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08 大切な彼女

  大学は、昼時ということもあってか構内に学生が多く行き交っていた。キャンパスはかなり広いようで、いくつもの建物がある中、見つけたのは教育学部の建物だった。原付で来たのはいいが、ベルがうろついて心配していたものの、どうやら地元の住民も犬の散歩をしているようで特に注目を浴びることもなかった。念のためリードをつけると、待っていたかのようにベルが先陣を切る。

「なんだお前、まさか匂いで分かるのか?」

 冗談で声をかけたものの、振り返って口角を上げたように見える表情から、ベルは自信をもって進んでいるようだった。面食らった新藤が後をついていくと、建物のテラスでランチを広げている凜の姿が見えた。

「まじか。すごいな」

 新藤の足元に座り、得意げに鼻を上げる犬を見て、すごい生き物をもらってしまったのではないかと感動していると、凜が気づいたような。

「げ」

 顔を向けると、サンドウィッチを頬張っている顔が、絶妙に歪んでいる。周囲に座る

四人の女生徒が新藤と凜を見比べていた。

「だれ? お父さん?」

「さすがになくない? 彼氏だったりして」

「ちょっとー凜、だから久保田先輩のこと振ったんだー」

 代わる代わる、彼女たちは同じような声音で言う。その声が重なっていく度に、凜の眉間の皺が深くなっていく。

「違う! あんた、なんでここにいるの!」

「いや、待てなかったから仕方ないだろう」

 新藤の言葉に四人が悲鳴のような歓声を上げ、さらに凜が鬼の形相になる。しかし、『怨霊がついているから心配で』と枕詞をつけることは、できるはずがない。

「なにをばかなことっ! ちょっと来て!」

 語気が強いのは遺伝だろうか。勢いよく立った凜の足がテーブルにぶつかり、はずみでサンドウィッチが地面に転がる。瞬発的に反応したベルの首根っこを、新藤は押さえて叫ぶ。

「おい! 朝ごはんはさっき食べただろう。意地汚いぞ」

 言う間もなくぺろりと飲み込んだベルを叱る、新藤。さらにその腕を強く引きながらその場を去る凜たちを、四人は呆然と見送るのだった。

 校舎の陰まで来ると、凜はそっと腕を離し気分も落ち着いたようだった。

「ごめんなさい。朝、そういえば私言い過ぎちゃったよね。怒っているんでしょう? 私、昔から何も考えずに行動しちゃうところがあって……。恨んでいるとかなら許して。これからしばらく、夕ご飯とか分けてあげてもいいし」

 しおらしく胸の前で両手を合わせ、視線を下げて謝る凜を見て、新藤はほっとした。やはり、大吉の孫である。うまくあのビルでご近所さんとしてやっていけるだろう。

「そうだね。夕ご飯のおすそ分けは大歓迎。なにせ、俺はこいつと二人暮らし」

 サンドウィッチは弁当だったのあろう。相当旨かったのか、ベルは舌を出して嬉しそうに吠えた。

「でも、大吉さんに聞いてまで、ここに急いできた目的は他にあるんだ。君、朝も階段で大きく転びそうになっただろう。何日か前に、腕もケガしているようだし」

 新藤の言葉に、凜が警戒心を見せる。大吉に聞いたことを嫌がっているのかとも思えたが、どうやら違うらしい。左腕を隠すように背後に回すと、表情が硬くなった。

「別に。私、おっちょこちょいでもあるの」

「嘘だね。君は、朝事務所を出ていくときに、背中を払っていただろう。それが無意識だとしても、何か違和感を持っていることは間違いない。気づいているんじゃないか? 何かに狙われているって」

「なにそれ。全然、意味が分からない。もう、どっかいってよ」

 凜が言い終わらないうちに、ベルが一声大きく鳴いた。驚いて飛びずさった凜の脇を、何かがかすめるように落ちた。地面で割れたそれは、植木鉢だった。咲き終わりかけた花の苗が、生気を失ったように転がっている。凜は、それを見た瞬間の、今にも泣きそうな顔を見逃さなかった。

「すみませーん! 大丈夫でしたか?」

 見上げると、数階上から男子生徒が身を乗り出している。どうやら、校舎の壁に看板を設置しようとしているようだ。

「大丈夫だー! でも、気を付けるんだぞー!」

 手を上げて新藤が叫ぶと、男子生徒はぺこりと頭を下げて、引っ込んだ。先ほどまでの勢いはどこへやら。しゅんとうなだれた凜の足元を、心配そうにベルがくるくると回っている。時折、背中に向けて吠えるのも、何かを感じているのだろう。

「行こうか」

 凜によると、授業は午前中で終わっているようだ。大学を出て、凜のバイト先でもあるカフェまで行こうとして、その異常さを感じた。まず、キャンパスを出るまでに自転車がぶつかってきたのが一回。さらに、赤信号なのに猛スピードで直進してきた乗用車に轢かれそうになったのが一回。最後に、店に入ろうとしたタイミングで、店の軒先にできていた燕の巣から、凜の頭にフンが直撃したのが一回。どんなに立ち位置を変えたとしても、被害に直面するのは凜だった。ベルのリードを店先につなぐと、とりあえず店内に入る。

