まだ友達という距離感がよくわからないまま、私はその日を迎えた。しかしアオの正体が知られている以上、アルバートの真の目的がわかるまでは
あの騒動の中、先に馬車に積んでおいた大量の本はそのまま借りて来てしまったがもちろん読む暇はなかった。さらにはあの後エメリーが倒れてしまい、打撲と一部の骨にヒビが入っていると診断されてしばらく静養することになってしまったのだ。本人は大丈夫だと言っていたが、主治医に診てもらったらまるで巨大な力で押さえつけたようなアザが出来ていて、それに抗って無理に動いた為に負荷がかかってヒビが入ったのではないかと言っていた。打撲も内出血が酷かったようで精神力で乗り切ったにせよ、よくそんな体で動いていられたなと感心されていたくらいだ。
さすがにアオの精霊魔法でも怪我を治す事は出来なかった。この世界で治癒の力を持つのはヒロインの守護精霊だけ……やはりヒロインは特別なのだと改めて思い知らされてしまう。とにかくエメリーにおとなしく休んでいるように言って屋敷を出た途端────私は大量の薔薇の花束に出迎えられたのだ。
「おはようございます、フィレンツェア嬢。良い朝ですね?」
「エ、エヴァンス伯爵令息……?」
視界が真っ赤な薔薇いっぱいになり周りが見えなかったが、その薔薇の後ろから黒い髪の毛がひらりと揺れていた。
「どうか、アルバートとお呼び下さい。僕らは
「あっ」
そう言って花束を私に手渡そうとしてきたのだが、いつものように私の乗っていたアオが不機嫌そうな顔でその薔薇の花びらをむしゃむしゃと食べてしまったのである。
『僕の目の前でフィレンツェアに花束を渡そうだなんて、許さないからな!』
ふんすと鼻息を荒くしたアオは茎だけになってしまった元花束を尻尾でペシリとはたき落とす。アルバートにはドラゴンである事がすでにバレているからか大人しくする気はなさそうだ。
「ははは。おや、トカゲくんもいたんですね?まさか薔薇の花びらを食べるなんて情緒の無いトカゲくんだ。トカゲならトカゲらしくその辺の昆虫でも食していればいいのでは?」
『お前の事を食べてやったっていいんだぞ!』
相変わらずアルバートの目は隠れたままだが、なぜかアルバートとアオの間に火花が見えた気がした。
あの後、アオにアルバートと友達になる事になったっと伝えたらものすごく怒っていたからなぁ。と昨夜のアオを思い出す。まぁ、あんな事があったのだから仕方が無いだろうけれど。
「生意気な口は僕を完全に動けなくする結界を作ってからにして下さいね、トカゲくん」
『絶対にお前の魔法の秘密を暴いてやるんだからなぁぁぁぁぁ!!』
「アオったら、ちょっと落ち着いて!エヴァンス伯爵れ「……アルバートです」……アルバート様も、アオにケンカを売らないで下さい」
私がまた「エヴァンス伯爵令息」と言おうとしたらアルバートから圧を感じて仕方無く名前を言い直すと、アルバートは口元に笑みを浮かべた。相変わらず前髪で目が隠されているので表情は読めないままだが。ちゃんと前が見えているかも不明だ。
「アオ、これから学園に行くからもうケンカしちゃダメよ。昨日もお願いしたでしょ?エヴァン……アルバート様とはとりあえずお友達になったの。ある意味協定を結んだんだから、しばらくは様子を見るっていっ……あっと、とにかくケンカはダメよ!」
アルバートのいる前でつい本音が漏れそうになり慌てて取り繕うが、アルバートは何も言わずにただにこりと薄く笑っているだけだ。やはり何を考えているかはよくわからない。まぁ、向こうも私が本当に友達が欲しくて了承したなんて思っていないだろうけれど。
アオが心配してくれているのはわかっている。本来なら距離を置くべきなのだろうが……敵では無いかどうかをはっきりさせる必要もあるし、アオの事の口止めも兼ねて近くにいる方がいいと判断したのである。
『……フィレンツェアがそう言うなら、わかった』
アオは頬を膨らませてそっぽを向いてしまったがなんとか落ち着いてくれたようだ。やはり正体がバレている事や全力の結界の中であんな風な態度を取られたのがショックだったのもあるだろう。
……アオは最強のドラゴンではあるが、まだ前世の時ほどの力は出せていないような気がするのだ。もちろん今でもじゅうぶん強いし頼りにはしている。でも、やはり聖女の時に感じていた脅威的な強さにはまだ程遠い……そんな感じがしていた。
それと、これはアオには内緒なのだがアルバートがそんなアオの秘密を何か知っているような気がしてならなかったのだ。少し落ち着いてから考えると、
アオと命懸けで戦った
だから、アルバートから何としてもその秘密を聞き出さなくてはいけない。その為にも
攻略対象者には黒髪のアルバートはいなかったし、今のところヒロインとは関わり合いは無さそうなのでお助けキャラの可能性も低い。神様は攻略対象者を「キラキラのイケメン」に限定にしてキャラクターを作っていたので言い方は悪いが地味な黒髪で顔を隠しているアルバートはやはりモブだろう。
ただ、この世界は最早神様が作ったあの乙女ゲームの世界とは言い切れない進化を遂げている部分があるのだ。アルバートの能力を考えると世界のバグが作り出した新たなチートキャラの可能性は捨てきれなかった。もしもアルバートが世界にとって何か重要キャラになるのならば、これが分岐点になるかもしれない。
「……アルバート様も、よろしいですね?もうケンカはしないで下さい」
私はアルバートに向かってにっこりと笑みを向ける。新たに伝授されたお母様直伝の令嬢スマイルだ。アルバートにどこまで効果があるかはわからないが「親しくはするが馴れ馴れしくするんじゃねぇ」と言う圧をかけられるらしい。
するとアルバートは「はははっ」と声に出して笑った。……とても嬉しそうにだ。目は隠れたままなのになぜかその時はとても嬉しそうなのがよくわかった。その声に、小さなフィレンツェアがピクリと反応する。
「……どうかしましたか?」
「いえ、失礼しました。ただ、ほんの数日でずいぶん変わられたなと思いまして……。少し前までは、フィレンツェア嬢とこんな風な時間を共に過ごすとは思っていませんでしたので不思議な感じがしてしまって……いえ、気にしないで下さい。
さぁ、では遅刻する前に学園に行きましょうか」
その言葉にどんな意味が含まれているのかと考えつつ、私は「そうですね」と相槌を打ち馬車へと乗り込んだのだった。
もちろんアルバートとは別々の馬車である。いや、一緒に乗りたいと言ってはきたのだが……なにせ事情を知っている使用人達や守護精霊達が周りに潜みめちゃくちゃ睨んできていた(もちろん御者も凄んでいた)のでさすがのアルバートもヤバいと思ったらしい。
「ここはおとなしくしておきます。せっかく仲良く慣れたのに無理強いをして嫌われたくはないですし……フィレンツェア嬢は、皆に愛されているんですね────」
そう言って自分の馬車に乗り込んだアルバートの口元はいつものように微笑んでいたのだが……。
その時、ほんの一瞬。アルバートの周りの空気が陽炎のように揺れた気がしたのだ。
それが赤いオーラを纏った