中級ダンジョン三層から四層へは、とくに何事もなかった。下層への階段も、わたしの記憶通りの場所にあった。
道を阻むモンスターもいなかった。ここはまだ、あっちゃんの勢力下だしね。
ガミジンさんと一緒に、石の階段を降りて、四層へ到達したとき。
もう階段から先へ続く通路は、黒い影で埋め尽くされていた。
それらは、わたしの身長くらいある、蜘蛛の化け物の大群だった。
おそらくヒュージスパイダーというモンスターの一種。単体ならたいして強くないのだけど、それが何百匹という数で、本当に足の踏み場もないほど、びっしりと通路を覆って、わたしたちを出迎えてくれた……。
ヒュージスパイダーはゲームでも、この中級ダンジョン四層に出現してくる。
けれど、こんなデタラメな数ではなかった。
なにより、実物は、ゲームのグラフィックより遥かに不気味で生々しい。
そんな大群が、じわじわと、黒い壁のように、こちらへにじり寄ってくる。
これは。
せ、生理的に、厳しい……!
ふと隣りを見れば、ガミジンさん、足がカタカタ震えている。
「ワタシ、蜘蛛はたいへん苦手でして……」
まーそりゃ、ああいうのが好きって人はあまりいないかもだけど。
「昔、誤って、そのへんの蜘蛛を食べてしまい、高熱を出して倒れたことがあるのです」
ってそんな理由なの?
「いやしかし、怯えている場合ではありませんね」
ガミジンさんは、気を取り直して、わたしに顔を向けてきた。
「さっそく魔法の授業といきましょうか。いいですね?」
「はいっ!」
「よい返事です。ではまず……」
ガミジンさんが呪文の詠唱をはじめた。聞き覚えのない呪文だけど、とても簡潔で聞き取りやすく、わかりやすい内容だった。
『除虫』
ガミジンさんが右手を前にかざす。手っていうか前肢だけど。先っぽは黒い蹄だ。その前肢の蹄から、ピンク色の光がほとばしった。
たちまち、こちらに迫ってきているヒュージスパイダーの最前列にいた十数匹が、ひたと動きを止め……しばし一斉に痙攣をはじめた。さらに十秒ほど経つと、その場に、ころんとひっくり返ってしまった。
おお、効果テキメン!
さすがに全滅とはいかなかったけど、かなりの数のヒュージスパイダーが、魔法一発で死んだ。すごい威力だ。
「これは、昆虫型、もしくはそれに近い形質を持つモンスターに効果がある魔法です。虫に効果のある神経毒を大気中に生成、拡散させることにより、彼らの神経を麻痺させ、呼吸を停止させて、死に至らしめます」
それって殺虫剤を撒くのとまったく同じなのでは……。もしや、この世界の虫型モンスターには、殺虫剤が普通に効くってことだろうか。
ヒュージスパイダーって、光闇火水風土、いずれの属性攻撃にも強い耐性があって、生半可な攻撃魔法は通じないのだけど、殺虫剤には弱いんだな……またゲームではわからなかった、新たな知識を得てしまった。
なおかつ、ゲームに『除虫』なんて魔法は存在しなかった。ガミジンさんのオリジナル魔法なんだろうか?
ともあれ、そういうことならば。
「わたしも、やります」
「おお、一度詠唱を聞いただけで、もう使えるのですか?」
「できる……とおもいます」
わたしは、ささっと一歩前へ踏み込んで、両手をかざし、先に聞いたものと同じ呪文を唱えようとして。
ふと、あることに気付いた。
虫にだけ効く神経毒となると、たぶんそれは、前世で殺虫剤の成分としてよく見かけた、ピレスロイド系というやつでは?
ピレスロイド系が魔法で生成できるなら、さらに高い効果を持つ殺虫魔法を作ることもできるかも?
で、咄嗟に……前世で見て、たまたま記憶していた、とある物質の名前を思い出して脳内に描き、それをガミジンさんの呪文法則に当てはめて部分改変、呪文の再構築を実行。
『殺虫』
ついでに新たな名前を付けて、魔法を発動。
わたしの両掌から、真っ白な光が一瞬、前方へ向けて放たれ、拡散した。
次の瞬間。
後続のヒュージスパイダーの大群が、一瞬痙攣したと見る間に、一斉にころころと床に転がり、動かなくなった。
何百匹かしれない蜘蛛の化け物。
その大群が、一撃で全滅した……。
「なっ! なんですと!」
ガミジンさんが驚嘆の声をあげた。
「ほへー……」
これは……自分でも驚いた。つい変な声が出た。
ガミジンさんの呪文には、ピレストリンという神経毒の化学式が含まれていた。これはハエや蚊の駆除に使われる、ベーシックな殺虫成分だ。
その部分を、前世で、わたしがよく使っていたゴキブリ駆除用の殺虫スプレーの主成分で、より即効性が高いとされるイミプロトリンという物質に置き換えてみたのだけど。
結果はこの通り。めっちゃくちゃ効いた……! 大成功だ。
「いやはや、凄いですねえ。一度聞いただけの詠唱を、咄嗟に応用、強化するなんて。まさに魔法の申し子ですね、あなたは」
「えへへー」
と、わたしはちょっぴり得意げに笑った。思い付きでやってみたら、うまくいった。それは喜ばしいことだ。
でも。
「でもねっ。やっぱりガミジンさんのほうが、すごいよ!」
わたしは心からそう言った。
魔法で殺虫剤を生成するなんて術式を独自に編み出したガミジンさんは、わたしなどより、よっぽど魔法使いとして優れている。だから、お師匠として尊敬しているのです。
今回は、たまたまうまくできたけど、慢心なんて、わたしには百年早い。
ガミジンさんから、もっともっと、色んな魔法を教わらなくちゃ。
将来のために。わたしはもっと強くなる。
わが「最推し」たちの未来を守る。その力を身に付けるために、ね。