「せ、先生!あのっ、もしかして今……精霊魔法を使っているんじゃないですか?!」
私は咄嗟に、その「もしかして」を今すぐ確認しなくてはいけないと思ったのだ。
するとグラヴィスは立ち止まり、珍しく目を丸くして私を見た。
「あぁ、その通りだが……。よくわかったな、俺の精霊魔法は使っても気付かれない事が多いのに」と。
私は「やっぱり」と心の中で呟く。
グラヴィスの守護精霊は防御系の魔法を使うのだが、ゲームの決め台詞や神様の言葉から推測して物理攻撃にのみ効果があるような気がしていた。
だが、ゲームでのグラヴィスが“どんな攻撃も跳ね返す自信がある”と豪語していたのを思い出した時にふと「もしかして」と思ったのだ。
あの水溜りはアオの精霊魔法で作られたモノだがそれはルルに対しての魔法であって、決してグラヴィスを攻撃していたわけではない。しかしグラヴィスの体に触れる寸前に弾けて消えてしまった。もしそれが
するとグラヴィスは少し声を落として、得意気に話し出した。
「これは誰にも言っていないんだが……実は、数ヶ月程前からとある方のアドバイスで図書館にいる時は自分自身を精霊魔法で覆っているんだ。俺の守護精霊は防御系の魔法を使うのだが、その方のアドバイスのおかげでこうして新しい魔法の使い方を発見できてな、今はそれを研究中だ。驚くなよ?通常の魔法に対して少し考え方を変えただけなのだが、なんとこうすると雑音や干渉を“防御”する事が出来て本を読む時にさらに集中出来るという画期的な魔法になったんだ!まだ魔法の調節が上手くいかない時があるし、他人にこの魔法をかけたらどうなるかもわからないから発表は出来ないんだがな」
まるで無邪気な少年のような笑みを見せるグラヴィスに少し驚く。私の驚きをその魔法についてのものだと思ったのかグラヴィスが「すごいだろう?」と笑った。実際はゲームでも小さなフィレンツェアの記憶でも、グラヴィスはいつも眉を顰めた表情ばかりだったから珍しいものを見た気分になっただけなのだがさすがに真実は言えず、私は「はい、すごいですね」と相槌を打った。
すると、グラヴィスは目を細めて笑った。これまで勉強や魔法に無関心だったフィレンツェアが興味を持ち、それを認めた事が嬉しいのだと言って。確かにこれまでのフィレンツェアなら興味なんて示さなかっただろうし、まずグラヴィスとまともに会話なんか出来なかっただろう。それでもさすがに記憶の中の態度と差がありすぎて、その視線のせいもあり少しむず痒い気持ちになってしまった。小さなフィレンツェアも同じく動揺しているようだった。
「あ、あの……その魔法って、ハンダーソンさんに会った時も使っていましたか?」
なんだか恥ずかしくなり誤魔化すような言い方になってしまったが、肝心な事を口にする事は出来た。これを聞かなくては私の「もしかして」は確定しないのだ。
「ん?それはもちろん。なぜかあの子は図書館でばかり俺に相談をしてきていたからな。まぁ、誰にも聞かれたくないからと言うから仕方がなく承諾したらあんな内容ばかりだったので辟易としていたところだ。最近はもしかしたらあの子は虚言癖があるのかもしれないと疑っているのだが、それが守護精霊の影響かどうかの見極めが難しくてな。それにしても、さすがに急に目の前に現れたりぶつかったりしてこられては防御しきれず無視も出来ないし……全く、本を読む邪魔ばかりしてきて困ったものだ。それがどうかしたか?」
「いえ……ただその時に歌とか、何か聞こえてきたりしなかったのかなって思いまして」
するとグラヴィスは「歌?」と首を傾げた。
「いや、歌なんて聞いたことはないが……なんだあの子は図書館内で歌まで歌っていたのか。非常識な。まぁ、聞こえてこなかったということは“雑音”だと判断されて防御されたんだろうけれど……俺の守護精霊は静けさを好むからな。……ふむ、やはり距離が空いていれば防御は出来るようだ。あとはどれくらいの距離があれば効果を発揮するのかを調べなくては……」
その様子にどうやら私の考えは当たっていたようだと確信した。ルルは確かに出会いイベントを実行したけれど、グラヴィスが精霊魔法を使っていた図書館でのみ接触をしていたからずっと“防御”されてしまっていたのだろう。そのせいでセイレーンの歌はグラヴィスには聞こえていなかったのだ。だから魅了されなかった。しかしルルには失敗した原因がわからなかったので何度もイベントの再現を繰り返し、今度はたまたまいた私を利用してイベントの成功率を上げようとしたのだろうか。もし私が持っていた本の数まで認識していて実行していたのなら……と、ひとつの可能性が頭に浮かんできた。
つまりルルは、イベントの存在や好感度の事を知っているのではないだろうか。どうすれば自分が攻略対象者達に愛されるのか、その手順を熟知しているような気がしたのだ。
考えたくなかったが、……やはりルルは私と同じ転生者なのかもしれない。いや、ここは神様の作った未完成の乙女ゲームの世界だ。いくらあの神様がうっかりだとはいえ、そんな簡単に間違えて転生なんてあるわけ……ないと信じたい。うーん、あの神様だしなぁ。
とりあえず、私を巻き込んでもまたもや失敗してしまったのでかなり焦っているだろうなとは思ったが。
「いいか、さっきも言った通りこの魔法についてはまだ研究途中なんだ、他言無用だぞ。それとひとつ言っておくが……」
「はい?」
グラヴィスは私が机の上に積み上げていた本を見てから、視線を私に向けたのだ。
「……これまでの君は加護無しである事を理由に勉強もせず、公爵家の権力を無闇に振りかざすばかりで努力を怠っていたな。失敗を全て守護精霊がいない事にこじつけて少しも改善しようとしなかったあの態度は実に滑稽だった。
いいか、知識とは武器だ。守護精霊がいるかどうかなんて関係ない。身に付けた知識は必ず自分を助けてくれるんだ。勉強はいつから始めたって遅くなどないんだからな」
いつものうんざりした視線ではない“教師”の視線を初めて向けられた気がして、今度は私が目を丸くしてしまう番だった。
「てっきり、先生は私の事が嫌いだと思っていましたが……」
「嫌いだったな。元よりやる気のない人間は嫌悪の対象だし、“加護無し”である事を受け入れて“精霊に好かれよう”と努力をしない態度も心底嫌いだった。努力を怠り権力を行使する様子は醜く視界に入るだけで不快になってしまい、つい嫌味にも聞こえるような事を言ってしまったのは悪かったと反省しているが……俺はその、口が悪くてな。本当は“加護無し”と言われても、その悔しさをバネに俺を見返すつもりで頑張ってもらいたかったんだが……いや、これではただの言い訳だな。これまですまなかった。まぁだから、なんというか……精霊は気まぐれだと言われているだろう?今からだって努力すれば何をきっかけに気に入られて精霊に祝福されるかなんて誰にもわからないのだから、全てを諦める必要はないと言いたかったんだ。
だが、やっとやる気になったようだしな。今のその希望に満ちた目なら認めてやらなくもない。これからは不正を疑われないように真面目に努力するように、質問ならいつでも受け付けてやるが……ところでそのトカゲはペットか?やはり図書館にトカゲを持ち込むのはよくないな、俺の守護精霊もそのトカゲが気になるのかさっきから落ち着かないようだ。今後は気をつけるように」
「す、すみません……」