言で、場が落ち着いた。新藤は、彼女がチーム的にみんなを引っ張っていると感じた。

「実は、新名のことなの」

 凜が切り出すと、四人のうち二人が小さくため息をついた。恐らく、この話題を度々出してきたのだろう。そして、五人で自殺の真相などを知ることなんてできないと確認し合ってきたのだ。

「またそれ?」

「私たち、大学始まったばっかりじゃん。暗い記憶を何度も植えつけられると、食欲なくなるー」ため息をついた二人が、明らかに不満げな顔で文句を言った。そして、運ばれてきた彩鮮やかなパスタに歓声を上げる。フォークを手に取った時には、凜を見てもいなかった。

「あのさ、きっと私、新名は何かに困っていたんだと思うの。旅行に行った時、あの子、私に話があるって言ったんだよ。でも、夜になったらやっぱりいいって。私、助けてあげられることがあったのかもしれないのに」

 賑やかさが増していく店内で、新藤のテーブルだけがしんと静まり返った。しばらく、皿とフォークがぶつかる音だけが聞こえる。

「あの」

 新藤が話そうとした時、再びポニーテールの女子が口を開いた。そして、笑っている。

「凜って、そんなに新名と仲が良かったんだって、主張したいの? 大丈夫だよ。うちら、こっくりさんをやって、教えてもらえなかったし。あ、凜は変なこと起きているんだっけ」

「凜は、優しいからなぁー」

「そもそも、こっくりさんで何かを見つけようって、誰が言ったんだっけ」

「うちら、ちょっとウケるよねー」

 新藤にとっては、何が面白いのか分からない。それでも、静まり返っていたテーブルは、突然笑いが巻き起こる。そして、不思議なことに凜も笑っているのだ。

「おかしいぞ、お前。新名さんが自殺した理由も、分からなくもないな」

 新藤の突然放った言葉は、一瞬の静寂の後、爆発的な騒ぎをもたらした。

「えー、なにそれ。意味分からないんですけど」

「っていうか、おっさん。凜のなんなの? 昨日から。ストーカー?」

「うけるー! マジになっているー!」

「ってか、新名って自分のことは秘密って感じで、全然しゃべらなかったしねー」

 隣の凜が、俯いている。こんな連中と、これ以上同じ空気を吸いたくもない。凜の腕を掴むと、新藤は椅子の間を縫うようにして歩き、店を出た。眩しい光にさらされながら、駅まで戻ってきたところで我に返る。ただ大人しくついてきた凜の顔を見るのが怖い。大吉に、なんといって謝ればいいのだろう。

「ごめん! 本当に! あれ、凜の友達だったんだよな。それに、学生生活が始まったばかりでこんなことして。学科とかで気まずいよな。凜がいじめられたら、俺」

 振り返った瞬間に頭を下げて、できるだけ多くの言葉で謝る。数分沈黙したあと、そっと後頭部に手が置かれた。ビクつきながら頭を上げると、意外にも凜は笑っていた。

「もういいよ。……というか、新藤! 勢いあったね。男、って感じだったよ」

 そう言ってケラケラと声を上げている。それが、強がりなのは明らかだった。それでも、凜の本音であることも感じていた。結局、彼女たちに期待できることはないようだ。この後の調査をどうしようか迷っていると、遠くから走ってくる女子が目に入る。

「おい、凜。あれ。さっきの店の」

「あれ? 加奈子だ」

 場を静めてくれたショートカットの女子が、新藤たちを見つけて手を振っている。ランチは終わっていないはずだが、抜けてきてくれたのだろうか。

「加奈子は、新名の高校の同級生だよ」

 そういえば、一人高校からの友達がいると言っていた。だから、あの反応だったのかと納得するも、追いかけてきたからには理由があるのだろう。早く、謎を解きたいという気持ちが逸る。今日は、どうにか凜は危険な目にあっていないようだが、いつ生死に直面する事態が起きないとも限らないのだ。

「凜、良かった。まだいてくれて。ごめんね、さっきはあれしか言えなくて」

 荒い息を整えるように、彼女が言う。凜は首を振りながら、お礼を言っている。

「栗原です」

 ショートカットの彼女は、礼儀正しく新藤に一礼する。つられて頭を下げてから、新藤もお礼を言った。

「新藤です。僕からもお礼をいいます。あんな空気で、凜に気を遣ってくれてありがとう」

「えっと、新藤さんは凜の」

 意味ありげに加奈子が凜に視線をやるのを見て、慌てて否定する。

「違うんだ。僕は、凜のおじいさんと仲が良くてね。今回は、ちょっと助っ人をしている」

 凜も同調するように肩を竦めた。それに安心したのか、加奈子は微笑んだ後に、逡巡した様子で口を開いた。

「新名と仲良かった凜だから……、こんなに心配してくれているし、話した方がいいと思って」

 実際、新藤が調べているのは黒い影のせいだったが、その根底に本当に自殺の問題があるのであれば、聞かないわけにはいかない。凜も、加奈子にこうして打ち明けられるのは、初めてなのだろう。戸惑うように、新藤を見上げた。

「加奈子、何か知っているの?」

「凜、驚かないで欲しいの。あと、新名の名誉にも関わるから、他言はしないで欲しい。特に、あの三人には……」

「分かった」

「あと、詳しいことは私からは話せない。私、バイト休みもらったの。この後、新名の家に行けるかな」

 新藤と凜は顔を見合わせてから、大きく頷いた。

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