「椅子なんて別に……」
しかしルルはそう言った私に「一緒に部屋に入っておかないと、扉が閉まったらまた道が変わっちゃうかもしれないよ」と、こそっと耳打ちをしてきたのである。その可能性もあるのかと初めて気付いて、急いで滑り込むように部屋に入ったのだが……やはりと言うかカンナシース先生は私になど見向きもせずに扉を閉めようとしていた。
……ルルが気付いてくれなかったら、確実に置いていかれてたわね。
「レ、レフレクスィオーン先生〜?!どこかに隠れていらっしゃるんですかぁ〜?!……生徒たちが全員揃ったらこの部屋で教師としてのありがたい話を披露してやるんだと高笑いなさっていたのに、まさか緊急事態でもあったのかしら……あああ、やっぱり部屋のどこにもいないわ。いつもの偉そうな気配も消えているし……た、大変だわ……シュヴァリエ先生は大丈夫かしら……」
見るからに狼狽えているカンナシース先生が部屋の中をうろうろとしているが、さほど広くはない部屋の真ん中には少し豪華な椅子が転がっているだけで全体的にガランとしている。特に家具が置いてあるわけでもなく、この扉以外にもいくつかの扉はありはするが、とてもじゃないが人が隠れられるような場所はないように見えた。精霊魔法で隠れている場合もあるだろうが、そうだとしたら意図がわからない。
「……レフレクスィオーン先生って、やったら偉そーな先生だったよね。いっつも他の先生や成績の悪い生徒相手にふんぞり返ってて、なんかよくわかんないマウントとかとりながらニヤニヤしてるの見たことあるもーん。確か、“加護無し”のフィレンツェア様を目の敵にしてたよね。こんな、フィレンツェア様に堂々と嫌味を言えるチャンスを逃すとは思えないんだけどなぁ〜。どこに行ったんだろうねぇ」
「そうね……さすがに公爵家に対して直接的に文句は言ってこなかったけれど、遠回しには色々言われていたのは知ってるわ。────ねぇ、ルルさん。……もしかして、全部
こんな状況、ゲームのストーリーの中にあるどのイベントにも見覚えが無かった。ルルがゲームの攻略方法を知っている転生者だとして、ゲームでも表現されていなかったはずの細かい事を知りすぎている気がする。ルルの行動が、なんとなく全てのパターンを最初から熟知していたかのように見えてきてしまったのだ。そして、相反する妙な違和感も。
一度そう認識してしまえば、この妙な違和感が少しづつ気になるものになってきた。……もちろん転生者のようにも思えるし、まるで“この世界を何度も創造し直した”神様のような態度のようにも見えてきてしまうのだ。だがそれすらも曖昧で、あれだけ確信を持っていたことに今更疑問ばかりが浮かんでしまう。
「…………そ、れは────」
ルルが真っ直ぐに私を見た。透き通るようなピンク色の大きな瞳に生唾を飲み込む私の顔がハッキリと映っている。はたから見ればさながらヒロインに詰め寄る悪役令嬢のシーンだろうか。
そして「あ」と思った。
これってもしかしなくてもゲームのシナリオっぽいんじゃない?と。まさしく神様が好きそうなシーンだ。やっぱりこの世界には、
ヒロインは転生者なの?違うの?まさか神様の分身なんて言わないわよね?それとも、神様自身がこの世界に転生してきたとか────。
「……ううん、別に何者でもないよ。────あたしはあたしだもん。それに、
「……こんなの?」
一瞬、迷いを見せるかのように瞳が揺らいだ気がした。すぐにいつもの調子に戻ったかのように首を傾げたルルだったが、やはり何かが引っかかる。何かを誤魔化して必死に隠しているような気がしてならない。
「「でも────あ、」」
やっぱりルルは何かを隠している。どうしてもこのルルが、私の知っている“ゲームのヒロイン”と同じヒロインには思えなかった。だが、私とルルの声が同時に重なり言葉に詰まっていると、部屋の中にある別の扉が勢い良く開いたことにより全員の視線がそちらに集まってしまった。
「レフレクスィオーン先生、緊急事態で……カンナシース先生、これは……何かあったんですか?レフレクスィオーン先生は一体どこに……」
顔を出したのは疲れた様子のグラヴィスと、小さなフィレンツェアの記憶では確か王族関連の生徒を受け持つ男性の教師だった。そして、なぜかそのすぐ後ろにはジェスティード王子がいたのだ。
「あれは……」
そこにいたのは、見た目にはとことん気を使い綺羅びやかな完璧王子を装っている“いつも”とはまるで違う風貌のジェスティード王子がいたのである。
見開いた目は血走っているし瞳の焦点がぐるぐると回っていてどこにも合っていない。それに、息遣いもだいぶ荒いようだった。髪は艶を無くしてボサボサで、顔色なんて真っ青を通り越して真っ白だ。全身がビショビショに濡れているのも気になるが、何かをずっとブツブツと呟いている姿はなんだか不気味な存在に見えてくる。さらにその後ろからは複雑そうに表情を歪めているジュドーが続いていて出てきたのだが同じく全身がビショビショだった。少し遅れてから顔を出したアルバートは濡れていないし平然そうにしていたが、何か騒動があったことだけは明白であった。
なんでジェスティード王子がここにいるのか?どこから湧いてきたのかは知らないが、こちらもゲームのシナリオとは全然違うようである。
「あ、ジェスティード様だぁ〜♡」
ジェスティード王子の姿が見えた途端、ルルから「きゅるん♪」と擬音が鳴った気がした。大きな瞳がうるうると潤んだと思うとピンクの髪がより一層ふわふわと揺れ出したのだ。ほんの一瞬のうちにさっきまで纏っていた雰囲気とはまるで別人のようになっていて、その早業に思わず一歩引いてしまったほどだ。
このヒロインの姿にジェスティード王子はメロメロになったわけだから、