転移の瞬間。
まぶしい虹色の輝きが視界一杯にひろがった。
これ、他の転移魔法陣とは、どうも別物っぽい。
体感的にも、いままでのは、転移終了まで一秒もかからなかったのに、これはもう三、四秒くらい、ずっと、よくわからない光の空間を漂ってる感じだった。
しゅんっ、と、視界の光が消えたとき。
わたしは未知の場所へ降り立っていた。
それまでの石造りの通路や広間じゃなく、自然岩の洞窟。
ダンジョンの出入口付近と同じような見た目だけど、漂う空気は、重く、沈殿している。
長い間、誰もここに足を踏み入れたこともないんだろう。物音ひとつ聴こえず、照明もなく、まったく光も差さない、完全な暗闇。わたしは『暗視』魔法のおかげで、問題なく見えてるけどね。
で、見ると、足元に転移魔法陣がない。なんと一方通行とは。
わたしの場合は『転移』の魔法で普通に帰れるだろうけど、そうでない人は、どうやってここを出るんだろう?
(だって、ここ、あたしを完全に閉じ込めるための場所だもん。出口なんてないんだよ)
とは声ちゃんのコメント。ダンジョンの通常階層とは根本的に別物の空間……地下の牢獄ってことか。いやダンジョンって本来そういう意味らしいけどね。
(そのまま、まっすぐだよー。はやくきてっ)
なんだか今までより一段、声ちゃんの声が、よりハッキリ聴こえるようになっている。本当にすぐ近くにいるみたい。
わたしはいよいよ足取り軽く、ごつごつと隆起する岩の上を踏み越えながら、ぴょんぴょん先へ進んだ。
やがて洞窟の行き止まりに辿りつく。
行く手を阻むのは、岩窟に忽然とそびえる、黒い壁面。
扉……じゃないな。これはどう見ても、隔離するための壁。
これは、どうすればいいのかな?
(んとねー。あなたの魔力を、その壁に流し込んでみて)
魔力を流し込む? 壁に?
(壁に、手をつけてー、……あ、そうだ、さっき、悪い子をやっつけた魔法があるでしょ? あれ、やってみて)
ふむふむ。壁に手をつけて、壁に向かって回復魔法をかけると。なるほど、それなら簡単だ。
「ほいっと」
両手をのばし、黒い壁に、ぺたーと両手をつけてみる。ヒンヤリ、つやつやの感触。金属じゃないな。黒い石壁? なんでもいいか。
『極大治癒』
魔法を発動させる。サファイアの輝きに似た蒼い魔力が、わたしの手から、黒い壁へと伝わった途端……。
壁全体が、いきなり青くまばゆく発光した! ちょっとびっくりした。
と見てると、壁のあちこちに亀裂が生じ、ほどなく。
がらがらと激しい音をたてながら、わたしの目の前で、それはもう盛大に、黒い壁が崩れ落ちた。
(やったー! これで、お外に出られるっ!)
脳内響く歓喜の声。
崩れた黒壁の先にあったのは、壁も床も天井も、灰色の鉄板のようなもので覆われた、ごく小さく狭い空間。内部はせいぜい二メートル四方というところ。
その鉄の床の上に、わたしの小指の先くらいの、ほんとに小さな金色の球……みたいなものが、ふよふよと浮かんでいた。
(やっと会えたねー! はじめましてー!)
その小さな金色の球が、わたしのもとへ、いそいそと、浮かび漂ってきた。
……えっと。これが?
(そうだよ! あたしだよー! むかしはねー、もーっと大きかったんだよー! でもね、ここに閉じ込められて、こんなになっちゃった)
そっかー。苦労したんだなー。
金の球体は、かすかに発光して、かろうじて存在を維持しているように見える。感じられる魔力は小さく、弱々しい。
(でねっ、あなたが持ってる、そのキラキラがあれば、あたし、また大きくなれるんだよ! 昔ほどじゃないけどね)
あ、そうか。そういえば、もともと、そういう目的で、ここまで来たんだった。
ワンピースのポケットに放り込んでいた召喚石を取り出す。
で、これを、どうすればいいのかな?
召喚石の制御術式を起動するには、ごく微量の「マチン粉」という薬品が必要になる。これは冒険者組合で、一種の興奮剤として売られてるそうな。ただ服用量を間違えると、ぶっ倒れて、場合によっては死に至るというから、普通に毒物だと思うんだけどね。
名前から推測するに、たぶん硝酸ストリキニーネかと……。
なんでマルボレギアが、そんな毒物を起動キーに設定したのか、いまとなっては知る由もない。冒険者なら簡単に入手できる薬品だからとか、そういう事情かもしれないけど。
で、当然ながら、わたしは、そんな危険な薬品、持ってない。
(んー? なにもしなくていいよー。そのまま、がぶっ、ていっちゃうから!)
おお。それはまた豪快な。
では、はい。
(いっただきまーす!)
わたしが、両手に召喚石を載せて、前へ差し出すと、金の光球が、うれしそうに、その表面へ、ひたと取り付いた。
パキン! と、晶石の一部が割れ砕ける。
たちまち膨大な魔力がそこから溢れ出し……。
ぎゅろろろろろー! ずずびずううぅー! ぶじゅるるじゅうううー!
と、なんとも凄まじい音を立てて、金の光球が、晶石から溢れる魔力を、猛然と吸ってゆく。
なんか、うどんでも啜ってるみたいな音だ……。
そうと見る間に、金の光球が、わたしの目の前で、急激に膨れあがりはじめた。
召喚石の魔力を取り込んでいってるんだろう。
まるであれだ、コンプレッサーでヘリウム風船を一気に膨らませるやつ。あの様子に、ちょっと似てる。
そのまま巨大な球体になるのかと思ったら、そうではなかった。
黄金の輝きはそのままに、球体から、ぐにぐにと形を変えはじめて……。
あっという間に、わたしと同じくらいの背丈の、人間の子供っぽい形になった。
といっても、目鼻も口も何もなくて、金に輝く、人型の光の塊、って感じの外見。
(ぷはー! ごちそうさまー!)
本当に、うどん一杯たいらげた、みたいな声で、すっかりご満悦なご様子。
いえいえ、お粗末さまで。
手に載せていた召喚石は、完全にカラッポの抜け殻になっていた。
これで一応、目的は果たせた……のかな?
……それで。
あらためて、あなた、いったい何者なんですか?
わたしの疑問に、目の前の光る人型は、ちょっと困ったような仕草で、首をかしげてみせた。
(んー。わかんない)
え? まだ思い出せない?