ジュドー・アレスターの頭上にはいつの間にか薄い灰色の羽を持つ大きなフクロウが止まっていた。そしてジュドーとグラヴィスを淡く輝く透明の膜がふたりを包みこんでいるように見えた。これはたぶん、魔法で作られた防御壁だ。そして、その防御壁の前に……パーフェクトファングクローが守るように立ちはだかっていたのである。
『ジェス坊……』
実体化していたからだろうか。パーフェクトファングクローの体の側面の肉が大きく抉れていて、そして真っ赤に濡れていた。
ところどころに椅子の破片が刺さっていて呼吸の度に赤さが増していき、パーフェクトファングクローは悲しそうに俺の名前を呟いている。
なんで、そんなに悲しそうにしているんだ?俺の何が不満なんだ。なんで俺を裏切るんだ。あぁ、どうしてそんな大ケガを……。俺の、俺のせいなのか……?
「パーフェクトファングクロー、ご────」
『ジェス坊、もうやめるんだ。こんなのジェス坊らしくねぇだろう……。誰かを傷付けるジェス坊なんて、もう俺様は見たかねぇんだよ。頼むから昔のジェス坊に戻ってくれ……
その言葉に、プツンと俺の中で何かが切れた気がした。パーフェクトファングクローの事が心配なはずなのに、俺の口からは違う言葉が出ていたのだ。
「……うるさいんだよ!お前はいつもそうだ!お前はいつも俺のする事に文句ばかりを言う!俺がやることを否定し、俺の最愛であるルルの事を否定し、それなのに“加護無し”なんかのフィレンツェアばかりを庇うじゃないか!お前は俺よりもフィレンツェアが大切なんだろう?!どうせお前も兄上のように優秀じゃない俺のことなんか、本当は大切じゃないんだ!!」
その場にいた全員が一斉に俺を見ている気がした。
たぶん血走ってるのか目玉が痛い。息がしづらくて呼吸も荒くなってきた。興奮し過ぎているのか体が小刻みに震えてしまっている。そして俺は、唾を飛ばしながらパーフェクトファングクローが傷付くだろうとわかっている言葉を次々と発していた。
「だいたい、お前の小言はもう聞き飽きてたんだ!たかが守護精霊の分際で偉そうに説教をたれやがって!!昔からずっと煩わしいと思っていた!俺だって、本当はお前なんか大嫌いだったんだからな……!!」
『おい、落ち着けジェス坊!俺様はジェス坊にちゃんとフィレンツェアお嬢ちゃんと話をして欲しいだけなんだ!“加護無し”だからなんて理由で罪を決めつけるなんて……』
「うるさいって言っているだろう?!もういい……お前のような守護精霊など元から俺に相応しくなかったんだ……お前なんかもういらない!!……お前との契約なんかこっちから終わりにしてやる!お前の代わりになる精霊なんてそこいらにいくらでも転がっているんだからな!お前なんか今すぐ俺の目の前から消えろ!いなくなれ!どこにでも行ってしまえ!!」
そして手に残っていた椅子の破片をパーフェクトファングクローに向かって投げ付けてやった。広がり続ける赤い湖の上にその破片がポトリと落ちると波紋が波打っていて、そこに感情の読み取れないパーフェクトファングクローの顔が映っていた。
『ジェス坊……。それは本気なのか…………本気で、俺様の事がいらないと……』
「ああ、もちろん本気だ!話し合いだと?!ふざけたことを言うな!いいか、パーフェクトファングクロー!俺はあんな“加護無し”なんか殺したいほど大嫌いなんだ!!あの女は俺にベタ惚れで奴隷のように言いなりだったくせにルルを傷付けた!だから俺はあの女を犯罪者に仕立て上げて、ボロボロになるまでこき使ったら最終的には殺してやるつもりでい────」
「ソッリエーヴォ、今だ!」
ギュルん!と、視界が回る。
「な」
気が付いたときには、俺の目の前にあの大きな薄い灰色の羽を持つフクロウがいて……俺を、さっき見たのとは別な何かで捕らえていたのだ。このフクロウがグラヴィスの守護精霊なのだろうと頭で理解した時には俺の体は拘束されていた。
「……ジェスティード王子殿下。
「…………」
こうして俺は別室へと連行されてしまったのだ。
そして、いつの間にかパーフェクトファングクローは姿を消していた。まるで最初からそこには誰もいなかったかのように赤いそれも全て消えていたが、粉々になった椅子だけが痛々しい姿をさらけ出していた。
「……
慌ただしくも静まり返ったその部屋に、誰にも届くことのなかった“誰か”の呟きだけを残して。