ここは精霊が人間と共存する世界。
人がこの世に産声を上げると、その生命の誕生を祝って精霊達が集まってくる。その時に波長の合う精霊が契約を結び、守護精霊となるのだ。
そして人間達は、自分を守護してくれている精霊の力を借りて魔法を使う事が出来た。それを人間は精霊に敬意を払って“精霊魔法”と呼んでいた。
その力の大きさは精霊によって異なるのだが、どの人間を守護するかは精霊達の気まぐれによって決められていた。古い文献によるとその人間の魂の清らかさや強大さによって惹かれるのだとも言われていたが、確かな事は誰にもわからないままだ。だが、ひとつだけわかっていることがある。
それは、“今の世”がその精霊の力の大きさによって差別される世界になってしまっているということだった。
そして、もしもその精霊達から守護を受けられない人間が存在していたとしたら────どんな扱いを受けるかなど想像も容易いだろう。
***
その日を境目に、私ことフィレンツェア・ブリュードの運命は大きく変わることになる。しかし、その時の私にはそんな事などわかるはずもなかったのだった。
「この“加護無しの悪役令嬢”め!」
「……?!」
1人で湖の桟橋を歩いていると、そんな叫び声と共に背中に強い衝撃を感じた。私は振り向く間もなく突き飛ばされてしまったようだ。親や使用人からも諦められている私に護衛などついているはずがなく、私の体はあっけなく深く冷たい湖へと落ちていったのだった。
感じたのは明確な悪意。それに「加護無し」や「悪役令嬢」と言った言葉は私を蔑む言葉だと知っている。だって、それはいつも言われている言葉だったから。
泳ぐ事が不得意な私の体は、落ちた勢いのまま沈んでいった。白を基調とした学園の制服は水を含み重くなり蜂蜜色の髪が揺らめく。ゴポゴポと音を立てて私の口から溢れ出た空気が地上へと舞い昇るのを見つめながら「このまま死ぬのかしら……」とぼんやりと考え、それもいいか。と────その湖の底と同じ深いアクアブルーの瞳をそっと閉じたのだった。
私は精霊に見放された存在だった。
精霊が人間と共存し守護してくれる世界で、私が産まれた時に姿を現した精霊はひとつもいなかったそうだ。つまりそれは精霊から祝福されていない命……それが私だった。
精霊にとって人間の爵位や財産などなんの価値もない。産まれたその人間の魂の清らかさや強大さによって惹かれるのだと言い伝えられている事から、ブリュード公爵家の嫡女は精霊にとって価値の無い魂の持ち主なのだとレッテルを貼られてしまったのだ。
私には価値が無い。幼い頃からそんな扱いを受けて来た私は自分の存在がコンプレックスになり、それを隠すために傍若無人に振る舞うしかなかった。だって私には公爵令嬢であることと自由に使える財力がある事しかなかったから。
だから、後ろ盾を欲しがっていた第二王子の婚約者の座を半ば強引にもぎ取ったのだ。王族の婚約者になれば、もし第二王子が少しでも私を必要としてくれたならば……そうすればこのコンプレックスが少しはどうにかなるのではないかと期待して。
だが状況は悪化するばかりだった。第二王子がとある男爵令嬢と惹かれ合ってるのを知って牽制すれば「加護無しのくせに」「権力を遣って弱者を虐げるなんて、まるで悪役令嬢のようだ」と揶揄され何を言っても何をしても私が悪者になってしまう。確かに嫉妬をしたのは認めるしかない。だって、それでも婚約者は私なのにと悔しくなってしまったのだから。
そんな事が積み重なり、私はもう疲れてしまっていた。どうせ両親も加護無しである私の事など諦めている。それでもなんとか第二王子の婚約者の座にしがみついていたのは、もしかしたら少しでも振り向いてくれるかもしれないと信じたかったからだ。だから、まさか本当に護衛のひとりも付けていてくれなかったという事実が私をさらなる絶望へと落とした。
もうこのまま終わせてしまおう。どんなに足搔いても変わらないのならもう足掻くのをやめるしか無い。そんな風に思うしか無かったのだ。
全てを諦めてそう思った。その時────。
『────お願いだよ、思い出して!』
聞き覚えがあるような声が聞こえた気がした。
それと同時に分厚いガラスに徐々にがひびが入り、それが砕けて飛び散るような音も。
私の中で分厚いガラスの壁に亀裂が入っていくイメージが広がり……それは粉々に砕け散った。そして私の脳内には信じられないような記憶が流れ込んできたのである。
「────思い、出した……」
それは、私の前世の記憶。
“ここ”とは違う別の世界での記憶だったのだ。
私の前世、それは“竜殺し”の異名を持つ聖女と呼ばれる存在だった。
その世界では世界を滅亡させると言われるドラゴンが人間と敵対していた。ドラゴンは闇落ちしていてそのオーラは魔物やアンデッドを惹きつけるまさに悪の権化だったのだ。
そんな恐ろしいドラゴンを倒せるのが、聖なる力を持つ選ばれた聖女だ。孤児だった私は神のお告げにより突如聖女に選ばれ、邪悪なドラゴンと闘う事になった。聖なる力とは言わば生命力そのもの。字の如く命を削ってドラゴンの首を討ち取り世界に平和を取り戻したものの、私の生命力はその場で力尽き死んでしまったのだった。
まだ生きたかったのに、と最後に思いながら。
次に私は魂の状態になって天界と言われる場所で目を覚ました。そこには神様がいて、天界に住んでいる世界の監理者だと言う。世界とは私がドラゴンと闘った世界以外にもパラレルワールドとしてたくさんあるのだと教えてくれた。
それから私と神様はお茶飲み友達になった。私の魂はひとつの世界を救った特別枠として優遇されるらしい。……というのは建前で、退屈だったから話相手が欲しかっただけのようだが。それならば他にもいると言う神様達と話せばいいのでは?と聞いたら「趣味が合わないんだよね」と肩を竦めた。
そして私は神様から色々な話を聞く。これまで命をかけて闘う事しか知らなかった私にとって神様の語る言葉は全てが新鮮だった。元の世界では触れ合う事のなかった“娯楽”は私にまさに新しい世界を見せてくれたのだ。