目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第40話 秘密を知る者①


 さっきの奇妙な夢はなんだったのか。そしてあの声の主は……。なぜ精霊についての夢を見たのかなんて全くわからなかったが……ただ、あの賢者の本にはなにか秘密があると思えて仕方がなかった。こうゆう予感は意外と当たるものである。


 あれは、ただの夢じゃない。それだけは本当だと私の本能が訴えていたのだ。


 あんなに酷かった耳鳴りや寒気はもうなくなっていたが、階段から落ちた時の感覚は鮮明に覚えている。私は確かにあの声の主に殺されかけたのだ。神様もさすがにあんな設定などしないだろうし、ゲームでも見たことがない。あれは確実に、この世界自体が作り出した現実なのだと思った。


 気になることはたくさんある。考えなくてはいけない事もだ。処刑されるのを回避する為に頑張っているのに精霊にまで命を狙われているなんてと、今すぐ神様を呼び出してなんとかして欲しいと叫びたいくらいなのだが……。



 だが、今の私はそれどころではなかった。



 なぜか今は、何よりもこの青年の素顔が気になってしまっている。あの長い前髪に隠された瞳がどうしても見たい。と。いつもなら小さなフィレンツェアに引っ張られているだけだろうと思うはずなのに、なぜか妙に気になってしまうのだ。



 そんな衝動にかられて、ついあの前髪に触れたいと思ってしまった。そんな事を考えている自分に衝撃過ぎて呼吸まで荒くなってくる。これは緊張しているのか?そこまで緊迫した状況なのか?心臓もなんだか痛いし、このままでは呼吸困難になってしまうのではなかろうかと自分で自分が心配になってしまった……。


 しかし突然相手を押さえつけるわけにもいかないし、こんな時はどうしたらいいのか。聖女時代にはもちろんこんな経験なんてした事ないし、小さなフィレンツェアにもあるわけがない。とにかく一刻も早くまるで雑巾を力一杯絞ったかのように痛みを訴える激しく高鳴る鼓動を鎮めて呼吸を確保したいと、私は堪えきれずに口を開いた。



「「あの……!」」



 すると、私が声を出すのと同時に青年の声が重なって聞こえてきたのだ。恥ずかしさに耐え切れなかった私の声は盛大に上擦ってしまう。


「な、なんですか?!」


「いえ、あなたから……「いえいえ、そちらからどうぞ!」そうですか?では……」


 そう言って青年は苦笑いをする。その笑みにすら口から飛び出そうなほどに心臓の音がさらに大きくなってしまった。そして青年が右手を持ち上げて私に見せてきたのだが……。


「……お目覚めになられたばかりなのに申し訳ないのですが、助けていただけませんか?実はさっきからあなたのペットが離れてくれなくて」


 なんと、その右手の先にはトカゲの姿のアオが噛み付いたままぶら下がっていたのだった。


「ア、アオ?!」


『がるるるるるる!!』


「いやぁ、このトカゲくんもさっきまであなたの側で眠っていたんですけど目が覚めた瞬間から僕に威嚇してきまして……落ち着いてもらおうとしたんですが失敗してしまい、この有り様です」


 ははは。と苦笑いをしているが平然としている青年に対して、アオはといえば噛み千切らんとばかりにギリギリと牙を立てているように見えた。


 ヤバい。アオの目は……本気だ!


 アオのおかげで私は我に返り、落ち着かなかった心臓が激しい動悸をやめてくれたし呼吸も正常に戻ってきた。どうやら緊急事態は脱したようだ。しかし、助かりはしたがこんなショック療法はやめて欲しい。


「ちょ、ちょっとアオ!?やめなさい!怪我させちゃったらどうするの!」


 慌てて起き上がりアオの体を両手で掴むと、アオが目を見開き涙を潤ませる。そして『!!』と全身で喜びを表現しながら私に飛び付いてきたのである。その時に青年の手首を思いっきり後ろ足で蹴っていたようにも見えたが気のせいだと思いたい。グラヴィスの事を嫌うのは悪役令嬢を断罪してしまうかもしれない攻略対象者だからだとして、この青年の事はなぜそこまで嫌うのだろうか?ゲーム内にいたとしても確かに黒髪は珍しいが、扱い的にはモブくらいだろうと思うのだが。


 でも、きっとものすごく心配させてしまったのだろうなと思ったら申し訳なく思う。


「もう大丈夫よ、アオ。心配かけてごめんね。……あ!アオは大丈夫だった?確かあの時、体がひかっ────と、いえ、なんでもないわ」


 思わず最後に見たアオの状態を確認しようとしたが我に返って口を噤んだ。私を助けてくれただろうこの青年があの時どこまで見たのかは定かではないが、もし気付かれていなかったのならいくら恩人でもわざわざ教えるつもりはない。だってこの人がアオの事を他の人に言わないとは限らないもの。


 それに、さっきはあんなにこの人の素顔が気になっていたのにこうしてアオの姿を見たらその気持も落ち着いていた。きっとあの夢を見たせいで私も小さなフィレンツェアも混乱していたのだろう。色々誤解があったとはいえ、ずっと加護無しとして扱われて精霊と関わっていなかった小さなフィレンツェアからしたらにとんでもない悪夢だったはずだ。いや、私からしてもかなり悪夢だったなと、冷静に考えてしまう。ならば余計に混乱しても仕方がなかったのだ。と、自分を納得させた。


「と、とにかく!アオに噛まれたところを手当しないと……「それなら、大丈夫ですよ」えっ」


 そう言ってさっきまでアオが噛み付いていた右手を私の前に差し出してくる。その手には牙の跡どころか赤くなっているところすら見当たらなかった。


「ほら、無傷です。どうやらそのトカゲくんは手加減して甘噛みしてくれていたようですね」


「あ、甘噛み……?あれが……?」


 その返答に戸惑ってしまい先程のアオを思い出すが、あれはどう見ても本気で噛み付いていたように見えた。甘噛みなんて可愛らしいものではなかった気がする……。


 それにしても、アオはどこまでもこの青年が気に入らないのか私にしがみつきながらもまだ威嚇している。もしかして、ドラゴンも嫌がるくらいにものすごく頑丈な人なのだろうか。見た目は決して筋肉質には見えないけれど。


 私は戸惑いを隠すためにコホンと咳払いをして、アオを落ち着かせようと背中を撫でた。


「大丈夫ならいいのですが……。改めまして、私はブリュード公爵家の娘のフィレンツェア・ブリュードと申します。この度は助けていただきありがとうございました。それと、この子はアオです。私のペットが失礼な事をして申し訳ありません。あの、図書館には何かご用事があったのでは?私のせいで台無しにしてしまったのでしたらなんとお詫びしたらいいか……」


 アオが嫌っているのは別にして、あの階段落ちから助けてもらったのは事実だ。出来る限りのお礼はしなくてはいけないと思った。あのまま落ちていたらかすり傷では済まなかっただろうし、アオもきっと私を助けようと一緒に落ちてきたのだろうから……アオが無事で本当によかった。








コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?