この本が、
著 賢者A・エヴァンス
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〈私が産まれた時、まだ人間は精霊の存在を知らなかった。否、
平民として生まれ平凡な人生を歩んでいた私は、ある日突然に幸運にもその存在に気付くことが出来たのだ。
しかしその事を周りの人間は誰も信じてくれなかった。嘘つき呼ばわりされた私はそのせいで仕事を失い、家族から見放され、誰にも見向きもされなくなったが、私は決して孤独では無かった。
それは、どんな時も“彼女”がいてくれたからだ。
“彼女”は言った。
『あなたの魂に惹かれて我はやってきた』と。
私の魂は他の人間よりも強いのだそうだ。魂の強さの定義についてはわからなかったが、それは精霊にとってとても重要な事なのだとか。
そして“彼女”が精霊について教えてくれた。
精霊とはこの世のあらゆるものに宿る超自然的な存在なのだと言う。元来目に見える姿はあってないようなもので、“彼女”の姿は私に気付いてもらうためにわざわざその姿になったのだとか。恥じらった様子で語る“彼女”はとても愛らしかった。
それから、“彼女”と親しくなるほどに私の身の回りは変化していった。〉
〈目に見えて変化した原因は精霊魔法だ。
まず、この世界の人間は魔法なんて使えない。もちろん私も。これを書いている私が「賢者」と呼ばれるようになったのは全て精霊魔法のおかげだった。
私が望めば、精霊である“彼女”が自身の力の精霊魔法を使ってくれた。頭では全て“彼女”のおかげだと分かっているのに、それはさも自分の中に眠っていた何かが目覚めたかのような不思議な感覚が体を駆け巡っていたのだ。
私は精霊魔法に夢中になり、底なし沼から抜け出せないかのように没頭した。私が合図をして魔法の力により不思議な現象が度々起こるようになると、それまで私を馬鹿にしていた人間達が私を崇めるようになったのだ。そして自分達にもその力を分けて欲しいと懇願しだした。
私は“彼女”に願った。
精霊達が人間が認識出来る姿になれば、強い魂の持ち主以外でも精霊を見ることが出来るのではないか。と。
それから私は“彼女”の協力を得て精霊達を説得していくことにした。元々気まぐれでいたずら好き、なによりも楽しい事を好む精霊達は“彼女”と私の言葉巧みな説得により『面白そう』だと興味を持ってくれたのだ。〉
〈その時に初めて、精霊達の精霊魔法はそれぞれが違う能力で魔法の力の強さも違っている事、みんなが“彼女”と同じような姿になれるわけではないのだと知った。そこで精霊達に提案したのだ。
この世界に生存する生き物の姿になって人間を驚かしてやってはどうかと。それによってわかったのはお伽噺に出てくるような空想の生物の姿になれるのは強い力を持つ精霊だけである事、通常の精霊達は虫や小動物、せいぜいが大型動物などにしかなれないという事だ。なので、精霊自身の能力や趣味嗜好に合わせた姿を一緒に模索した。ほとんどが『面白いから』と決めていたようだが、精霊的には生き物の姿を象る事自体が興味の対象だったのだろう。みんな楽しそうに私の言う事を聞いてくれるので精霊に認めてもらえた気分になっていき、私は自分が精霊より格上になったように感じていた。〉
〈しかし、何匹かは空想生物の姿になったのだが……彼らは“彼女”には従っているのに、私には従ってくれなかった。それはつまり、彼らにとって私は従わなくてもいい存在なのだと“彼女”も認めているのだろうか?私は気持ちを抑えきれなくて“彼女”に抗議した。
精霊はある意味本能に忠実なのだと“彼女”は言った。精霊は利己的な考えをする傾向があるそうだ。好戦的だったり臆病だったり……それは人間と同じだと。
それならば、“彼女”と私も同じなのだろうか?
そしてとうとう精霊達に動き出してもらう日が来た。〉
〈最初は、私の元へ訪れた力を欲する人間と精霊を私の判断で引き合わせる事にした。精霊の力で魔法が使えるようになると、しばらくはひたすら感謝された。「さすがは賢者だ」と。しかしこれに不満を訴える者が徐々に現れたのだ。
「こんな姿の精霊では格好が悪い」
「こんな地味な魔法ではなく、違う魔法が使いたい。なぜもっと便利な精霊と引き合わせてくれないのか」
「あいつの精霊の方が欲しい。自分で選ばせろ!」
人間はいつしか、自分達が選ぶ側だと主張しだした。私と同じで、精霊の力をまるで自分の力のような勘違いをしたのだろう。私と“彼女”には強い絆があったのでそれくらいで揺らぐことはなかったが、私が引き合わせた人間と精霊の間にそんなものはない。あくまでも精霊が『面白そう』だからと力を使ってくれていたのに、それに不満を言ったせいで精霊達の興味は人間からすっかり失せてしまったのだ。
それから数年間、精霊達は私の前にも姿を現さなくなった。突然魔法が使えなくなったと騒ぎ出した人間は私をペテン師だと罵り、あれほど私の事を崇めていたのにまたもや私の周りから誰もいなくなってしまった。〉
〈それは人間だけではなく、“彼女”すらも。
つまり、私も精霊魔法が使えなくなったということだ。私は今度こそ孤独になってしまったのだ。“彼女”がいなくなるなんて気が狂いそうだった。
私は、“彼女”の優しさに胡座をかいていたのだろうか。“彼女”なら絶対に私を見捨てないと心の何処かで慢心していたのだ。なぜなら“彼女”は────。〉
〈こうして私は危機を脱した。
“彼女”のおかげで精霊達は再び人間に興味を持ってくれたのだ。だがこれまでと同じではいけない。策を練らねばならないだろう。だから私は精霊達にこう言ったのだ。
「これからは、精霊達が人間を選ぶのだ」と。
今生きている人間達……特に大人はもう魂が汚れている。私利私欲ばかりのあいつは
それから精霊達は、それぞれが
人間は愚かだ。精霊がいなければ何もできないのならば、全ては精霊の気持ちひとつでその人間の運命を変えてしまえばいい。
そうしていつしか精霊は人間の守護精霊となり、人間は精霊に感謝するようになった。その人間を守るのも共に過ごすのも見捨てるのも、どうするかは全て精霊次第。それが当たり前になっていった。〉
〈私は再び賢者と呼ばれ出した。だが私の心は不安でいっぱいだ。
このままでは“彼女”は再び私から離れていってしまうかもしれない。だからこうするしか無かったのだ。私の心を守るためには仕方がなかった。きっと“彼女”も許してくれるだろう。
そして私は突然に理解した。この世界を。その感覚は初めて精霊の存在に気付いた時と同じ感覚だった。
この世界の価値、あるべき意味、そしてわずかな綻び。そのわずかな綻びこそが私の願いを叶える為に────〉
〈これで私は、やっと本当の意味で“彼女”を手に入れることが出来たのだ。