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#069 断章・レオノール(1)


 最初に噂を聞いたのは、いつ頃だったろうか。

 ルリマスの行政官をつとめる男爵家の四男。それが、このおれ、レオノール・コープスだ。

 いわゆる出家した身だが、現在でも実家との関係は悪くない。家族とは、割と気軽に顔を合わせている。

 三十代で司祭となり、現在では大司教の位階にある。表向きの地位は、フレイア王国中央管区長。王都の大聖堂の責任者、ということになっている。

 実際の仕事は、総本山直属の巡察使。

 フレイア王国だけではなく、大陸各地の教会管区を巡って、布教の状況や教会財政などを調査し、報告書をまとめて、定期的に総本山へ提出している。

 おれは聖光教の最高秘儀たる『法の真眼』を現代に受け継いでいる、唯一の高位聖職者。

 誰も、おれに嘘をつくことはできない。どんな秘密を持っていようと『法の真眼』の前では丸裸も同然。この能力で、各地の教会の不正不義を糾し、場合によっては粛清もする。そういう仕事を、長年やってきた。

 ところが……。

 五年ぶりにフレイア王国に戻り、生まれ故郷であるルリマスへと向かう道中、おかしな噂が耳に入ってきた。

 なんでも、赤い服を着た、小さな天使だか魔王だかが、盗賊やモンスターをなぎ倒しながら、街道を南へ南へと向かっているのだという。

 目撃地点は必ず街道上。出現は必ず日暮れ以降で、昼間の目撃例はない、だとか。

 何者だろう?

 進行方向と速度からして、数日もすればルリマスへやってくるのではないか……と、おれは予想し、しばらくルリマスに滞在することにした。仕事とは無関係で、たんなる興味本位だが。

 待っている間、聖堂に寝泊まりして、実家に顔を出したりしていたら、そのうち本山からイグラスがやってきた。

 地方の修道院から成り上がり、現在は枢機卿にまでのぼりつめている男だ。教団組織においてはおれの先輩であり、現在は上司でもある。

 イグラスは、本山より、おれを枢機卿に任じるという内示と、聖女探索の「神命」を告げるために、わざわざ来たという。

 まさに、イグラスと、その聖女の話をしていたときだ。「それ」が姿を現したのは。

 赤い服を着た、四歳か五歳くらいの、ほんの小さな女の子。

 それがルリマスの門前まで、一人で、とことこ走ってきた。

 とっくに日は暮れている。子供が一人でウロウロしていい時間じゃない。

 イグラスと話しながら、その姿を目で追っていると、いきなりこちらに駆け寄ってくるじゃないか。

 しかも、イグラスはまったく気付いてないらしい。

 よくよく見てみると、どうも『認識阻害』系統の魔法を自分に掛けて、他者の五感を欺いている。

 おまけに『暗視』『身体強化』『気配察知』といった、そこらの子供が使えるはずがない高度な補助魔法が全身に掛かりまくっている。

 この時点で、もうじゅうぶん、只者ではないんだが……。

 あらゆる能力が、人類とは思えない高みに達していた。

 おれなんぞ小指一本でひねり殺せるほどの膂力。全力の馬をも追い越すであろう脚力。

 魔力にいたっては、測ろうとするだけで、おれの脳が破裂しかねないほど。計測不能だ。

 実戦経験も、本職の冒険者顔負けの履歴を持っている。見ため通りの年齢だとすれば、これまでどんな生き方をしてきたんだ、あれは。

 それでいて、人格は善、属性はわずかに混沌寄りの中立。ごく善良な性格。

 本名シャレア・アルカポーネ。年齢は五歳で間違いないらしい。

 アルカポーネといえば。

 かつて王都の冒険者組合に、ライナス・アルカポーネという有名な魔法使いがいた。

 なんでも「雷神」とか呼ばれ、組合最強の大魔術師といわれてたとか。おれは面識ないけどな。

 たしか割と最近、結婚して引退し、家督を継ぐため領地へ戻ったとか……。

 では、あれはその「雷神」の娘、ということか? たしかに時期的には合ってるんだが。

 どうも、あちらさんは、自分の姿が見えてないと思い込んでて、いちいちリアクションが面白い。

 ひとりで首をかしげたり、ふにゃふにゃした笑顔を浮かべてみたり、なんとも表情豊かで飽きない……。

 中身は化け物だが、見ためは本当に子供だ。なんなんだコレは。

 イグラスが去った後。

 おそるおそる、しかし表面上は余裕ある態度を装いつつ、その子供へ、声をかけてみた。

 内心では、心臓がばっくんばっくんいってたけどな。

 腕のひと振りで、おれなんぞ塵も残さず消し去りかねない、化け物との接触だ。そりゃあ緊張しないわけがない。

 すると、どうだ。

 彼女、さながら小鳩が毒矢でも食らったみたいな驚き顔で、慌てふためきはじめた。

 本当に、見えてないと思いこんでたんだな……。あまりの取り乱しっぷりに、なんか逆に申し訳なくなって、こちらの気持ちも落ち着いてしまった。

 だが真の驚愕はそこからだった。

 彼女は、おれをいきなり枢機卿と呼んだのだ。

 内示を受けたのは、つい先ほどの話なのに。

 なぜだ? こいつには未来視の能力でも備わってるのか?

 そもそもの話として、こんな年齢の子供が、枢機卿という、まず表舞台に出ることすら稀な役職を、さらっと口に出すこと自体、不自然きわまる。

 つい反射的に問い詰めてみたが、誤魔化されてしまった。思いのほか、口も達者だ。追求するのは無理だな。

 ……何者なんだ。

 子供の皮をかぶった悪魔じゃないのか、これは。





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