夜の「おでかけ」も、もう慣れたものだ。
五歳になったわたしは、また少し身体が大きくなって、四歳のときに買ってもらったワンピースが、少々窮屈になっていた。
とくに裾が……もう太腿の付け根まで、きてしまっている。これで人前に出るのは、さすがにちょーっと恥ずかしい。
新しいお出かけ着も、父におねだりしているけど、「まだまだ着られるじゃないか」といわれてしまった。
そうだった。わが家、いま、借金返済に追われてて、めちゃくちゃ貧乏なんだった……。服って高いからね。仕方ないなあ。
仕立て直しをするにも、布地が必要だ。古いほうのワンピースをバラして利用する手もあるけど、うちに、そういう技術のある使用人っていたかな?
それに……『認識阻害』で透明人間になっている間は、どんな服装だろうと、人目を気にする必要はない。
とすれば、ワンピースの裾がちょっと短いくらいは、この際、些細なことかもね。
そんなわけで、夜更け。
わたしは、ベッドの脇で身だしなみを整えると、小さなバッグを手にさげて、『転移』の魔法を詠唱した。
瞬時に、目の前の情景が入れ替わる。
ここはアルカポーネ領の南部、街道に近い森のなか。
かつてはモンスターがうろつく危険地帯だったけど、以前、レッドデビルとかいう謎の赤い子が、この近辺で暴れ回ったおかげで、近頃、ほぼモンスターの姿は絶えて、安全に往来できるようになった、といわれている。いったいどこの誰でしょうねレッドデビルって。
しばし、とてとて木々の間を歩き、森を抜けて、街道へ出た。
初秋。まだ昼間は暑さが残るけど、夜はだいぶ涼しくなってきた。虫の声が聴こえてくる。
空はよく晴れていた。見上げれば、月は沖天に輝き、星々は視界一面、光る煙のように連なり広がっている。
そんな空の下、森と草原の間を縫って、彼方へと伸びる街道。
舗装もされてない砂利道だけど、馬車三台ぐらい並んで通れる程度の幅がある。一定距離ごとに、駅亭という簡易休憩所みたいなものも設けられているのだとか。
地図によれば、ここから、街道沿いにひたすら南下すれば、ペスカレ地方まで辿り着くことが可能。
ただし馬車移動でも早くて一ヶ月はかかるという行程。その間、三つの地方領を通過せねばならず、それぞれの領主が設けた関所が、合計十ヶ所ほど。
途中には、いくつか集落や都市もある。そのうちのひとつが、ゲーム「ロマ星」の前半、一時的に冒険の拠点となる宿場町「ルリマス」という都市。
ゲーム当初、ルナちゃんは「聖女の修行」と称し、学業の合間を縫って、たった一人で冒険者としての活動を始める。
やがてゲームの進行にともない、六人の攻略対象イケメンズから、好感度の高い順に三人まで、順次、冒険途中のルナちゃんと合流してパーティーを組むことになる。
ルリマスの街は、ルナちゃんが、その合流イケメンたちの最初の一人と「偶然」顔を合わせる強制イベントが発生する場所だ。
いうなれば……ロマ星における「聖地」のひとつというも、過言ではない。
思えば。
わたし、この世界に転生してから今日まで、まだ一度も、アルカポーネ領の外へ出たことがなかった。
アルカポーネ子爵領って、実は、ゲームでは、名称だけは出てくるものの、ルナちゃんの行動可能範囲から外れており、実際に訪れることはできない土地だった。ワールドマップにすら表示されてなかったので、おそらくデータ自体、ゲーム内には存在していなかったのだろう。
つまりわたしは今まで、ゲームには一切出てこない、お外の土地で暮らしてきたわけだ。
今日、わたしは、そのアルカポーネ領の境を越える。
生まれてはじめて、ゲームに登場するワールドマップの領域内へ踏み込むことになる。
それこそがゲーム「ロマ星」の舞台。そのすべてが、わたしにとっては聖地といってもいいぐらいだ。
そう、これは、ただペスカレ地方のダンジョンを目指すだけの旅ではない。
聖地巡礼を兼ねた、街道南下マラソン。
その第一歩が、ここから始まるんだ。
まずは、ルリマスの街を第一目標にしようと思う。
あの街には、ちょっと特殊なオブジェが設置されていて、街の名物にもなっていた。そうしたゲーム内で描写されていたオブジェや街の情景などを、この目で直接、見ることができるかもしれない。
もう想像するだけでワクワクもんじゃないですか。
すでに『身体強化』『暗視』『気配察知』『認識阻害』は掛け終えている。
わたしは、しっかと土を踏みしめ、街道を駆けはじめた。
以前、近所の森を攻略したときと同じだ。
とにかく行けるところまで行って、疲れたら『転移』でお部屋へ帰って寝る。
翌日、『転移』でその場所へ戻り、再び進めるところまで進む。
この繰り返しで、ルリマスの街を目指すつもり。
今夜は、どこまで行けるだろうか。
体力は万全。足も軽い。全力疾走で、街道をひたすら突っ走る。
時速にして、三十キロぐらい……ミニバイク並のスピードは出ていると思う。
明らかに、以前よりずっと、身体能力は向上している。
レベルが上がって強くなったのか、それとも他に何か要因があるのか。そのへんは、自分でもよくわからないけど。
この街道は、湖沼や山を避けて、うねうねと左右に曲がりくねりながら、南へと続いている。アップダウンも多く、小高い丘のような地形もある。
そうした坂をいくつか乗り越えた先に、鬱蒼とした森が見えてきた。
夜中なので、木々の連なりが、まるで真っ黒い塊のように、行手をさえぎっているようにも見える。
森の手前には、ごく簡素な木門と塀があり、その脇に小さな番小屋が建っている。
森の木々の彼方には、いかめしいデザインの、灰色の角塔がそびえていた。
地図によれば、森の手前は、わがアルカポーネ子爵領の関所。森の中にそびえている塔は、隣領の関所のはず。
つまり、あの森の手前が、わがアルカポーネ子爵領の境であり、塔の向こうは、お隣りさんの領地ということになるのだろう。
お隣りさんは、ガルベス子爵家、だったかな。領地は隣接しているけど、両家は、ほとんど交流がない。
お互い、僻地の下級貴族で、よそに構ってる余裕がなく、関心もない……ということみたいだ。
ではまず、手前の関所を越えるとしましょうか。
お隣りさんの立派な塔に比べると、明らかに貧相で、やる気が微塵も感じられない、形だけの関門って感じだけど。
貧乏貴族の悲しさ、こういうところにおカネを掛ける余裕すらないってことよね、わが家……。