「あっ!いけないわ!早く聞き取りを終わらせてシュヴァリエ先生に報告へ行かなくちゃ……!」
心を無にして聞き流し始めてから約1時間ほどでカンナシース先生の熱弁はやっと終わることになった。ルルからしたらかなり最速で終わった方のようで「フィレンツェア様はラッキーなんだね!」と笑顔を向けられたほどだったが、私からしたらものすごく長く感じられる熱量である。そう言えば神様も夢中になるとオタク話が長かったけ……でも、神様の話はどれだけ長くても全然苦じゃなかったな。と少しだけ天界での生活を懐かしんでしまう。
そのカンナシース先生はと言えば、自分がグラヴィスをどれだけ敬愛しているかについての語りがちょうど区切り良く終わったところで今度は急に我に返って慌て出したような感じである。あれだけしゃべり続けていたのに微塵も疲れを感じさせないどころか、好きなだけ語ったからなのか肌艶がさっきよりも良くなっている気がした。……セイレーンはカンナシース先生の“こうゆう所”が気に入っているということなのだろうか。
「ごめんなさいね。わたしったらつい指導に熱が入ってしまって……少し
そう言って、私の手をギュッと握ったカンナシース先生の瞳に先ほどのような怯えはもう無かった。しかし自分は“生徒想いの良い先生”なのだと全面に押し付けてくる雰囲気に、なんとも居心地が悪く感じてしまう。まぁ、カンナシース先生本人はとても満足気のようだけれど。
「さぁ、とにかくどんな事情なのか教えてちょうだいね!わたしはブリュードさんとハンダーソンさんの味方だから安心してなんでも言ってくれていいのよ!例え“加護無しの悪役令嬢”と“第二王子殿下を誑かした常識知らずの問題児”でもわたしにとっては大切な生徒に変わりはないもの……ああでも、ケンカだけはしてはダメよ?ブリュードさんもいくら婚約者の心を奪われたからってハンダーソンさんに酷い事をしないってわたしと約束してちょうだいね!だってどのみち結婚するのはあなたなんだし、あなたは“加護無し”だから他の人より魅力が無いのは仕方が無いんだもの!それにね、ケンカは何も生み出さないの。相手を許す事の出来る寛容な心さえあれば、きっと第二王子殿下もブリュードさんの良さに少しくらいは気付いてくれるはずよ。わたしでもあなたを受け入れられたんだから、あなただってきっと同じ事が出来るわ!それと、ハンダーソンさんもいくら相手が“加護無し”とはいえ人のモノを取るのはいけないことなんだからちゃんと謝らないといけませんよ?」
そして今度は私とルルの手を引っ張って無理矢理に握らせると、強引に握手をさせてきたのだ。カンナシース先生はこの場を和ませたつもりなのか、すっかり御満悦である。私としてはこんなに「“加護無し”」を連呼されるのは久しぶりだ。これで煽ってないと言うのだからもはや才能なのかもしれない。
「……めちゃくちゃイヤミを言ってくるしどう聞いてもケンカ売ってきてるのに、本人にその自覚が無いからほんと困るのよね。たぶんカンナシース先生自身はフィレンツェア様とものすっごく仲良くなれたと思ってるはずだよ。あれで善意のつもりなんだからすごいでしょ?」
「……確かに、これだけ無邪気に言われたらセイレーンも悪意なんて感じ取れないわよね。ここまでくるといちいち言い返せないし……ルルさんが苦手だって言うのもわかる気がするわ。私も少し苦手かも……」
ボソッと言ってきたルルにそう返すと、ルルは「アハハハハ……でしょ?」と乾いた笑いをして見せるのだった。
