「本当に、大変ご無礼な事をしてしまいました。ブリュード公爵夫人のおっしゃる通りです、この書類は破棄いたします。ただ、我々は決してそんな企みなど持っていないと信じていただきたいのです」
伯爵夫人が私へと視線を動かすと、その目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。なぜか優し気な視線で見られている気がして少しだけソワソワとしてしまう。
「アルバートにもよく言って聞かせますので、どうかご容赦を……。フィレンツェア様にもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。いくらクラスメイトとは言え、それほど親しくもないのにこんな事を言われてどれだけ戸惑われた事か……」
「い、いえ……!エヴァンス伯爵令息に助けて頂いたのは本当の事ですので、感謝しております。ですが、私はエヴァンス伯爵令息とお会いしたのは今日が始めてですし……って、え?クラスメイトぉ?!」
その驚きのワードに思わず声を荒げると、私の反応にアルバートが「ははは」と肩を竦めた。
「おや、この数ヶ月ほど同じ教室で一緒に勉学を学んでいましたのにまさか名前どころか存在すら気が付かれていなかったとは……。まぁ、先程自己紹介された時点でなんとなくわかっていましたけどね。僕の名前を聞いても思い当たる節など欠片もないご様子でしたから……。フィレンツェア嬢はいつもジェスティード殿下を追いかけ回していて休み時間はほとんど教室にはいませんでしたし、伯爵令息の僕から公爵令嬢……しかも王子の婚約者の方においそれと声をかけるのも難しかったのですから仕方がありませんね。でも、通りすがりに挨拶をしたことはあるんですよ?ただあなたはこの黒髪を嫌っていたのか目も合わせてくれませんでしたが────そう、
「……あの日?」
「……いえ、なんでも。僕は第二王子に比べて地味で目立ちませんから、あなたのような麗しいご令嬢が興味を持ってくれるはずもありませんしね。元々注目されるのは苦手な性分ですので、自業自得です」
一瞬、アルバートの声が鋭くなった気がしたが私が首を傾げるとすぐにちょっとふざけた雰囲気に戻ってしまった。本当に一瞬だったので気のせいだったと思うしかない。
しかしまさか、クラスメイトだったとは……。小さなフィレンツェアの記憶にアルバートが全くいなかったのは、本当に彼に興味がなかったからなのかもしれない。やっぱりモブの扱いだったようだが、それにしたって失礼にもほどがある。相手は私がクラスメイトだと認識して助けてくれたというのに、申し訳ないやら恥ずかしいやらで頬に熱が集中してしまった。
「わ、私は加護無しでみんなに嫌われていますので、あまり周りと関わり合いにならないように……その、していたんです。ですが、同じクラスだと言うのに初めてお会いしただなんて言ってしまって、本当に失礼いたしました」
「とんでもない。でも、よければこれからは僕の名前を覚えていて下さればとても嬉しく思います。
あなたの騎士になるのが無理ならば、どうかお友達になっていただけますか?色々とふざけた事を言って困らせてしまいましたが、僕は……本当はフィレンツェア嬢と仲良くしたいだけなんです」
下を俯く私の目の前に手が差し出される。視線を上げれば目は隠れたままだがにこりと優しい笑みを浮かべているアルバートがいて……私はその手をそっと握った。
「……学園でお友達が出来るのは初めてです。これからよろしくお願いしますね。あの、お友達としてお願いなのですが……私のペットのアオの事はふたりの秘密にしていただきたいのです」
「フィレンツェア嬢のお願いならば、喜んで」
強く握り合う事はなかったが、軽い握手をして私とアルバートは友人関係になることが決まったのだった。
申し訳ないとか、恥ずかしいと思ったのも本当だ。もちろん助けてもらった事にも感謝している。そしてモブ扱いの人物ならばそこまでヒロインと深く関わることはないだろうという安心感も。
だが、要注意人物であることは変わりない。それにアオの事を知っても驚きも戸惑いもせず対等に渡り合うどころか平然としていたあの態度もずっと引っかかっていた。
これは直感だが、ヒロインや攻略対象者とは違う危機感がこの人物にはあった。だが、小さなフィレンツェアが感じる憎みきれないと言う想いも本当のことだ。もしかしたら小さなフィレンツェアの隠している何かと関係あるのかもしれない。
それに……ひとつ気になる事もあった。
この結末に、お母様は私が決めた事だからと納得してくれた。疲労感はすでにピークのようだったが、エヴァンス伯爵夫妻は涙を流して喜んでくれたしとにかく騎士云々が有耶無耶になって良かったと私とお母様は安堵したのだった。そういえば結局、アルバートは顔中べっちょべちょのままで帰って行った。長い前髪がべったりと張り付いていたので顔を洗っていったらどうかと提案したのだが「このまま帰らないと、怒られるので」と苦笑いをされてしまった。なんで?
まぁいいか……あぁ、お茶が美味しい。
どのみち騎士になるのは断れて良かった。だって私を守ってくれるナイトはもうアオがいるんだから!
「実は……彼はアオの正体を最初から知っていたようなんです。少し確認したい事がありますのでしばらく様子を見ようかと思います」
「そうね。……エヴァンス伯爵家はこれまで社交界では良くも悪くも普通の家紋だったのよ。家族全員が目立つのを避けている風な感じだったのに、次男とは言え息子をフィレンツェアちゃんの騎士にしたいだなんて……なぜ急にそんな目立つ事をしようとしてきたのかがわからないわ。確かに様子を見た方がいいわね……明日からはまた学園なのだから、決して気を抜かないようにね?」
「わかっています」
しかし承諾はしたものの、私にはこれまで“お友達”なんて神様くらいしかいた事がない。さすがにアルバートとゲーム談義をするわけにはいかないが、それなりに接しなければ敵かどうかの判別もつけられないだろう。
……普通の友達ってどうすればいいのかしら?と、新たな悩みを抱えることになるのだった。