目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報
#038


 盗賊は片付けた。

 客車にいた母娘は、とくに大きな怪我などはなく、無事のようだ。彼女らの素性はわからないし、興味もない。たぶん裕福な家の人たちなんだろうな。

 ただ、よほど怯えているのか、まだ状況の変化にも気付かないまま、ひたすら車内の隅に抱き合って震えている。

 このまま立ち去ってもよかったのだけど、さすがに母娘だけ残して放置、というのも、やっぱり後味よろしくない。

 つい干渉してしまった以上、最低限のケアだけはしておこう……ということで。

 まず、馬車から出ると、盗賊の矢を浴びて瀕死に陥っているお馬さんたちに『治癒』魔法を浴びせた。

 蒼い癒しの輝きが、お馬さんたちを包み込む……。

 たちまち、お馬さんたちの身体のあちこちに刺さっていた矢が、ぽろぽろ抜け落ちはじめた。

「ぶるんっ」

「ひひん?」

「ぶふー」

「ふひんっ」

 それぞれ特徴的ないななきを上げながら、四頭はむくむくと起き上がった。もう負傷はすっかり癒えて、元気を取り戻している。

 みんな、なんとなく、喜んでるらしい様子が見てとれる。かわいい。

 ……うちの屋敷にも馬車はあるし、当然、厩舎では、お馬さんたちが飼われているのだけど。

 不思議と、うちのお馬さんたちは無愛想で、あまり可愛げはなかった。

 それに比べると、この四頭はみんな表情豊かで、やけに人懐こい雰囲気がある。

 ひとくちに馬といっても、こんなに違いがあるものなんだな。

 続いて。

 馬車の周りに転がってる瀕死の人たち。そのうち、明らかに護衛とわかる、立派な鎧を着てる人たちへ、ぽいぽいっと『治癒』魔法を投げ込んだ。

「……んあ?」

「え? 怪我が」

「生きてる……のか」

 とか、口々に呟きながら、護衛の人たちは、次々身を起こし、立ち上がった。

 生き残りは五人。他に三人ほど横たわっていたけど、残念ながら息絶えていた。

 盗賊側の瀕死者も、何人か目についたけど、無視。

 治療なんてしてあげても、どうせまた暴れて、他人を傷付けるだけ。運が良ければ生き残れるかもね。

 一方、すっかり回復を遂げた護衛五人は、互いに顔を見合わせ、慌てて周囲を見回した。

「おい、どうなってるんだ、これ」

「俺が知るか……気付いたら、こうなってた」

「無事なのは、俺たちだけか?」

「そうだ、馬車は、奥方様は」

「み、見てくる!」

 誰も、わたしの存在には気付いていない。

 現状、この周囲に、盗賊やモンスターなどの敵性存在の気配はない。わたしの『気配察知』も、とくに異変は感知していない。

 お馬さんや護衛の人員は復活させた。彼らはすぐにも目的地へ再出発できるはずだ。

 これ以上、わたしが干渉する必要はないだろう。

 やがて、護衛の人に手を引かれて、若い母親と、小さな娘が、客車から、おずおずと降りてきた。

 まだ母娘の顔つきには怯えの色が残っているけど、それも時間の問題でしょう。もう放っておいて問題ないはず。

 では、さっさと立ち去るとしましょうか……。

 と、踵を返しかけたとき。

 親子のうち、娘のほうが、なに思ったか、呪文の詠唱をはじめた。

 そして――。

「えっ? あなた、だれ?」

 いきなり、びしっ、と。

 小さな指先を向けてきた。

 まっすぐ、わたしの方に。

 ……え?

 あの子、わたしが見えてる?






 わたしの『認識阻害』には、いくつか弱点がある。

 まず、わたしより魔力が高い相手には通じない。悪魔マルボレギアは、まさにそのケースだった。あと「因子」ちゃんにも通じてなかったな。

 さらに『鑑定』『解析』などの魔法には『認識阻害』を突き抜ける特性があり、これらを使われると、簡単に見破られてしまう。

 とすれば、さっき、あの子が詠唱した呪文が『鑑定』か『解析』、そのいずれかだったのだろう。

 なぜ、よりによって、こんなタイミングで、彼女がそんな魔法を使ったのか、わたしには知る由もない。

 あるいは、護衛の人たちの身体状態をチェックしようとした……とか、そんな理由かもしれないけど。なんにせよ、間が悪いったらない。

 で、彼女の唐突な反応に、周囲の人たち……母親や護衛の面々も、一斉にこちらへ当惑顔を向けてきた。

「お、お嬢様? あそこに何が」

「あら? 誰もいないじゃない」

「あの、何か、見えておられるのですか」

 という周囲の声に、娘さんが、こっくりとうなずいた。

「いるよ。わたしとおんなじくらいの、おんなのこ。あかいふく、きてるの。……みんな、みえてないの?」

 彼女以外には、相変わらず、わたしの『認識阻害』は効いているようだ。

 ならば、ここは。

 逃げる!

 わたしは、彼らに背を向けると、ずだだだだっ、と靴音高く、一目散にその場を離れ、街道を南へと駆け去った。

 どうせ、追ってはこられないのだし、そんなに急ぐことはないのかもしれないけど、なんとなく。

 所詮は、小さな子の言動。大人たちは真に受けたりしないはず。せいぜい、盗賊に襲われたショックで、おかしな幻覚を見た、ぐらいの話で済まされるだろう。

 ……と、思いたい。

 またレッドデビル騒動みたいな、変な都市伝説の発端にならなきゃいいけど。

 わたしはあくまで陰の者。目立たずこっそり動きたい。今後はもっと、万事慎重に振舞わなければ。

 この時期以降、ガルベス領内の各地にて「赤い天使」なる正体不明の救世主伝説が囁かれるようになる。それをわたしが知るのは、ずーっと後のことである……。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?