『フィレンツェア、あいつって……』
アオも気付いたのか首を伸ばして下を覗いていた。私と同じく『げっ』と眉を顰めている。
「下手に見つかると面倒だから静かにしていましょう。きっとそのうち何処かへ行くわよ」
『うん、わかったよ』
こうして私とアオはジュドーの動きをこっそりと見ていることにしたのだ。もし見つかって騒動に巻き込まれたらせっかくのランチタイムが台無しである。しかし出来ればご飯の続きが食べたいので早くどこかへ移動して欲しいものだ。
よく見ると少し離れた場所に護衛らしき人物が立っているが、ジュドーが樹を蹴りつける様子を黙って見ているだけのようだった。
……ジュドーって、確かアレスター国の第二王子だったわよね?と、小さなフィレンツェアの記憶を探す事にした。
小さなフィレンツェアの記憶の中には他国の王族の情報も入っている。しかも、この世界では各国の王族について学ぶのは息をするのと同じくらい大切な事だとされているらしい。特に王族特有で現れる特徴などは学園に入る前の平民の子供でも知っているくらいだ。つまりはアレスター国などわかりやすい特徴がある王族なら尚更有名人なのである。
さすがにフィレンツェアもその勉強までしないとはならなかったようだ。まぁ、本当に最低限の事だけなのでさすがに家族構成とか人間関係まではわからなかったのだが。しかし、それでも無いよりマシである。
まぁ、たぶんジェスティードの婚約者としてこの最低限が覚えなくてはいけないことだったのだろう。とにかくその記憶によるとアレスター国にはふたりの王子がいるが、まだ王太子の座がどちらの王子のものになるかは決まっていないはずだ。つまりジュドーも王太子になる資格を持っていることになる。アレスター国では王太子となるには王族としての品格やそれなりの実力が求められるはずなので、留学先での態度も重要になるのではないだろうか?
たぶんだけれど、あの護衛はジュドーの生活態度を国へ報告する為に付いてきているのだろうと思った。護衛とは名ばかりのお目付け役なのだろう。その護衛の前で大声で不満を漏らして樹を蹴りつけるなんて、自国へ言いつけてくれと言わんばかりの態度である。
申し訳無いが今のジュドーは王太子に相応しい品格を持っているとは思えなかった。(うん、でもジェスティードよりはだいぶマシかもしれないとは思う)
ただ、もしかしたらあの護衛は本当はジュドーの味方で余計な事は言わない約束なのかもしれないけれど。いや、それにしたってどこで誰に見られているかわからないのに迂闊にもほどがある。(私みたいに樹に登ってる人がいるんだから!)
ジュドーは攻略対象者なのだからヒロインに攻略されてハッピーエンドになれば、たぶん王太子になれるのだろうけれど……逆ハーレムルートの場合でのハッピーエンドだとどうなるのかがイマイチ想像が出来なかった。
「あー、全く王族は面倒くさいなぁ!王族ってだけで寄ってくる奴らが鬱陶しくて仕方が無い!」
そのまましばらくジュドーの様子を伺っていると、またもや女の子達の悪口を言ったりこの国を貶すような発言を繰り返している。だが、だんだんと妙な違和感を感じてしまった。
まるで
これはもしや、イベントの始まる予兆なのでは?
その時だ。パタパタとわざとらしく音を立てた、いかにもな足音がこちらに向かって来ている事に気が付いたのだが……「もしや」と思った時にはすでに遅かったのである。
「しくしくしく……」
わざとらしく聞こえる泣き声。もうすっかり見飽きてしまったピンク髪がふわふわと揺れている。その手には無残にもボロボロに破れている教科書が握られていて、傍目から見れば「酷いイジメを受けて泣いているヒロイン」そのもののルルの姿がそこにはあった。
さすがヒロインというべきか、確かに守ってあげたくなるような雰囲気がダダ漏れしている。(気がする)というか、これってやっぱり出会いイベントじゃないか。と、すでに疲れてきてしまった。
「……お、お前は誰だ」
ヒロインであるルルの存在に気付いたジュドーが声を尖らせたが、破れた教科書を抱き締めて泣いているルルの姿に戸惑いを隠せないようだった。
「あ!ご、ごめんなさい……!ここなら誰もいないと思って」
するとルルの大きな瞳からは新たな涙がポロポロと零れ落ちたのだ。さすがは愛されヒロイン、涙の見せ方が上手い。どこかにスイッチでもあるのかと思うくらいだ。
「……っ!」
ジュドーが息を飲む音が聞こえた気がする。これは好感度なんてすぐさま上昇まっしぐらだろう。
知らないルートとは言え、やはり攻略対象者がヒロインに恋に堕ちる瞬間というのはみんな同じなのだろうか。とちょっとした疑問が芽生えそうだ。そういえば神様も「テンプレってお約束らしいよね」とわけのわからない事を言っていた事があったなと思い出す。いや、あの神様はその場のノリで気まぐれを起こすからその辺は当てにできないのだけど。……なんかこう、どこかで聞いてきた流行りにすぐ乗っかるところがあったからなぁ。とため息が出そうになった。
まぁ、ルルのことなのできっとあの教科書は悪役令嬢フィレンツェアに破られたとか普段から陰湿なイジメを受けているとか……そんなことを言うつもりなのは明らかだ。もちろん私はそんな事などしていないが、それこそ神様の言っていたお約束である。前回グラヴィスの攻略に失敗している分、ジュドーの攻略は必ず成功させようと意気込んでいるはずだ。こうなったら、ジュドーがどのように攻略されるのかを見た方が今後の参考になるかも。と、私は息を潜めた。
それに、セイレーンを一度ちゃんと見ておきたいと思ったのだ。ゲームでもセイレーンの不思議な歌が勝手に流れてはきていたがその姿ははっきりとは描かれていなかった。神様に聞いても「セイレーンはセイレーンだよ」とフワッとした事しか教えてくれなかったし……もしや、歌の方に集中し過ぎてセイレーンのビジュアルのデザインを考えずに雰囲気だけで作ったとか言わないわよね?と、今更ながら神様に問いたくなった。
……うん、可能性はある。まぁ、あれはゲームでの事だしこの世界は現実なのだ。さすがに姿の無い守護精霊ってことはないだろう。確かセイレーンは、ヒロインがその相手に好意を抱けばその想いに反応して勝手に魅了しようとする厄介なヒロインの守護精霊だし、ヒロインと攻略対象者のこの出会いイベントの場になら必ず姿を現すはずである。
「あの、あたし────わぁっ、あなたとても綺麗な瞳をしているんですね!その髪色もミルク色で可愛いです!……あっ、男の人に可愛いなんて言っちゃった……ごめんなさい☆」
戸惑うジュドーに近付き、その顔を覗き込むとルルはふわりと笑顔になり涙をピタリと止めた。それはまるで、ジュドーのライトブルーと金色の瞳の美しさに驚いて涙が止まった……かのように見える。