ゼレキナの森の街道を少し進むと、やがて、いかにも堅牢そうな鉄門と石壁に行き当たった。
高さ十メートル以上の石壁が街道を塞ぎ、前進を阻んでいる。
石壁の真ん中に、両開きの大きな門。当然、しっかと閉ざされている。
壁の向こうには、これも石造りの灰色の太い角塔が、傲然とそびえ建っていた。
塔の左右には張り出し窓が備わっている。見張り用の望楼かな?
関所というか……要塞だこれ。
門の周りに人影はない。
けれど、壁の向こうは、やけにざわついていた。
複数の足音が駆け回り、がらごろと石臼を引くような音とか、やかましい金属音とかが、あっちこっちで響いている。
なにか大声で呼び合っているような様子もうかがえる。
どうも、こっち側ではなくて、要塞の反対側で、なんらかの異変が生じているっぽい。
とりあえず、わたしは門の前まで歩み寄って、辺りを眺め渡してみた。
高い石壁は、街道を塞ぐばかりではなく、森のほうまで、延々と続いている。
わがアルカポーネ領の、形ばかりの境界線とはまるで違う。かなりガチな防壁として設置されてるみたいだ。
これを迂回するのは、ちょっと時間が掛かりそう。
……ならば。
わたしは、呪文を詠唱した。
『浮遊』
魔法が発動する。
たちまち、わたしの身体は、ふわりと宙に浮き上がった。
そう、これは以前、制御に失敗した魔法だ。
効果は、「対象に掛かる重力が反転し、真上に浮きあがる」というもの。
本当に、ただ真上に浮くことしかできない。それだけの魔法。
高度は、制御の術式を付与することで任意に調節できる。
以前のわたしは、その制御方法を知らなかったので、天井に激突する羽目になったのだけど。
けれど今のわたしは違う。かの『応用魔術大全』全六十巻を読破し、あらゆる魔法の運用法を学んだ。
当然『浮遊』の魔法だって、思うように使いこなせるようになっている。
だいたい高度五十メートルくらいまで上昇し、ぴたりと止めて、浮遊状態を維持。
見渡せば、視界一面、明るい月と、宝石のような星々の連なりが広がっていた。
キレイ。まるで夢のような光景……。
とか思ってたら、いきなり、下から強い風がびゅうびゅうと、全身に吹き付けてきた。うわー、ワンピースがっ! めくれるうー! おヘソ丸出しー!
あ、いやー、誰も見てないだろうから。ここはもう、あえて気にしなくていいや……。
それにしても、ちょっと、上がりすぎたかも。眼下、四角い壁に囲まれた要塞の、ほぼ全景を眺めおろせる。
ふむふむ、規模はかなりのもの。千人くらいは常駐できるだけの設備がある。様式は石造の平野城をさらにシンプルにしたような構造。濠は無く、吊橋などもない。防御力よりは、拠点機能をより重視した城砦、ってとこかな……。
なんて、このへんは領館書庫にあった史料本の受け売りだけどね。お城や砦にも、いろんな様式があるんだなあって、興味深く読ませてもらってたよ。
で、いまこの要塞を上から眺めるに、アルカポーネ領側の門には、ほとんど人員も配置されてない。
問題は、反対のガルベス領側。
そっちの門に向かって、いま、要塞内の各所から、兵隊らしき人たちが、どんどん集まってきている。
さらに、門壁の向こう側にも、真っ黒い人だかりが整列している様子。
こんな夜中に、なんの騒ぎだろう?
気になるけど、よその土地の騒動に、無闇に干渉すべきじゃない。
さっさと、この要塞を飛び越えて、先に進もう。
いま使用中の『浮遊』魔法は、ただ宙に浮くだけの効果しかないけど、これに加えて……。
わたしは、新たな呪文を詠唱する。
『突風』
この魔法は、文字通りの突風を、目標めがけて吹きつける魔法。せいぜい小石を吹き飛ばすくらいの威力しかないけれど、それで十分。
発動直前――ここでちょっと応用魔術による工夫。
魔法の発動点を、わたしの背後一メートルほどに設定する。そこから『突風』を当てる対象は、わたし自身だ。
発動と同時に、ドン、と、強めに背を押される感覚とともに、わたしの身体は、前へ前へと、吹き流されはじめた。
こういう具合に、複数の魔法を組み合わせ、さらに応用の工夫をこらすことで、一応、空を飛ぶことが可能だ。これこそ応用魔術の真髄。
……欠点もあるけどね。
だいたい七十メートルあたりが『浮遊』の限界高度。それ以上は無理。
そして、魔力の消費が半端じゃない。たった五分間、宙に浮き続けるだけで、魔力消費量は『獄炎』一発分を超える。エネルギー効率は最悪といっていい。
だいたい二十分も浮いてると、わたしでも魔力切れを起こして、ぶっ倒れてしまうだろう。とても、自由自在とはいかない。
使うべき場所やタイミングは、きちんと考えたうえで、使いこなす必要がある。常用には向かない技術だ。
さて、そうしてわたしは、要塞の上空を飛び越え、本格的にガルベス領内に入った。
要塞の門あたりでは、何百人という兵隊さんが列をなし、篝火をたいて待機中のようだ。そこへ、要塞内から新たな隊列がやってきて、どんどん合流していってる。
おそらくだけど、ここで夜明けまで待って、どこかにお出かけしようとしてるのかな。
兵隊さんたち、みんな鎧を着て、完全武装してる。
相手はモンスターか、それとも盗賊のたぐいか……。いずれにせよ、こっちから干渉すべき理由はない。
わたしはあえてスルーを決め込み、兵隊の列の遥か頭上をふわふわ浮遊し、通り過ぎた。
……そろそろ、いいかな。
次第に高度を落とし、要塞から二、三百メートルほど離れた街道上に、すたっ、と着地。
地面の感触に驚いた。
この道路。石を敷き詰めて、がっちり、キレイに舗装されてるよ。
これなら、サスペンションのない馬車だって、スムーズに走れるだろう。
わがアルカポーネ領の道路とは、えらい違いだ。おカネ持ってるんだなー、ガルベス子爵家って……。