それから簡単にあの場での出来事をカンナシース先生に話す事になった。だがアオの事はもちろん、セイレーンが魅了の魔法をかけようとした事など言えるわけがない。そもそもセイレーンが禁忌魔法である魅了魔法を使えることは他の人間には知られてはいけないのだ。まぁ、
とにかく、多少の無理はあるがあくまでも偶然にあの場で出会ったことにして押し通すことにしたのである。ルルも自分の立場を悪くしないためにはそれが最善だと思ったのか私に口裏を合わせてくれていた。それでもさすがに少しは怪しまれるかもと思ったのだが、カンナシース先生は素直に信じてくれたようだった。
「……んまぁ、なんてこと?!偶然ってすごいのねぇ!でも、本当によかったわ!ブリュードさんが男子生徒と浮気して逢い引きしているとか、第二王子殿下の浮気相手を呼び出してリンチしていたとかそんな物騒な事じゃなくて!そんな事になっていたら前代未聞の大問題だったもの。……でも、そうよね。いくら身分が公爵令嬢だろうと“加護無し”なんかに呼び出されたくらいで、わざわざ密会したり危険だってわかっているのにリンチされにくる馬鹿な子なんてうちの学園にはいないわよね!それにブリュードさんだって第二王子殿下の婚約者の立場を守る為にもそんな事しないものね……よく考えればわかることなのに、つい心配してしまったわ!」
てへっ!と「わたしったらおっちょこちょいなの!」と舌を出したポーズをするカンナシース先生はとても楽しそうだ。
……うん、信じてくれてよかった。だが、逐一私に対する引っかかる発言はどうしたものか。言い回し方が思わずカチンときてしまう。いくら悪意はないとはいえ、やはりカンナシース先生も心の奥底では私の事が……いや“加護無し”が嫌いなのだろう。それだけ“加護無し”に対する差別は根強いのだとわかってはいるつもりだけれど……。
「でも心配しすぎだったわね!それに“加護無し”のブリュードさんには“王子の婚約者”であることしか価値が無いもの!価値を見出す為に無理矢理になったのに、せっかくの婚約者の立場を自分から危うくするようなことしないわよね。うふふ、ごめんなさいね?」
「いえ、気にしないでください……」
ズキン。と、私の中で小さなフィレンツェアの心が痛んだ気がした。小さなフィレンツェアにとって、せっかく吹っ切れたはずの過去をほじくり返されて気分が良いはずがない。アオと出会えてからも“加護無し”で居続けたのはジェスティード王子との婚約を破棄するためだし、それについては小さなフィレンツェアも同意してくれているが……やっぱり、ずっと守護精霊がいなかった事実は小さなフィレンツェアを苦しめていたのだ。それに、今はそのアオもいなくなってしまったし……。
「あらブリュードさん、なんだか顔色が悪いわね。やっぱり“加護無し”は精霊に見放された存在だから体も弱いのかしら!こんなささやかなトラブルも耐えられないんじゃ結婚してからはもっとたいへ「カンナシース先生!」……あら、どうしたの?ハンダーソンさん」
カンナシース先生が不思議そうに私の顔を覗き込もうとしたその時、ルルが遮るように甲高い声をあげる。魅了魔法なんて使っていなくても、人を惹きつける透き通った声はとても綺麗だ。これもまたヒロインの魅力のひとつであった。
「あたし達の事はもういいからぁ、早くシュヴァリエ先生の所へ行きましょうよぉ!きっとシュヴァリエ先生は
ルルはカンナシース先生の腕に絡まり、まるで駄々っ子のように振る舞い始めた。するとカンナシース先生は「シュヴァリエ先生が……?」とあからさまに反応して浮き足立ち始めたのである。ソワソワと頬を赤らめる姿はすっかり恋する少女にしか見えない。
