※侍女・エメリー視点
「お嬢様はとても集中されたご様子でその本をお読みになっておられました。
わたしは奥様に事の顛末を説明する為に口を開きましたが、目の前でフィレンツェアお嬢様が階段から落ちる瞬間を見ていながら助けられなかった事に後悔して思わず俯いて下唇を噛みました。
こうでもしないと涙が溢れそうだからです。ですが、こんな役立たずの侍女には泣く権利すらありません。
「どうせなら、わたしが身代わりに落ちていればよかったんです……!わたしはお嬢様の身をお守りする事が出来ませんでした……申し訳ございません……!」
「……」
目の前にいる奥様は黙ったままでした。わたしは奥様の目を見ることが出来ず、膝を折り頭を床に打ち付ける勢いで頭を下げます。
「本当に……本当に申し訳ございません……!!どんな罰でも受ける覚悟は出来ております……!」
自分でもびっくりするくらいにその謝罪の声は震えていました。でもこれは罰が怖いからなんて理由ではありません。これは、フィレンツェアお嬢様の身にもしものことがあったらと……それが怖くて震えているのです。
せっかくお嬢様の笑顔を見ることが出来たのに、これからもっとお嬢様の笑顔を見るはずだったのに……!と、そんな思いがずっと巡っています。
あの時、わたしの手が離れなければ……と。
「罰ならば俺に……!護衛でありながら肝心な時にお守り出来なかったなんて……!」
護衛さんもわたしと一緒に頭を下げてくれました。でも護衛さんは荷物運びとお嬢様の帰り道の安全を守る為に馬車の確認をしてくれていたのです。罪ならばお側にいたわたしにこそあるべきでしょう。
「……言い訳はいらないわ。とにかく、その後に何が起こったか話してちょうだい」
顔色を悪くした奥様にハッキリと促され、わたしは息を呑みました。確かにこれは言い訳です。誰かに罰して欲しいと願うわたしのエゴでしょう。
わたしは息を整え、目を閉じました。
その瞼の裏には、あの時の光景がはっきりと浮かびます。わたしの見た、あの恐ろしい光景が……。
「フィレンツェアお嬢様が転落した時、あの場では予想外の事が起こっておりました……」
目を開けて、今度は真っ直ぐに奥様の目を見ることが出来ました。せめて真実を伝える……それが今のわたしに出来る精一杯の事だからです。
これも言い訳になるかもしれませんが、その予想外の出来事によって起こった騒動はとてもわたしのような侍女や護衛の手に負えるものではなかったのです……。
***
「フィレンツェアお嬢様……!」
『フィレンツェア……っ!』
わたしの叫び声とアオ様の声が重なって聞こえた時には、すでにフィレンツェアお嬢様の体はまるで見えない力に放り投げられたかのように弧を描いて階段から落ちていました。
その時の衝撃でわたしの体も後方へと弾かれてしまい打ち付けた体が悲鳴を上げます。でも体の痛みなど……そんなことはどうでもいいと、急いで体勢を戻してわたしもお嬢様の後を追おうとしましたが、その時のわたしはまるで誰かに押さえつけられているかのように体が重くなり動く事が出来なかったのです。これも言い訳だと思われるかもしれませんが、決して足が竦んだりなどはしていません。見えない誰かに押さえつけられている…そんな違和感を全身で感じていました。
それでもと、力を込めれば少しだけ動いた指先をお嬢様の方へと伸ばしましたが……時はすでに遅く、その手がお嬢様に届くことはなかったのです。
ほんのついさっきまで、苦しそうにしながらもわたしの手を握ってくださっていたのに……なぜわたしの手はお嬢様をもっとしっかりと掴んでいなかったのかと悔やんでも悔やみきれません。
あの時の絶望感と、大きく見開かれたお嬢様の湖の底のような深いアクアブルーの瞳が脳裏に焼き付いて忘れられませんでした。
そして、アオ様がフィレンツェアお嬢様を追いかけるように勢い良くその場から飛び出されたのです。体が自由に動かないわたしにはそれを止めるすべなどありません。
「アオ様……っ」
絞り出した声は周りの声にかき消されてしまします。
するとアオ様のそのお体が淡く輝き出したと思った途端、なんと擬態されているトカゲの姿から本来のドラゴンの姿へと変わってしまわれたのです。どうやらアオ様はご自分の変貌に気付いておられない様子で必死にフィレンツェアお嬢様を追っておられましたが、徐々に輝きは弱まり途中から気を失ったかのように見えました。
わたしは思わず公爵家のお屋敷で見た大きなドラゴンのお姿を思い浮かべましたが、その時の大きさはトカゲの時と変わらぬくらいでした。周りの人間達の視線は落ちたフィレンツェアお嬢様の方に集中していましたので今は気付かれていないようでしたが、それも時間の問題だろうと思いました。
誰かが気付いた瞬間に大騒ぎになるに決まっています。そしてそうなれば、フィレンツェアお嬢様はもう望んでおられた平穏は手に入れられなくなるでしょう。
フィレンツェアお嬢様はアオ様の正体が希少なドラゴンで、さらにはご自分の守護精霊だと世間に露見するのをとても嫌がっておられました。ずっと“加護無し”だと蔑まれていたお嬢様に守護精霊が……それもドラゴンだとわかれば周りの人間が手のひらを返すだろう事は目に見えていますが、フィレンツェアお嬢様はそれを望んでおられません。
第二王子殿下と婚約破棄するためにも騒がれるのが嫌なのだと、その後の生活は憂い無くゆっくり過ごしたいのだと馬車の中でお話して下さったのに……。そして、アオ様の正体が周りにバレないように協力して欲しいとも。
わたしはお嬢様のそんなささやかな願いすらも叶えてあげられないのかと、自分の無能さに嫌気が差しました。
体が上手く動かず飛び降りれないのならば、せめてここから勢いをつけて転がり落ちればもしかしたらフィレンツェアお嬢様の下敷きになれるのではないか?そしてアオ様への注目を逸らすことが出来るのではと、悲しみと混乱で無茶苦茶な事を考えたその時。
どこからとも無く現れた