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第32話 その声は②

『ミツケタ』








 苦笑いをして肩を竦めようとしたその時、急にゾクリと背筋に寒気を感じたのだ。そして、耳元で囁くような声を聞いた気がして思わず後ろを振り向いたがそこには誰もいなかった。




「フィレンツェアお嬢様、どうかされましたか?」




 エメリーがきょとんとした顔で私を覗き込む。今の“声”はエメリーには聞こえていないようだ。




「う、ううん……なんでもないわ」




 気のせいだろうか?いや、でも確かに聞こえた。『ミツケタ』と。




「なんだか顔色が悪いですね……やはりさっきの騒動でお疲れなのでは?そろそろ迎えの馬車が到着する頃ですし、今日は早く帰ってお休みされた方がいいかもしれません」




「そうね……、帰りましょう。そうだわ、この本を返却してこないと────」




 私は手に持っていた本に視線を動かし、言葉を失ってしまった。




 なんと賢者の本がぐねぐねと形を変形させ、蠢いていたのだ。




「こ、これは……っ!?」




『フィレンツェア!!』




 するとさっきまでうたた寝をしていたアオが飛び起き、私の手から賢者の本をもぎ取った。




『この本、なんか変だ!』




 私の手から離れた後も本は蠢き続け、今度はアオに絡みつくようにぐにゃりと変形する。




「アオ!」




 アオを助けなれば。そう思うのにさっきから寒気が酷くて体が上手く動かせなくなってきていた。




「お嬢様?アオ様?一体どうなされたんですか……その本がなにかありましたか?」




 エメリーが不思議そうに首を傾げている。まさか、この現象は私とアオにしか見えていないのか。そしてその間にもぐねぐねと動く本がアオの首に絡まっていったのだ。






『フィ、フィレンツェア……!この本から、急に変な感じが出てきてる……!くそっ……、フィレンツェアは僕が守るんだぁ……!!』




「アオ!!アオに何するのよ……!」




 私はなんとか力を振り絞り手を伸ばすと、今まさにアオの首を締め上げようとしていた本を掴み叩き落とした。まだ動いてはいるが、どうやら私とアオ以外は攻撃しないようだった。






『ミツケタ』






 またもやあの“声”が聞こえる。今度は耳鳴りと共に木霊のように頭の中でガンガンと響き渡り出し、寒気も酷くなる一方だ。
















   『ミツケタ』










        『ミツケタ』




『ミツケタ』










            『ミツケタ』




    『ミツケタ』


















「お嬢様!顔色がさらに悪く……!」




 よろける私にエメリーが駆け寄ろうとするが、その足元でまたもや本がぐねりと大きくうねりだした。この寒気も大量に聞こえる“声”も、賢者の本が関係している。小さなフィレンツェアが私の中で警鐘を鳴らし出し、私は急いでエメリーの腕を引っ張った。




「エメリー、アオ、逃げるわよ!」




「お嬢様?!」




 アオも頷くと、一緒に出入り口へと繋がる階段へと走り出した。エメリーは理由がわからないという顔をしているがそれでも私についてきてくれている。




「お嬢様、何を見たんですか……?!さっきからわたしの守護精霊も姿を現さないですし、もしかしてまた新たな“呪い”が……!?」




「それは」




 エメリーには本の変化は見えていなかった。それでもエメリーは私やアオの行動を不審に思うのではなく理由があると信じてくれているのだ。






 周りの人間は急に本を床に投げて走り出した私の事を「また加護無し令嬢が癇癪を起こして……」と冷ややかに見ているし、貴重な本を粗末に扱ったとして図書館の司書達が私を捕まえようと集まり出したその時、エメリーとアオが青ざめた顔で私の名前を呼び────。








 小さなフィレンツェアが私の中で悲鳴を上げた。














『ミツケタ……オマエダ!!!』


















 大きな“声”が聞こえたと思った瞬間、私の体は見えない力により階段の上でひとり吹っ飛んだのだ。その衝撃でエメリーと手が離れたので道連れにしなくて済んだことだけが幸いだった。と、そんな事を考えながら長い階段に放り出された私の体はそのまま下へ落下してしまった。






 その後の事はあまり覚えていない。




 もう体は動かせそうになかったし、未だに鳴り響く“声”のせいで意識は朦朧としていたからだ。




 そして私の目の前は落下と同時に真っ暗になっていった。




 最後にわかったのは、私に向かって飛んでくるアオの体が淡い光に包まれていた事。そして、私の体を包むように“誰か”が受け止めてくれた事。




 そこで私の意識は完全に途切れてしまったのだ。












「フィレンツェア・ブリュード────君が悪役令嬢だったのか」










 その“誰か”が私の名前を呼んだ事なんて、気付きもしなかったのだった。














***










 その精霊は、図書館で起こったフィレンツェアの騒動を静かに見ていた。姿を隠し声を潜め、それこそ他の守護精霊達にすらも気付かれないようにひっそりとだ。


 そんな精霊の前で、フィレンツェアの騒ぎを目撃した人間達がこんな話をしていた。



「一体、何が起こったんだ?あれは確か加護無しのブリュード公爵令嬢だろう?」



「それが、突然癇癪を起こして自分の侍女を道連れに階段から飛び降りようとしたとか……」



「そう言えば、癇癪を起こす前に何か本を読んでいたそうだぞ。読んだ後に床に投げつけたらしいけどな」



「あの貴重本をか!まぁ、ちょっと変わってる本だから気に入らなかったんじゃないか?確かに精霊魔法については詳しく載ってると聞いたが、ほら本の前半が────」



「なにせ、本の前半が全て白紙でらしいじゃないか!」



「そうだ、それなのに後半の精霊魔法についての部分を読むにはその白紙のページを全てめくって目を通さないとページが開けないように魔法がかけられてるって聞いたぞ!」


「なんでも賢者の守護精霊が施した魔法らしいが、その魔法については解明されていないらしいぞ。そうとう根気強くないとあんな本読めないよな」


「そこまでして勉強しなくても、守護精霊がいればなんとかなるしなぁ。……あ、加護無しだから守護精霊の恩恵がないんだったか!」


「精霊に嫌われているくせに今更勉強なんかしてどうするんだか……。どうせ白紙のページにイラついて癇癪を起こしたに決まってるさ」


「これだから加護無しは……」






 その精霊は静かにその場から立ち去っていった。

















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