「そ、そうかしら?やっぱりハンダーソンさんもそう思う?……でもそうよね、早くブリュードさんとハンダーソンさんから聞いたことを報告に行かなかいとシュヴァリエ先生が待ってるわね!さぁ、ふたりとも行くわよ!」
そうしてカンナシース先生は私の顔色の事などすっかり忘れたようにルルを引っ張りながら部屋を出ていったのであった。
「ほら、フィレンツェア様も早くおいでよ〜!」
そう言って振り向きざまにウインクをしてくると、ルルはカンナシース先生にグラヴィスの事を話しかけ続けた。そのおかげなのかカンナシース先生が再び私に「“加護無し”」と言ってくることはなかったので、小さなフィレンツェアも落ち着きを取り戻したようだ。
やっぱり、さすがはヒロインと言うべきか。ルルは攻略対象者以外の扱い方もよく知っているようである。これもヒロインに元々備わっている能力なのだろうか?神様ってば、最高のヒロインを作るんだって張り切ってたものね。そんな事を考えながら後を追おうと足を踏み出した瞬間、右肩からズシリとした威圧感を感じた。
『……ルルって不思議な女の子でしょぉ?んふふっ。まるで、“どうしたら”いいのかをぜぇんぶわかってるみたいだと思わなぁい?』
いつの間にか私の肩付近に姿を現していたセイレーン(手乗りサイズ)が楽しそうにこちらを見ていた。綺麗だが妖しい色に輝く真珠色の瞳には息を呑む私の顔が映っている。
「っ!セイレーン……そんな所にいたのね。ルルさんの側にいなくていいの?」
『ルルはねぇ、ほんとぉに不思議な子なのよぉう?あの子が生まれた日の事は今でもよぉく覚えてるんだからぁ……だぁってルルの魂はとぉっても綺麗で複雑で、見た瞬間にわたくしはこの魂の行く末がどぉしても気になって仕方が無かったんだものぉ。……でもねぇ?』
頬に羽の先を当て、今度はため息混じりに語り出すセイレーンはどうやら私の質問には答える気がないらしい。何を言いたいのかはわからないが『あぁん、ルルからは距離をとってゆっくり進んでよぉう?』と羽先を振りながら言ってくるあたりルルには聞かれたく無い内容のようだ。
『あの子はねぇ、嘘がとぉっても下手なのよぉう?ううん、あの子はわたくしにバレてないって思ってるつもりみたいだしぃある意味で“嘘”はついていないんだけどぉ……でも、ルルは変わっちゃったわぁ。契約した人間と守護精霊は通じ合っているはずなのにぃ……なんでなのかしらぁ?わたくしにはそれがどうしてもわからないのぉ』
セイレーンは悩まし気な息を吐くと、ビチビチと音を立てて尾ヒレで私の肩を叩いてきた。これは私に意見を求めていると解釈していいのだろうか?ヒロインの守護精霊が悪役令嬢に相談(?)をしてくる展開があるなんて聞いてないんだけど。
「……私には守護精霊がいないから、わからないわ」
しかし私が聞きたい事もまだ教えてもらっていないのに素直に答える義務は無い。それに、私とアオの関係をセイレーンは知らないはずである。だから……少し視線を逸らして“加護無し”らしくそう答えたのだ。
『……ふぅーん────ああ、そうよねぇ。そう言えばあなたは“加護無し”って呼ばれてたんだったわぁ。まぁ、いいわぁ……そうそう、それでねぇ?ルルったら、実はこの学園に来てからはそれまでとは別人みたいに性格が変わっちゃったのぉ。これから始まる新しい生活に心を躍らせていた何も知らないような女の子だったはずなのにぃ、ある日突然ぜぇんぶ悟ったような顔つきになるもんだから驚いたわぁ』
私の答えが気に入らなかったのか真珠色の瞳が真偽を確かめるかのようにこちらを見つめてきたが、すぐに興味なさげとばかりに視線は前方を歩くルルへと向けられる。そして愚痴(?)とも取れる内容の話がそのまま続けられた。
