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04 少女の記憶

 体に力が入らない。

 探偵事務所のソファで横になっていた玲奈が目を覚ますと、部屋の中はすでに薄暗かった。どうやってここまで戻ってきたのかさえ、あまりよく覚えていない。新藤の前から勝手に消えてしまって、不審に思っているかもしれない。体を起こすと、部屋の奥の本棚に人影がある。新藤も帰ってきていたのか。

「さっきはごめんなさ……」

 そこまで言って、違和感に気づく。人影の服装はスーツだ。そして、新藤よりも体つきががっしりと逞しい。さらに言えば、ここまで部屋の中が暗いのに、電気をつけないことにも違和感があった。口元を両手で抑えたのもつかの間、男が振り返る。きっと、暗くて玲奈が寝ていることに気づかなかったのだろう。男は漁っている様子だった本棚から手を離すと、じっと入口に目を凝らした。何かが階段を駆けがある足音。そして、相変わらず開けっ放しのドアから飛び込んできたのは大きな犬だった。

「ベルっ!」

 玲奈の姿を探してたどり着いたのだろうか。ベルは一目散に玲奈の脇までくると、嬉しそうに尻尾を振って顔を舐めてくる。男は動揺した様子でベルから距離をとると、玲奈の方を注意深く見つめつつ、そっとドアから姿を消したのだった。

「……ベル、ありがとう……。ベルのことは、ちゃんと思い出したよ。でも、あの家にいたのは私の両親なの? そして、二人は……」

 ベルがなぐさめるように頬を舐めてくれる。頭をなでていると、ふとテーブルの上に数枚の写真が置かれていることに気づく。同時に、部屋が突然明るくなった。入口に新藤の姿が立っている。

「おお、戻ってきていたか。って、なんだその犬」

 ベルが興奮したように一声鳴く。そして、新藤の足元にじゃれるようにまとわりついた。だが、新藤は文句も言わずに部屋の奥のドアを開け、すぐに中から流水音が聞こえた。トイレから出てきた新藤は、数秒迷ったように両手を見つめた後、両手をズボンの尻にこすりつける。

「マジか。ここの建物って動物いいんだっけ。犬の餌なんてないよなぁ。あ、俊太が来たんだな。あいつ、写真だけ置いていきやがって」

「あ、さっきいた人? ベルに驚いて出ていっちゃったの」

 新藤の知り合いだったのか。もう少し、きちんと挨拶をするべきだったのかと反省する。だが、新藤はまるで気にしていない様子で笑った。

「あぁ、あいつ子供の頃に犬に足を噛まれたって言って、苦手なんだよ」

 だから、あんなに怯えていたのだ。だが、それよりも玲奈には気になることがあった。どう切り出そうか迷っていると、新藤がソファの正面に座った。写真を数枚めくって、玲奈をまっすぐ見つめてくる。

「あいつ、朝に話した刑事の友人だ。君かもしれない子の写真を持ってきてくれたんだ。在ったよ。まぁ、もうすでに君が誰か分かったし、あんな事件もあったから今さらなんだけど……」

「私は、あの家の子供なのね」

 新藤は頷き、数枚の写真のうち一枚を選ぶと、玲奈の前に差し出した。証明写真のようなそれを見ても、自分だとピンとこない。だが、事件に巻き込まれたことは分かった。

「両親は、生きているの?」

 問いかけたものの、急に眼を逸らした新藤を見れば明らかだ。

「死んでいたのね。私も、そこで誰かに襲われて、逃げ出したのかしら。それを、きっとこのベルが助けてくれたのかも」

「ご両親は、何者かに刃物で刺された失血死だった」

「ちょっと待って。私が犯人っていう可能性もあるんじゃない? 何かの理由で、私たちは言い争いになった。両親を刺して、私は逃げて」

「いやいや。刺し傷はかなり深かったみたいだし、女の子の力じゃ無理だよ。それに、昨夜、君が出かけていたことは叔父さんが証明してくれたよ」

「え? 叔父さん?」

「そうだ。さっき君は会わなかったんだったね。遺体の確認を含めて、君の叔父さんと少し話す時間があったんだ。君のことも話していたよ……心配していた。ただ、君のご両親と叔父さんは、少しだけ問題を抱えていたようだよ」

 そうだろう。両親がこんな状態になったのに、姪に会いにこようとしない叔父である。きっと仲が良くなかったのだろう。新藤が記憶喪失を明かしたとしても、状況は変わらないかもしれない。自分には行く場所がないのだと思い知らされ、足元に凛々しく座る犬の首に腕を巻き付けるようにして抱き着いた。 

「君はこのソファを使って。俺は、調べたいこともあるし戻ってこないかも。ベルがいるからきっと大丈夫だろう」

 朝は、あんなに自分のことを思い出せなくて不安に駆られた。世界で一人ぼっちで置き去りにされたような孤独感。誰も見向きもしてくれないことが、悲しかった。でも、今となっては自分のことを知っていくことが怖い。その気持ちに背を向けるように、ただぎゅっと目をつぶって丸くなるしかなかった。

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