「ここまでくると、もはやすごく不運な人って気がしてきたな……」

 隠しきれずに漏らすと、凜は店員であるバイト仲間が持ってきた濡れたタオルで頭を拭きながら、新藤を睨んだ。

「そんなことないですよ。凜ちゃん、すごく仕事も早く覚えてくれて助かっていたんです。最近、なんでか上手くいっていないだけだよね」

「先輩、ありがとうございます。ランチで混んでいるのにごめんなさい。私、大丈夫ですから。話が終わったら、ちゃんとシフトにも入れます」

 新藤は、自分と話す時とまるで別人のような様子に目を丸くした。先輩と呼ばれた男性スタッフは、安心したように一礼するとテーブルを離れた。

「なによ」

「別に。仕事はちゃんとするんだなって思っただけ。俺にもああやって話しなよ」

「はぁ? 家賃も払えない人が何を言っているのよ! 大人っていうのはね」

 恥ずかしさからだろう。再び勢いを盛り返した凜を手で制すると、まずは誤解のないように家賃は支払ったことを伝えた。大吉の裏表だけは、情けとして黙っているとする。そして、改めて凜が両手を合わせて謝ったことを見届けると、この不可解な出来事の心当たりを問う。落ち着いたことが分かった店員が注文を聞きに来たので、新藤はコーヒーを注文した。すでに昼食を食べただろう凜に、社交辞令として注文を促すと、あろうことか鯖サンドを食べるという。

「最近、食欲がすごいの」

「……まぁ、若いから」

 その一言で濁し、改めて凜の話を聞こうとした。

「さっき、言っていたでしょう。私が背中を払っていたって。あんた……ううん、新藤だったよね」

「呼び捨て……」

「どうしてわかったの?」

 言葉とは裏腹に、目には真剣な光が宿っている。その視線を逸らすことなく、新藤も答えることにした。

「信じてもらえるか分からないけど、俺は家系的に霊的なものに強い。強いと言っても力じゃなくて、視えるんだよね。それもあって、そういうジャンルの探偵をしている」

「つまり、幽霊を退治してくれるってこと?」

「うーん。その言い方は正しくないかな。人や魂がこの世に残るのは、必ず理由があるんだよ。俺は、その手助けがしたいと思っているんだ」

 新藤の言葉に、嘘や偽りはない。だが、凜は馬鹿にするように鼻で笑うと、ちょうど運ばれてきた鯖サンドにかぶりついた。半分ほど平らげてから、凜はナプキンで口元を拭う。

「信じられないかもしれないけど、私は人の気を感じることができるんだ。新藤は、そんなに純粋な気持ちだけで、この仕事をしていないはずだよ」

 悩みを聞いてあげるつもりで語り続けていた新藤は、思わぬ凜からの攻撃に心臓がちくりと痛んだ。そして、ごくりと唾を飲み込む。

「それって……君も」

「家系的なものだと思う。でも、父方ね。つまり、大吉おじいちゃんとは別の方。みんな隠しているけど、何か視える人もいるみたいだから、新藤の言葉も嘘だとは思わない」

「え、じゃあもしかして」

 大吉が必死に取り繕っている弱々しさなんて、とっくにこの娘にはばれているのではないだろうか。そう続けようとして、凜がまっすぐ見つめていることに気づいた。そうか、分かっていて、優しくしてあげているのだ。それに気づいた途端、新藤は急に凜が可愛らしく思えた。

「へー」

 それが伝わったのだろう。凜は「うるさい!」と文句を言い始め、鯖サンドを完食した。

「だから、私は何かを感じるけれど、対処はできないんだ。でも、おかしいことは分かっているから大丈夫」

「大丈夫じゃない。このままだと、本当に命が危ないよ。よかったら、話を聞くから」

 二人の間で、空気が初めてやわらかく通じ合うのが分かった。凜が、周囲の人間がみんなそれぞれの話に夢中なのを確認してから、やっと口を開いた。

「心当たりは、あるの。実は、さっき一緒にお昼を食べていた友達いるでしょう。みんなで、放課後に『こっくりさん』をやったんだ。こんな風に色々起こるようになったのは、あれ以来なの」

 凜が後悔を滲ませるように早口になる。それか、怖かった記憶を思い出したくないのかもしれない。

「こっくりさんって、あの五十音を書いてやるやつ……?」

 新藤は、想像していないかった答えに戸惑う。小学生のオカルト談義になりそうな雲行きに、両手で顔を覆った。

「そうよ。誰でも一度は通る道じゃないの? 紙に鳥居のマーク、ゼロから九までの数字、男女の文字、あと五十音を並べて書いてから、こっくりさんを呼ぶの」

 そもそも、『こっくりさん』は新藤が小学生の時にも存在していたオカルトだ。確かに、女子生徒の間で行われ、怒る教師もいた。江戸時代から行われたというそれは、狐の霊を呼び出す降霊術だと言われているものの、実際は潜在意識による自己暗示や筋肉疲労説が有力だ。だが、数人で集まって行うことで、集団ヒステリーを引き起こしパニックになる人もいるので、禁止している学校もあるという。それをわざわざ、大学生の女子生徒が遊びでやっていたのかと思うと、新藤は馬鹿らしくなってきた。

「好きな人でも当てようとしたの?」

 呆れている気持ちが滲んだのだろう。凜は、少しだけ怒りを含んだ調子で言い放った。

「先月、私たちのグループの一人が自殺したの。その犯人を、あぶりだそうとしたのよ」

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