お母様から声をかけられるなんていつぶりだろうか?近年の記憶には全く無いくらい久しぶりなはずだ。ゲームにはほとんど登場しなかったが、フィレンツェアにそっくりな外見はどう見ても血の繋がりを感じてしまった。確か、悪役令嬢が加護無しに生まれた事を親族から責められてから心を閉ざして娘に愛情をかけることをやめた……みたいな描写があったはずだ。病弱な公爵夫人は悪役令嬢を産んだせいで持病が悪化し再び子供を儲けることが難しいこともあり、余計にフィレンツェアに冷たく接していた……と言う悪役令嬢の過去をどこかのルートでヒロインが涙ながらに語っていたのを思い出した。そして、悪役令嬢の事を「かわいそう」だと言ったその口で「それでも罪は罪ですから」と断罪するのだ。今から思えばなぜそんなに悪役令嬢の過去に詳しいのかわからなかったが……たぶん、この母親がヒロインに絆されて話して聞かせたのではないかと今、思った。
「……今日、学園で公爵令嬢らしからぬ事があったと報告がきました。湖に落ちるなんて野蛮な行為など、周りからなんて言われるか……。それに、もしも顔に傷でもついたら……」
ボソボソと囁くように言っているが少し声が震えているようにも感じる。もしかしたら怒りを押さえているのだろうか。
「あ、あなたには、貴族令嬢としての責任と義務が……」
なるほど。珍しく話しかけてきたと思ったらお説教をしたかったらしい。いや、正確には落ちたのではなく落とされたのだが……まぁ、それだけ他人に嫌われている事が公爵令嬢としてすでに“恥”だと思われているのだろう。
それにしても、誰も助けてくれなかったのに報告だけはちゃんと伝わっているようだ。もしも前世の記憶が戻ってアオが助けてくれなければフィレンツェアは死んでいたかもしれないのに、世間体の心配しかしていないようだった。
まぁ、よくよく考えれば最終的にヒロインの味方をするキャラクターなのだから悪役令嬢を可愛がるはずがなかったのだ。それはきっと父親も同じだろう。
私が息を吐いて「申し訳ありませんでした」とだけ答えてそのまま自分の部屋へと足を進めようとした。しかし、お母様は腕を伸ばして私を止めようとしてきたので思わずそれを払い除けてしまう。今日は平穏にやり過ごそうと思っていたのにこれでは一波乱ありそうだ。
それにしてもさっきから妙に心がざわついて落ち着かない。たぶん私の中の小さなフィレンツェアがこの母親の言葉に拒否反応を示しているようだった。私は孤児だった聖女時代のせいで親に対する期待と言うか理想があったのだが、それがこの瞬間に崩れ落ちた気がする。フィレンツェアも親に期待してはその気持ちを裏切られて来たのだろうと思った。
これなら何も知らないフリをしていてくれた方がフィレンツェアの精神には良さそうな気さえする。もう、早くこの場から立ち去りたい。せっかく目標を立ててやる気になっていたのに……。それでも私はなんとか気持ちを落ち着かせ、頭を下げた。
「……わたしは確かに湖に落ちました。ですが怪我もしていないし、授業の妨げもしていません。もちろん教師達にもバレていませんので公爵家の恥の上塗りは致しておりませんからご安心下さい。それでは失礼致します」
「まっ……待ちなさい!誰かその子を捕まえて……!!」
私がその場を立ち去ろうとした途端、お母様の慌てたような叫びに反応してそれまで黙っていた使用人達が一斉に私を囲ってきたのだ。
「なにを……!」
これまで視線も碌に合わせず、近寄りもしなかった使用人達の無数の手が私を捕らえてきた。顔色を悪くしている者、泣きそうにしている者、怒っている者。そんな様々な表情が攻め寄って来たせいで小さなフィレンツェアが混乱して私の中でパニックを起こしてしまったのだ。私もそれに共鳴してしまい……無意識に助けてを求めていた。
アオ……!と。
次の瞬間。鞄から飛び出し、私を守るようにアオがドラゴンの姿となって現れて牙を剥いた。
『フィレンツェアに何するつも「可愛いフィレンツェアが怪我なんてしていたら大変よ!!」「「「お、お嬢様!本当にお怪我はありませんか?!!」」」……りなんだ?』
しかし、アオの叫びと同時に重なり合うように聞こえてきたお母様と使用人達の言葉にアオが不思議そうに首を傾げてこう言ったのだ。
『……あれ?この人間達、今朝まで変な感じがしてたのに今はそれがなくなってるよ』と。
封印されていたとはいえ意識はあり、周りの気配を感じ取っていたというアオは『昔からフィレンツェアの周りの人間からは常に変な感じがしていたんだよね。特にその変な感じが強い人間は近づいてこないようにする魔法をかけておいたはずなんだけど……警戒してた変な感じが無くなってるからその魔法が解けちゃってるみたい。なんでだろ?』と、さらに首を傾げていた。
「……へ?」
そして、私が意味がわからず間抜けな返事をするとお母様がなんとアオを押しのけて私に抱きついてきたのである。
「本当に無事なのね?!よかった……よかったわぁぁぁぁ!!」
号泣しながらぎゅうぎゅうと腕に力を込めて私を抱き締めるという初めて見るお母様の姿に、私と小さなフィレンツェアはさっきとは違う意味で動揺が隠せないでいたのだった。