建物の中は、夜になってしまえば静かなものだった。だが、時折すれ違う人間の目つきは鋭く、どこか観察されている気になってしまう。場所からの偏見かもしれないが、友人の姿を見つけた時にほっとしたのは言うまでもない。
「俊太!」
廊下の先にいる友人は振り返ると、眉間に皺を寄せた。
「おい、お前の探偵事務所、いつから犬を飼っているんだよ。知っていたら行かないって」
「お前、その犬嫌い少しはどうにかしろよ、不便だろう。お前を噛んだのは小さい野良犬で、しかもあれはお前が悪い」
「なんだと! あれが小さいって。どうみたって俺より数倍はでかくて」
今や一メートル八十センチはある友人が、記憶を捻じ曲げているのを見て否定するのも面倒になった。そして、解決すべき問題は他にある。
「まぁまぁ、刑事さん。写真を届けてくれたのは悪かったな。あの犬、あの子の家で飼っていたんだよ」
「じゃあ、やっぱり高校生の子は」
「道川玲奈で間違いないな」
「両親が死んだってことは、伝えたのか」
「あぁ、さっき。記憶がないからか、さほど本人はショックを受けていないように見えたけど。でも、どうやって話すべきか。叔父の男とは少し話をしたけど、怨恨って感じか?」
夜の警察署には、限られた人間しかいない。だが、外部の人間と事件について話しているのは不味いのだろう。俊太は、辺りを確認してから小声でつづけた。
「殺された父親と、現場に来た弟の仲は、最近良くなかったようなんだ。一緒に学校経営をしていると言ったけれど、金の問題で言い争っているのを聞いた人がいてな。そっちの裏をとっているところだ」
「凶器は出てきているのか」
「いや、まだだ。だが、昨夜遅くに訪問者があったことは分かっている。ただ、おかしいのは車のナンバーが他県だったらしい。隣の家の住人が帰ってきた時に、不思議に思ったと」
「なるほど。もしレンタカーだったら、すぐに分かりそうだな」
「そうだな。そういや、お前はどうしてここに」
「そんなの刑事のお前に礼を言いたくて……っていうのは嘘で。もう一つ重要な情報を持ってきた。もしかしたら、解決の糸口になるかもしれないんだけど」
「なんだ」
「玲奈だよ。今は記憶がないけれど、唯一覚えているのがベルのことだった。仲が良いペットだからという理由もあるかもしれないけど、きっと記憶を失う時に印象に残ったからだろう。はっきりと大型犬というのも覚えていた」
「つまり、何が言いたい」
俊太は、壁に寄りかかって腕を組んだ。こいつは昔から人の話を聞かない、新藤は焦らずに順を追って説明したかった。
「玲奈も、その場にいたんじゃないかってことさ」
「お前、それはないだろう。昨夜、玲奈は離れた他県にいた。それはみんなが証明できる」
「現場を少し見たけれど、あの家は広い。でも、ペットがいるだろう。金持ちがペットの様子を知るために設置するもの、ないか?」
そこまできて、俊太の顔色も変わる。
「もしかして、ペットカメラか?」
新藤が大きく頷く。目立った場所には置いていなかったけれど、可能性としてはあるだろう。そこを見れば、両親を殺害する何者かを玲奈が見てしまったことも考えられる。問題は、それをどう見るか、だ。新藤は、付け足すように言った。
「ただ、あれはカメラ自体に録画機能はないはずだ」
「ということは、あの娘のスマホを見てみるしかないってことだな」
俊太が素早く身を翻した。慌てて新藤も後を追い、二人は階段を下るのだった。