さて、そんな濃厚な1日が終わろうとしている放課後。私は迎えの馬車に乗り込み、オレンジ色に染まった夕日を見ながらこれからの事を考えていた。
公爵家の紋章の入った馬車は揺れも少なく見た目もその中身もとても豪華だ。だが、その行き着く先は自分への興味が失せている冷たい両親とそれに倣った使用人達がいるだけのただの大きな箱である。ある意味学園より疲れる場所かもしれない。
決して必要以上に話しかけられたりもせず、使用人達からすらも冷たい態度を取られ続け、公爵令嬢だと言うのに専属の執事や侍女もいなければ護衛すらつけてもらえない。それだけで“フィレンツェア”の価値がどれほどのものかと言うのを見せしめでいるかのようにも思えた。
友人もおらず、婚約者や両親からも愛してもらえない。その程度の存在なのだと。
そう思うと、フィレンツェアにとって……そして私にとってもこの馬車はとてつもなく乗り心地の最悪な乗り物なのだ。
ただ、婚約破棄や今後のスローライフ計画の事を考えると両親に全てを黙っているわけにはいかないだろうとも思う。かと言って素直に全て話した所で婚約破棄に了承してくれるとも思えないのだ。もちろん力技で無理矢理なんとかする事も可能だが、あまり騒ぎは起こしたくない。
いや、いっそ逆に騒ぎを起こして公爵家から勘当されるのもいいだろうか?とも考えたがすぐにその考えを頭から消した。今の時点で家から追い出されるような下手な騒ぎを起こしたら、それこそヒロインがどのルートだったとしてもそれを理由に断罪されそうな気がする。
なにせ一般的な常識として高位貴族の令嬢が家を追い出されるということは、よくても修道院送りになり一生監視されて過ごすと言うことだ。さらに悪ければ身分を平民にまで落とされて路頭に迷った挙げ句に野垂れ死にするとわかっていて見捨てられるということでもある。
それに修道院だって言い方を変えれば犯罪を犯した若い女性用の監獄のようなものでしかない。例え冤罪でも犯罪者になってしまっては平穏なスローライフなんて送れないだろう。目指すのはジェスティード王子有責での婚約破棄だ。その上で家の恥だからと勘当されて放り出されるのが理想だった。
「それに、婚約破棄後の生活をどうするかも準備が必要よねぇ」
肩の上でウトウトと眠り出したアオを膝の上に乗せ、キラキラと輝く鱗を撫でた。気持ち良さそうな寝息が『ぴぃ〜』と聞こえてきて、ついほっとしてしまう。前世で殺し合ったとは思えないくらいにアオはすでに私の心の癒しになっていた。
そもそも、どちらかと言うと平民に落とされる方が私にとってはハッピーエンドなのだ。だがいきなり無一文で放り出されても困らないように今のうちに下準備はしておいた方がいいとは思う。もちろん聖女時代に散々サバイバル生活をやっていたので放り出されたとしても野宿くらいならすぐに出来るし生き延びる自信はあるが、それではスローライフとは言えない。アオとのんびりまったり暮らすためにも最低限の衣食住の環境は整えたいのだ。そして公爵家を追い出されるのが大前提なのでもちろんブリュード公爵家のお金も権力も使えない。これまでのフィレンツェアのように権力を行使してなんでもするわけにはいかないのである。
この世界は前世の世界とは違う世界だ。この世界での法律や地域によるマナーの違い、勉強嫌いだったフィレンツェアの知らない事は私も知らないわけだが、それはとてもたくさんあるようだった。
……やっぱりこの世界の事を勉強するしかないか。とため息をついた。前世の知識かあれば無双出来るなんていうのは、神様が好きだった漫画の世界の話であって現実ではそうもいかない。サバイバルをしながらモンスターを倒していた記憶がこの世界でそれほど役に立つとは思えなかった。
せっかくの学園なのだ。この世界で必要な知識は、やはりこの世界で学ぶしかない。そう思うのは前世の記憶を思い出してから時間が経ち、落ち着いてきたせいなのか新たな事を色々と思い出してきたせいでもあった。
それは、ゲーム通りなら最終的な断罪劇は今から1年後の建国記念パーティーになるのだが実は神様の気まぐれ設定のせいで〈シークレットエンド〉というものがある事だった。確か何かの条件を満たすとシークレットキャラが出現してシークレットルートが解放される。神様がどこまで設定を作っていたのかは詳しく知らないのだが、このキャラがまた厄介な存在になりそうだった。確か、特殊能力があるとかなんとか。あまり思い出せないが……神様曰く「恋愛にトラブルは必要不可欠だから!」とのことで、トラブルメーカー確定らしい。あぁもう、どうせならもっと有益な情報を思い出せればいいのに……とにかくヒロインや攻略対象者以外にも注意しなくてはいけない人物が増えたわけである。しかも顔も名前もわからないなんて……もしもこのシークレットルートが解放されたら悪役令嬢なんて確実に巻き込まれそうだ。だからこそ、面倒事から逃げるには知識があるに越したことはないだろう。