ノーランド・スラングは、攻略対象者の中でも随一の力自慢の男だった。
なんというか、筋肉の各部位に名前を付けて鍛えているようなマニアックな奴だ。ノーランドルートでヒロインに意気揚々と筋肉の自己紹介をしている場面を見た時はドン引きしたのを思い出してしまう。思い出したくなかった。神様はメルヘンチックなくせに変な所でリアリティーを求めようとするから困るのだが……そう言えばゲームの制作途中で意見を求められた時に「聖女のお供にやたら筋肉自慢の拳闘士がいて上腕二頭筋に名前つけてたなぁ〜(ドン引きしたけど)」なんて思い出を語ってしまった事もついでに思い出してしまった。うん、やっぱり思い出したくなかった。こいつのキャラ設定が私のせいだとは思いたくない。
その他の情報としては、確か候爵令息で剣術が苦手。しかし筋肉で剣を上回ってみせると将来は王国を守る騎士団に入って活躍するのを夢見ている熱血漢である。そしてその夢の為に日々鍛錬を欠かさないクソ真面目な性格であり、やたら正義感が強く思い込みもかなり激しい。いわゆる脳筋だ。さらにその正義感も自分本位なものでしかないのが厄介だった。
しかも守護精霊はスイギュウ。こちらも同じく思い込んだら一直線の傍迷惑な性格だったはずだ。パワー特化型の精霊で使える魔法も筋力強化のみという、脳筋同士でまさしくお似合いの守護精霊である。
普段の守護精霊達は守護する人間以外にはあまり姿を見せないのだが、興奮して鼻息を荒くしながらこちらを睨んでいるスイギュウがノーランドの背後にきっちりバッチリ見えている。こんなにも精霊から敵意を感じるのは珍しかった。これまではアオが無意識ながらも他の精霊達を威嚇していたから精霊が私に向かって絡んでくる事はほとんど無かったはずとのことだったが、その影響力は精霊の性格にもよるのだとか。つまり、興奮した脳筋にはあまり通用しないらしい。
まぁ、とにかくこの男は思い込みが激しく人の話を聞かない。自分がこうと決めたら脇目も振らず猪突猛進するので彼を攻略する時は曖昧な表現よりもイエスかノーの白黒がはっきりした言葉選びをしないといけないのだ。だが、そのポイントさえ押さえておけば攻略はさほど難しくないキャラクターなのである。
もちろんそれがヒロインであれば。の話なのだが。そのヒロインの名前にこれほど反応するとなると、もうすでに攻略が始まっていたのかもしれない。もちろんただの正義感の空回りの可能性もあるが……どのみち悪役令嬢の悪行も吹き込まれ済みだろう。
それはつまり……悪役令嬢である私の話などには全く聞く耳を持たないということなのだ。
そんな筋肉自慢の馬鹿力で手首を捻り上げられ、あまりの痛さに私は悲鳴をあげた。しかしその反応が気に入らなかったのかさらに力が込められ、ノーランドは額に青筋を浮かべて反対側の手を拳にして振り上げてきた。
「聞いているのか?!そんなか弱い女のような反応をしても無駄だ!実はお前が体を鍛えていて素手で熊を退治出来る実力の持ち主だということはわかっているんだからな!
さぁ、ハンダーソン嬢に何をするつもりなのか無理矢理にでも答えてもらうぞ!!きさまの極悪非道な行為、例え神が許してもこの俺の上腕二頭筋……マイケルが許さぁん!!」
「き…………!」
そんな訳あるか!と(色々と)言い返したり、マイケルってなんだよ!と突っ込みをしたかったりもしたがそれどころではない。勢い良く振り下ろされた拳が近付いてきたのが見えて反射的に身構えたのだが……。
次の瞬間、私の肩から勢いよく大きな影が瞬く間に広がり────ノーランドの頭部が視覚から消えた。
ばくっ!!
「え、は、ひぎゃぁ?!」
私の視界にうつったのは、影に包まれた瞬間に驚愕と恐怖に染まった顔をしたノーランドが私に助けを求めようとしていた姿だった。
いや、もくしは身代わりにしたかったのかもしれない。頭部が影に包まれながらも私を掴んでいた手を離そうとはせずにそのまま引っ張ろうとしていたのは自分の命を守るための防衛本能だったのだろうか。その手も影が首元をきゅっと絞めるとすぐに離されたが。
そしてその大きな影がノーランドの頭部を自由にすることはなく、諦めたのか力尽きたのか……ぶらりと影からぶら下がった状態になったその筋肉質な体は、そのままズルズルと吸い込まれていった。
ごっくん……。
こうして、大きな塊を飲み込む喉を鳴らす音が響くと共にノーランドの姿は完全に消えてしまったのだった。
『全く!フィレンツェアに何をするつもりなの?!そんなこと僕が許さないんだからね!』
そう、その影はドラゴンの姿に戻ったアオだった。廊下いっぱいになるまでの大きさになったアオがノーランドを丸飲みにしてしまったのである。
アオはぷんすかと頬を膨らまし怒っているが、まさかの人間丸飲みに私は慌ててしまった。
「アオ!あんな脳筋馬鹿なんか食べたらお腹を壊すかもしれないわ!食中毒になるからペッしなさい!」
『えっ、あいつお腹痛くなる奴なの?!た、確かに全然美味しくなかったけど!』
落ち着いて考えれば、精霊とは超自然的な存在なのだから彼らに食事という概念はない。いや、大気のエナジーとか自然のエネルギーを吸収するとか……たまに人間と同じ嗜好品を好む精霊もいるがそれはあくまでも趣味的な楽しみであってそこから生命力を見出したりはしないのだ。というか、間違っても肉食ではない。
ただ、ついアオが普通の(凶悪な)ドラゴンだった頃に色んな
「そうよ!昔、私にセクハラばっかりしてきてたクソ剣士をたまたま丸飲みにしてお腹を壊したのを忘れたの?!それが原因で私との勝負の時に負けたんでしょう?!」
『そうだった!トドメを刺してくれたのがたまたま聖女だったから浄化されてラッキーだったけど、変な人間を食べたらお腹がピーピーになるから気をつけなきゃってあの時に思ってたんだった!この人間がものすっごくムカついたからつい丸飲みしちゃったよ!』
「とにかく!今ならまだ間に合うわ!早くペッてするのよ!」
そんなやり取りの後、アオは『ピーピーになるのは嫌だよ〜』と言いながらノーランドを吐き出す事が出来た。ちょっと端っこが溶けてるっぽいが……うん、気絶してるだけでちゃんと生きてるし、だいたい無事だ。それにしても、全身がべっちょりしてるけどこれって……まさか涎?それとも胃液?
「アオ、気持ち悪いとかお腹が痛くなったりしてない?トカゲの姿に戻れる?」
『大丈夫だよ!それに、ドラゴンのままじゃフィレンツェアの肩に乗れないからちゃんとトカゲになるよ!』
「よかった!ノーランドも