『それからねぇ?その日の前日までは自分だけの王子様が現れるかもぉ〜とか、セイレーンの魔法はみんなの幸せの為に使わなきゃ〜とか、みんなと仲良くなれるといいなぁ〜とか、守護精霊だからって無理に自分の側にいなくてもいいからセイレーンだって自由にしていいんだよぉ〜とか言ってたわけぇ。昔っから夢見心地で危険な事になんかも遭ったことなくて、まるで
どんどんと私ににじり寄るようにして近寄ってくるセイレーンの言葉に耳がキーンと痛くなる。たぶん、セイレーンの強い感情が言葉に込められたのだろうか。
「わかったから、耳の側で騒がないで欲しいんだけど……」
『あらぁ、別にいいじゃなぁい。もしも鼓膜が破裂したってぇ、わたくしが治してあげるわぁ……気が向いたらねぇん』
セイレーンは気まぐれな精霊らしくにっこりと口角を吊り上げると、今度は耳から遠ざかるように体勢を変えて器用に羽を折り曲げて頬杖をついた。一応私の言うことも聞いてくれるつもりはあるようだ。どこまでがおふざけなのかはわからないが、気晴らしにとばかりに私の首筋を尾ヒレでベシベシと叩いている姿は少し楽しそうでもある。
そして、真珠色の瞳を細めると遠くを見つめるように再び息を吐く。楽しそうだった姿は今度は萎れたように項垂れている。どうやらセイレーンは感情の起伏が激しい精霊らしい。
『────でもねぇ、
それからぁ、急にそれまで言ってた事とは全然態度が違っちゃってぇ……わたくしには魅了魔法をいっぱい使っていいって言い出したりぃ、学園では絶対に離れちゃダメとかぁ。それにぃ、カンナシースっていうあの女の事や王子サマたちの事もまるで最初からどんな人間なのか知っていたみたいだったわぁ。それとぉ……たまぁにだけどぉ、わたくしの事を確認するような……変な目で見てくるのよねぇ。それがなんだが、わたくしに何か言いたいけど言えない……それが隠し事をしてるって事なのかしらぁって思っちゃったりするのよねぇ……』
「…………」
それに対して私は特に返事をしなかったが、セイレーンは気にせず『でもねぇ』と話を続けた。
『でもぉ、ルルといるのはほんとぉにすっごく面白かったのよぉぅ。何かが変わっちゃってもやっぱりルルはルルだしぃ、わたくしに素敵な恋愛模様を見せてくれる大切な人間だものぉ。わたくしはルルをこの世界で1番誰からも愛される女の子にするのが夢なのよぉう!ルルはわたくしの事をよぉくわかってくれるしぃ、毎日とぉっても楽しいわぁ。ほーんとにぃ、ルルといると退屈しないしぃ全然飽きないんだからぁ。それにルルはわたくしをものすごぉく大切にしてくれるしぃ、わたくしだってほんとぉーにルルがとぉっても大好きよぉ……でもぉ、でもねぇぇぇぇぇ────────────
「え?今、なんて……」
最後の方が今にも泣きそうな小さな呟きだった為によく聞こえなかった。思わず聞き返すがセイレーンは『……なんでもないわぁ』と言葉を濁した。そしてまたもやにっこりと妖しい笑みを浮かべたのである。
『んふふ……あなたってぇ、思ってたより面白い人間よねぇ。ルルの邪魔をする悪役令嬢だって思ってたけど……わたくしは面白い人間が大好きよぉ。ルルもあなたの事そんなに嫌いじゃないみたいだしぃ、さっきのゲームぅ?でルルが負けちゃったから約束の対価を支払わないといけないわよねぇ。なんだっけぇ?……そうそう、あなたについてる“青くて変なオーラ”についてだったわよねぇ』
「教えてくれるの……?!」
セイレーンは『でもその前にぃ』と、羽で頬杖をついたまま反対側の羽先を私に向けると美しい唇を開いてこう言ったのだ。
『────“青い精霊”が怒り狂ってるからぁ、早くどうにかしないと大変な事が起こるわよぉう?』と。