バイトのシフトが終わる凜を公園で待っていると、新藤は一刻も早くこの問題を解決しなければと感じた。ベンチであやうく一眠りしそうになっていた新藤が、ベルの呼び声で顔を上げると、目の前に立っている凜の頬に絆創膏が貼ってある。これが初めてなら、気にしなかっただろう。だが、今日の傷はこれで何度目だ。
ベルは、凜にもはや懐いてきたのだろう。飛び掛かりたくてうずうずしている。そのリードを必死に手繰り寄せながら、新藤は聞いた。
「何が原因?」
「お客さんのナイフ。シフトが終わるころに、食事中のカップルが喧嘩を始めたの。別に仲裁をしたわけじゃなくて、隣のテーブルを片していた時、彼女が投げたフォークが当たって」
「そうか」
「二人は逆に冷静になって、すごく謝っていたし、仲直りもしたみたいだけど」
「キューピッドになったんだね」
もう怒る気もなくしたのだろう。力なく隣に腰を下ろす凜に、新藤は謝った。
「ごめん。さっきの話の続きだけど、『こっくりさん』は成功したの? つまり」
「指が動いたのかってことね。ううん、もちろん何もなかったよ」
「どうしてこんな目に遭っている原因だと思うの? 他に誰か同じことが起きているとか」
「ううん、それもない。だから、原因は違うのかもしれない。むしろ、実は、みんな私のことを気味悪いって感じで見始めている。かまってちゃんだと思っているのよ」
「誰かに心配してほしがっているってことだね。念のため聞くけど」
「そんなわけ、ないでしょ」
ちらりと凜の背中を確認した新藤は、焦りを覚えた。朝は右側だけを取り巻くようにかかっていた靄が、今では左半分まで広がっている。この影が大きくなるほど、もしかしたら危険な事故は大きくなっていくのかもしれない。これが人の恨みなど感情で呪われているものか、生霊そのもののか早めに判断をしなければならない。公園は人通りが少なく、家に帰る距離さえ心配だ。新藤は、背負っていたリュックをとると、中をまさぐった。
「やっぱり、あんな降霊術なんてやっちゃいけないのよ。昔、お母さんにも怒られたことがあるの。操ることもできないのに、霊なんて関わってはいけないって。身を亡ぼす原因になるって知っていたのに」
肩を落として、今にも泣きそうな凜の背中に、新藤はゆっくりと手を伸ばす。瞳に涙をこぼれそうなほどためた凜が、新藤を見上げる。そして、新藤が一気に凜の背中を片手で張った。バチン、と平手打ちされた音と、凜の痛みに上げた悲鳴が重なる。同時に、一瞬閃光が走った。ベルが興奮してリードが引ける限界の場所まで走り回る。だが、それも何をしているのかを目を凝らすと、凜の背中から一瞬離れた黒い影が、地面を逃げるようにはい回っているのだ。それをベルは捕まえようと走っていた。
「ベル、やめろ!」
無暗に触ってほしくない。だが、新藤がベルに注意をひかれている間に、それは凜の背中に這い上がるようにして戻っていた。
「ちょっと、何をしたのよ!」
訳が分からず混乱している凜に、新藤が慌てて説明する。
「ごめん、こういうのは不意をつくことがいいんだ。油断している間にこれ、えっとうちに代々伝わるお札なんだけど、これをちょっと貼ってみた」
「貼ったっていうより、ぶったって感じだったけど」
「……ごめん。でも、とにかくこれの想いが強いみたいで、やり返されて火花がでたんだ」
ほとんどが燃えカスとなったお札を、新藤はリュックに戻す。
「思っていたより原始的な退治方法なのね。もう無理なのかも。帰ろう、おなか減っちゃった。おじいちゃんのご飯も作らないと」
「待って。もう一個だけ」
立ち上がった凜の背中に、新藤は勢いよくペットボトルの水をかけた。ほとばしる水に目をつぶり、予想していたことだが、顔にかかった水を手で拭くと、凜が鬼の形相で立っていた。ベルは喉が渇いていたのか、新藤の手元のペットボトルから垂れる水を、懸命に舐めている。
「だ、か、ら」
「ごめんって。でも、さっきも言っただろう。不意打ちが必要なんだ。でも、今回は全く背中から動かなかったよ。あれ、なんか薄くなった気もするけど……気のせいか」
「それにしたって。びしょびしょじゃない!」
「もう、何ももっていない。本当だよ! これで除霊できたらって思っただけで。言っただろう? 何か理由があるはずなんだ。それを探っていこう」
「ほかの友達は、なんともないのにどうして私だけ」
どんなに維持をはっていても、まだ大学生だ。不安で泣きそうになる凜を励ましながら、新藤はベルと一緒に、三階の大吉の元へ送り届けたのだった。