ゼンギニヤというのは、あの悪魔マルボレギアの仮の姿。
表向きは行商人、裏の顔は邪教団の大幹部、そして正体は人外の怪物。
わたしがゼンギニヤことマルボレギアを退治してから、もう一年近い時間が経過している。
けれど、テントの中でお喋りしてる人たちには、まだその状況は伝わってないみたいだ。
思えばそれは無理からぬこと。
このオウキャット子爵領と、わがアルカポーネ子爵領の間には、相当な距離がある。
街道沿いに進んでも、あの広いガルベス子爵領を経由することになり、途中の五箇所もの関所を通り抜けねばならない。『身体強化』を施したわたしの脚力と体力だからこそ、半月も掛からずに踏破しているけど、普通に移動するなら、馬車で何ヶ月もかかるような道のりだ。
そんな遠い僻地で、ゼンギニヤの身がどうなってようと、彼らには、それを知るすべもない。
とっくにゼンギニヤことマルボレギアが、わたしの回復魔法でジェル状に溶けたあげく蒸発して、きれいさっぱり消え去っていようとも。
目撃者もなければ、事実を伝えに行く人も手段もないんじゃ、そりゃ彼らが何も知らないのも当然。
ただ。
ゲームでは王都にいたはずのゼンギニヤが、なんでアルカポーネ子爵領なんてド僻地に現れたのか。
その理由が謎だった。
わたし、あのときは頭に血が上ってて、そんな素朴な疑問すら、意識から吹っ飛んでしまってたので……。
けれど、このテントの中の人たちの会話で、事情は把握できた。
……わがアルカポーネ子爵領の西には、大貴族リヒター辺境伯の領土が広がっている。
西隣で、一応、両家は地図上では境を接しているのだけど、直接の交流はほぼ皆無。
なにせ、うちとリヒター辺境伯領の間には、イレネル山脈という、王国有数の大山岳地が横たわっているので。
お隣りどうしでありながら、往来は至難の業。馬車も通れない険しい山道を徒歩で登り降りするか、よその貴族領を通ってイレネル山脈を大迂回するか、その二択。
どちらを選んでも、目的地まで一ヶ月以上は掛かるという、近くて遠い隣人なのである。
で、ゼンギニヤの目的って、そのリヒター辺境伯領を攻撃することだったわけね。わがアルカポーネ領はその通り道というか、踏み台というか。
アルカポーネ領内で召喚石のテストをやったり、召喚石の製造拠点を設けたりしながら、辺境伯領への境界線、イレネル山脈越えの準備を進めていた……。そんなところですかねー。
現実には、山を越える前に、マルボレギアは溶けて消え去り、教団の地下アジトも一斉摘発を受けて全滅。これぞ因果応報、天網恢々というやつです。
それで。
そんなマルボレギアと教団に狙われていた、リヒター辺境伯とは、何者か。
わたしも直接、お目にかかったことはない。うちの両親やリュカの人たちの話題にのぼったこともない。
たまーに、新聞に関連記事が載ることはあった。
なんでも、リヒター辺境伯家は、わがフレイヤ王国の西の国境を守る代々の武門であり、この国境線をめぐって、隣国「古帝国」との小競り合いが絶えないのだとか。
それだけに王国有数の武力を保持しており、その領軍は実戦経験も豊富。
フレイア王家は、この最前線の守り手たる辺境伯領に、様々な特例と特権を付与しており、王族もしばしば視察に訪れる。その様子が、新聞記事として紹介されてるわけね。
フレイア王国の辺境伯というのは、実質、侯爵と同等の扱いとされている。王都の大貴族であるバルジ候とは互角のライバルで、敵視されてるってわけね。
バルジ侯爵はゲームにも登場していた。いかにも悪の大貴族! という風貌の、人相の悪い、肥えたキンキラキンおじさんである。第五王子の派閥に属していて、ルードビッヒ暗殺に絡んでくるルートも存在していた。
そのバルジ侯が、よりによって邪教団と繋がっており、リヒター辺境伯を潰すべく、教団幹部に依頼をした、と。
そんな下らない政争に、うちの実家まで巻き込まれて、大迷惑を蒙った。
そうでなくとも、侯爵だろうと公爵だろうと、邪教団と繋がり、しかもルードビッヒ暗殺の関係者とくれば、それはもう、わたしにとって、因縁の怨敵にも等しい。
将来、バルジ侯も、わたしの手で、きっちり落とし前をつける時が来るのかもしれない。いつになるかはわからないけど。
ゲーム「ロマ星」において、リヒター辺境伯領というのは、名前だけの存在でしかなかった。
アルカポーネ領と同じような扱いだ。ゲーム内のマップにも、リヒター辺境伯領のデータはなく、行くこともできない。
ただ、一応、誰か関係者がゲームに出てきてたような……。
あー、思い出した。
王立学園に、ザレック・リヒターという男子生徒がいたな。
ルナちゃんの一年先輩で、辺境伯家の嫡男。ただし顔グラフィックは「男子生徒C」の流用で、台詞もほんの数行しかない。
そう。ゲーム内のわたしことシャレア・アルカポーネと同じ、名有りのモブというキャラクターだ。
さらにルナちゃんの一年先輩ということは、シャレアと同学年……つまり、わたしと同い年。ならば現在は五歳か。どんな子なんだろうな。
先日のアミア冒険者組合のハゲ……いえスキンヘッドのおじさま支部長の例もあるように、ゲームでモブ顔だった人でも、こちらの現実には、モブ顔なんていない。
地味とか目立たないとか、そういう容姿はあるだろうけど、それはそれで明確な個性だしね。
とすれば、いま、わが家のお隣りの領地にいるはずのザレックくん五歳だって、モブなんかじゃなく、一人の個性ある少年として、すくすく育っているのだろう。
ザレックくんとは、十年後には対面する機会があるはず。同級生だろうしね。
その時を楽しみにしていましょう。モブ顔「男子生徒C」のザレックくんが、現実にはどうなるのか? そこに大いに興味があるので。
などと、未来へ思いを馳せていたわたしの思考が、テント内の会話によって、現実へと引き戻された。
「……食料は?」
「もうないぞ。狩りでもするか?」
「この林に、ろくな獲物がいるとも思えんが」
「ちょっと、周辺を探ってみるか。『解析』を使おう」
うむむ?
狩りはともかく『解析』なんか使われたら、わたしがずっと盗み聞きしてるの、バレちゃうじゃないですか。
なら仕方ない。
『旋風』
わたしは一切の躊躇なく、無詠唱で範囲攻撃魔法を発動させた。
突然吹き起こった強風が、ひゅごうっ! と大気を裂いて、瞬時にテントを分解した。
旋風は巨大な竜巻と化して、その支柱やら天幕やら一切合財、中にいた人々も、一人余さず、すべてを空中高く巻き上げ、あっという間に、はるか夜空の彼方へと、ふっ飛ばしてしまった。
運が良ければ、彼らは生きてるでしょう。
はー、すっきりした。
先を急ごうっと。