「どうしたんだい?ふふっ……それにしても聖女は羽のように軽いんだね。
「……っ!?ご、ごめんなさ、いえ、失礼をいたしました!」
慌てて“オレ”の上から飛び降りるように離れる様子は確かに可愛かったが、“オレ”がやっていることは完全にセクハラだ。確かにオレはこれまでそうゆう風に装っていたしわざとそんな風な噂を流した事もあったが、実際には初対面の令嬢にこんな失礼な事などしたことはない。こんな事をしても笑顔で許されるなんてそれこそ物語の中だけだろう。
「もっと上に乗っていても良かったのに」
「ひえっ……と、とんでもない!────────これがチャラ男……まさかこんな事するなんて……最悪……ひどっ……。もしかして、女なら誰にでも……?」
彼女がボソッと呟いた言葉に“オレ”は気付かなかったようだが、オレにははっきりと聞こえた。しかもあんなに綺麗なはずのアクアブルーの瞳には恐怖や軽蔑の色がこもって見え、もはやドン引きされている。
ほら!誤解されてる!!ちゃんとしろよ“オレ”!初対面で髪の匂いを嗅ぐなんてもはや犯罪者レベルだぞ?!
なぜだかはわからないが、この少女には変な誤解をされたくないと思ってしまった。その気持ちに関しては“オレ”も同じなずなのに、なぜ“オレ”はこんなことをさも当たり前のようにやっているのか意味がわからなかった。
なんとか“オレ”の暴走を止めようとするが、やはりオレの意思では指一本動かせない。それならせめてゲイルに止めてもらおう思ったのだが視線すら動かせない状況に焦りが募った。
いや、しかしゲイルはオレと心の繋がった守護精霊なのだ。きっとオレの異変に気付いてくれているはずだ!オレは必死に心の中でゲイルに助けを求めた。するとほのかに風の気配を感じる事が出来て、きっとゲイルに通じたのだと期待したのだが。
「守護精霊か……、オイタはダメだよ?お座り」
『わっふぅ?!』
オレの考えなど、当然ながら“オレ”にもすぐわかったようで“オレ”は余裕の表情のまま片手でゲイルの顔を鷲掴みにしていたのだ。
『えっ、ジュドーがジュドーだけどジュドーじゃない……?!』
どうやらゲイルは混乱しているみたいで、オレの気持ちは察することが出来たがなぜ“オレ”を止めなくてはいけないのかがよくわからずにいるようだ。
唯一の頼みが途絶え、オレが頭を抱えていると今度は背筋が寒くなるような殺気を感じ取った。
『がるるるる……!!』
今度は“オレ”の視界に映っていたのでオレにもわかったのだが、その殺気は例の少女の背後から突き刺さるように放たれていたのだ。
……トカゲ?
少女の後ろには確かにトカゲがいた。青い鱗をした少し変わったトカゲだったのだが、そのトカゲが今にも飛びかかって噛み付いてきそうな形相で牙を剥いている。少女が「ダメよ!落ち着いて」とトカゲの背中を撫でて押さえているようだった。
一瞬この少女の守護精霊かとも思ったが、精霊にしては少し気配が違う気がした。ではペットだろうか。そういえばさっきから少女の守護精霊が姿を現さない。本来なら守護精霊は契約した人間を守ろうとするだろうに……。
もしかしたら守護精霊と仲が悪いのかもしれない。守護精霊に嫌われた人間は悲惨だ。きっと苦労もあっただろうと、オレが少女に少し同情していると少女が息を吐いてから“オレ”に向き直った。まるで緊張を抑えているかのように声がまたもや震えている。
「あ、あの!ジュ……いえ、アレスター国第二王子殿下。私は聖女なんて呼ばれるような立場ではなく、ブリュード公爵家の娘でフィレンツェア・ブリュードと申します……。たぶん人違いではないかと」
そう言って頭を下げた少女に“オレ”は「あぁ!」と相づちを打つと、にこりと笑みを見せた。
「そうそう、そうだったね。フィレンツェアだった!ごめんごめん、やっぱり
確認するかのように言った“オレ”の発言に頭の芯がキーンと凍り付くような感覚になっていく。
フィレンツェア・ブリュード。名前だけならアレスター国からほとんど出たことのないオレでも知っていた。それくらい守護精霊がいない人間の存在はこの世界にとって大事件なのだ。
フィレンツェア・ブリュードについてはたくさんの噂が飛び交っていた。
精霊に祝福されなかった価値のない魂の持ち主。
周りの人間にも嫌われている“加護無し”の公爵令嬢。
“加護無し”のくせに学園に通う厚顔無恥な女。
学も無く礼儀知らずで貴族令嬢失格。
この国の王子の婚約者の立場を金と権力で無理矢理もぎ取った性悪女で、わがまま放題。暴虐武人なその立ち居振る舞いはまるで物語の悪役令嬢のようだと。
挙げ出したらキリがないが、とにかくその評判は最悪だった。
オレはその昔、その噂を耳にしてとんでもない悪女の姿を想像していた。産まれたばかりで清いはずの魂ですら精霊に祝福されなかったような魂の持ち主ならばきっと前世から心が穢れていたんだろう。こんなオレですら守護精霊がいるのにと……心の中で馬鹿にして勝手に優越感に浸っていたのだ。自分より酷い人間がいるのだからまだオレは大丈夫だと……。女達との会話に困った時のネタにして笑い話にしたこともあった。今から思えば最低だが、あの時はそうやって自分の心を守っていたんだ。それに、“加護無し”ならば何を言われても仕方が無いとも思っていた。
だが、オレの目の前にいるフィレンツェア・ブリュードは……とてもそんな悪女には見えない。そんなフィレンツェアがうんざりとばかりにため息をついた。