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探偵には視える
松元千春
ミステリー警察・探偵
2024年07月17日
公開日
84,395文字
連載中
探偵・新藤の事務所には、様々な困った客が舞い込んでくる。事件をきっかけに事務所に居座るようになったのは、ゴールデンレトリバーのベルにラグドールの文太、そして大学生の凜。一見普通の探偵事務所だが、彼らには『幽霊が視える』という共通点があった。「人や魂がこの世に残るには、必ず理由があるんだよ」。自らの能力を使って、この世に留まる霊を助けようとする新藤には、理由があった。大切にしていた妻と子供は、数年前に突然目の前から消えた。その痕跡を辿るように、新藤は今日も事件と向き合っているのだ。この世のものではない何か、をつなぎ合わせた先に待つのは、果たしてどんな結果なのか……。

01 少女の記憶

 朝日を体中に浴びて目が覚めることなんて、初めてだった。しかも、眩しさに目を開けると、目の前を大人たちが平然と行き交っている。だが、みんな変人に関わりたくないとでもいうように、私に視線を投げることもない。体を起こすと、頭に鈍い痛みが走る。どうしてこんなところで寝ていたのだろうかと思い出そうとして、眉間に皺を寄せた。ぼんやりと人の流れを見ながら呟く。

「……私、どこから来たんだっけ」


  ※

 仕事の依頼がないのは、いいことだ。仕事の依頼がないことは、幸せだ。なぜなら、世の中がそれだけ平和で、また人類の誰もいがみあっていないということだからだ。まどろみながら、探偵事務所の主である新藤健作はソファに転がったまま大きく伸びをした。テレビをつけつつ、朝ごはんにコーヒーと牛乳のどちらを飲もうかと考える。

「十月に行われる大統領選挙に向けて、アメリカ……」

 音量を上げて、チャンネルを変える。

「……コンビニ強盗の発砲事件で犯人は二日逃走していましたが、今朝逮捕されました。六十代の……」

 世の中、事件と事故のパレードである。

「昨夕、〇〇県で発生した山道事故の続報です。バスは私立高校の修学旅行の帰りで、生徒三十五名と先生、運転手のうち、十名が死亡。病院に運ばれた……」

 次々と溢れるニュースを聞いていると、外の世界には危険が溢れていると思い知らされる。上体をスライドさせて、冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。注ぎ口から直接飲み込み、胃に冷たい液体を流し込む。口元を拭うと、テーブルの上の書類に目をやった。探偵事務所を初めて三年が過ぎた。探偵業は人の裏側を無理やり見せつけられるようで、気分がいいものではない。本当ならば、こんな仕事を自分がするとは想像もしていなかった。壁にかかった写真を眺めていると、急に背後から声をかけられた。

「ちょっといいですか」

 文字通り一瞬飛び上がってから振り返ると、ドアの前に制服を着た少女が立っている。近くの高校の制服であることは分かるが、新藤は少女の可憐さに思わず髪をなでつけた。テレビを消して、慌てて身なりを整える。

「大丈夫です。こんな格好で失礼。まだ起きたばかりで。依頼かな?」

 こうやって時間もこちらの都合も関係なく、押しかけてくる客人は時々現れる。探偵事務所と看板を出している以上、ある程度のことは覚悟しているものの、未だに想像を超えてくることも多い。ソファの埃を払うように手で撫でると、少女を誘った。遠慮がちに、しかし当然のようにソファに座った少女は、息もつかづに明瞭に状況を説明し始める。

「もちろん、依頼です。こんな朝から申し訳ないとは思ったのですが、本当に困っております。実は今朝目が覚めたら、私はあそこの公園にいました。なぜそこにいたのか、もちろん自分の名前も覚えておりません」

 高校生とは思えない口調に、心の中で静かに怯む。新藤は、昔からこの手の女性が苦手だ。口調や身なりから考えて、きちんとした教育を受けて育てられているに違いない。こういう女性は、だらしない男にとても厳しい視線を向ける。そして予想通り、少女は物の散乱している探偵事務所に素早く視線を走らせた。勝手に飛び込んできたのは少女の方であるにも関わらず、居心地の悪さを覚えながら新藤は先を促した。

「私は、新藤です。あなたは記憶喪失ということですね。それでは、最後に覚えていることはなんですか」

 新藤にとっては、こんな依頼も珍しくない。机の上に名刺を置くと、彼女の全身に素早く目を走らせた。

「それが本当に何も覚えていないのです。どこかに出かけていた気もしますし、スマホを持っていたような気もするんですが、目が覚めた時は荷物も何もありませんでした。あ、あとは大きな犬を見たような……」

「犬、ですか。犬に襲われて、逃げたということでしょうか。それは大型の犬でしたか、それともペットショップで眺めたとかでしょうか」

 より詳細な情報が聞き出せればと望んだが、少女は諦めたように小さく首を振った。

「犬の瞳を間近で見た記憶はあるのです。でも、私自身、痛むところもないし病院や警察に行くことは怖くて。もし、誰かから逃げていた場合、見つかる可能性も高いでしょう?」

「一理あります。未成年の方なので、保護者の方が捜索願を出しているかもしれません。私の知り合いに警察の者がいるので少し聞いてみます。電話をしつつ、あなたが目の覚めた公園に行ってみましょう。何か手掛かりが見つかるかもしれません」

新藤は、テーブルの端に開きっぱなしの手帳を引き寄せるとペンを走らせる。少女が不思議そうにのぞき込んでから、白い陶器のように滑らかな肌の眉間に皺が寄った。

「なにそれ」

「あなたの似顔絵です。これから、別行動することもあるでしょうし。他の方に調査をするときの参考にさせてください」

 少女は溜息をつきながら、呆れたように吐き出した。

「ま、それはいいけど。あなた、へたくそね。私って、もっと綺麗な顔じゃない?」

 この高圧的な態度は、高校生と思えない。新藤はむっとしながら、ソファから立ち上がると上半身の服を勢いよく脱いだ。きゃっと悲鳴を上げながら、少女は両手で顔を覆う。やはり、男性の免疫はないようだ。

「……ちょっとっ! あなた、失礼なんじゃない?」

 恥ずかしさを怒りに変えている少女を無視して、目隠しカーテンの後ろに回り込むと素早く着替えを済ませる。もちろん、全身着替えるなんて変態なことはしない。この生意気なお嬢様を、ちょっと驚かせてやりたかっただけだ。着替え終わってもまだ不服そうにしている少女を促し、新藤は事務所を後にした。


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