わたしの弟は、マークスと名付けられた。
フレイア王国の貴族は、基本的に男子が家督を継ぐ。そういう法があるわけじゃなく、昔からの慣習として。
男子の跡継ぎがおらず、養子も取れず、やむなく長女が家を継いだ……という例が、一応過去にあるにはあるけど、きわめて稀なケースだとか。
つまりマークスこそは、わがアルカポーネ子爵家待望の跡取り息子。それだけに両親の喜びもひとしおだ。
父の『大治癒』がよほど効いたのか、マークスは、それはもう健康な赤ちゃんで。
同じく『大治癒』を浴びまくってしまった母も、マークスに負けないぐらい急回復を遂げ、もう元気に動き回っている。
父は再び育休を取って屋敷に詰めており、すっかりイクメンになっていた。わたしのときと同じだ。
もちろん、エイミを除く使用人の方々も総出で、手厚くマークスのお世話にあたっている。
で、わたしとエイミは、ちょっと蚊帳の外っぽい立ち位置。
でもいいんだ。
マークス、もう、めっちゃくちゃめっちゃくちゃ、かわいくてかわいくてかわいくて仕方ないもの。
よく泣く子だけど、わたしが、顔の前に、ぴっ、て人差し指を出すと。
ぴたっと泣き止んで、わたしの指をじーって眺めてから、小さな手で、わたしの指を、きゅって握る。そんで、にこーって笑うんだよ。
もうもう、愛おしくてね!
マークス、わが弟くん、生まれてくれてありがとうねって、心から言っちゃったよ。
あと、エイミは、弟くんが生まれた後も変わらず、わたしの身の回りのお世話を焼いてくれている。
「あたしはシャレアさまの専属ですから。おまえは自分の主から目を離すなって、お館様からも奥様からもいわれてるんです」
だそうで。
そんなエイミ、実は、家令のイケオジことルーシャンさんに、ひそかに想いを寄せていることを、わたしは知っている。
まだぴっちぴち十代後半のエイミと、初老のルーシャンさん。親子ぐらい年齢は離れてるんだけどね。エイミってそういう趣味なんだなー。
いえわかりますよ、寡黙かつ気遣い完璧なイケオジ紳士に憧れる、年若いメイドさん。
なかなか先が楽しみな状況じゃないですかこれは。ルーシャンさんって、奥さんに先立たれてて、いまは独り身だそうだし。
もちろん、わたしは一切干渉しない。ドキドキワクワクしながら、状況を見守るばかりだ。
ただ、今はマークスが生まれたばかり。ルーシャンさんも忙しくて、エイミに構ってる暇はなさそうだけどね……。
そんなわが家。マークスが産まれて、子育ては大変そうだけど、両親は、以前にもまして幸せそうだ。
わたしも、その幸せの輪のなかにいる。
夕刻。
今日のマークスは、とってもご機嫌だった。
そんなときは、わたしも、両親も、自然に笑顔になる。そんな穏やかな時を、わたしたち家族揃って過ごしている。
母の胸で、やけにお澄まし顔なマークスを眺めていて、ある光景が、脳裏に浮かんだ。
わたしの「最推し」カップル。
ルードビッヒとポーラ。
あの二人が、ゲームのような悲劇に見舞われることなく、順当に結ばれたなら。
いつか、その幸せの先で。
二人にも赤ちゃんが、生まれるかもしれない。
それはきっと、いまわたしが見ているマークスと同じくらい、かわいい赤ちゃんに違いない。間違いない。
いやそれ絶対可愛い。もうそんなの絶対めっちゃくちゃ可愛い!
見たい!
見てみたい!
ルードビッヒとポーラの幸せな結婚。まず何より、それを見てみたい。
そして、生まれてくるのは、珠のように愛らしい御子!
その御子を胸に抱くポーラっ! 寄り添い微笑むルードビッヒィィィ!
なんてなんて尊い絵面なの! 絶対見たいじゃないですかそんなの!
……などという妄想を、マークスを眺めながら、つい脳内で思い描いていた。
「ぷぇ?」
マークスが、母の腕に抱かれつつ、ちょっと不思議そうな眼差しを、わたしに向けてきた。
あー、いやいや、おねえちゃん、べつに不審者じゃないからね? ちょっと幸せな妄想に浸ってただけですからね?
などと内心で言い訳しつつ。
……そうだ。わたしは「最推し」たちに、そんな幸せな未来をもたらしたい。そのために、力を求めて、駆けずり回ってきた。
そろそろ、修行を再開すべきかもしれない。
なにせ、まだルードビッヒの死亡ルートを、たったひとつ、潰せただけ。前途はまだまだ多難だ。
喫緊の課題として、魔法運用の習熟という目標がある。『応用魔術大全』は読破したけど、まだそれらの内容を実践、検証していないので。なるべく早めに着手すべきだろう。油断してると、時間はあっという間に過ぎてゆくのだから。
具体的には……まず、王国南方、ペスカレ地方にある中級ダンジョンの攻略。
そのダンジョン内にて、各種魔法の検証実験を行いつつ、最下層を目指す、というのがよさそうだ。
ゲーム「ロマ星」では、その中級ダンジョン最下層で、とあるアイテムが入手可能だった。
金竜の卵、という。
名前そのまんまであり、ゲームではそれを入手後、ルナちゃんが愛情込めてお腹で数日温め、金竜の雛を孵す、というイベントが発生する。
この赤ちゃん金竜、プレイヤーが任意に命名することができる。デフォルトネームはソル。太陽ってことかな?
ソルは、ルナちゃんの「月の聖女」の法力で急成長を遂げ、わずか十日ほどで立派なドラゴンとなって、主であるルナちゃんを背に乗せ、自在に空を飛びまわる。以後、ルナちゃん一味の移動手段として活躍するようになる。
このソルの入手は、ラスボス「闇星の魔神」戦における勝利条件のひとつであり、トゥルーエンド到達のためには絶対に外せないイベントとなっていた。
この世界で、ゲームと同じイベントが発生するかどうかは未知数。
そもそも、わたしはルナちゃんじゃないしね。仮に金竜の卵を見つけても、あえて触れないほうが無難だろう。
ただ、他にも中級ダンジョンには入手可能アイテムがある。わたしは、そちらを目的にしたほうがよさそうだ。
よし。
そうと決めたら、さっそく今夜から、行動を始めよう。
まずはアルカポーネ領を出て、南を目指さないとね。しかも徒歩というか、走って行く以外、移動手段はない。
わがアルカポーネ領は王国中北部。ペスカレ地方は王国のほぼ南端。
これは長い旅路になりそう……。