ダンジョンの入口をくぐってから、体感で一時間ほどになるだろうか。
ここまでの道中で、ゴブリン、コボルド、オークといった定番の低レベルモンスターを打ち倒すこと、数も知れず。
オーガーという、身の丈三メートル近い人型モンスターもいた。頭に二本の角が生えてて、人食い鬼とかいわれてるやつ。他に地上にもいた熊の化け物、レグザベアなんかも。
もっとも、オーガーだろうとレグザベアだろうと、わたしの攻撃魔法の敵じゃない。大群だって一撃で全滅余裕だ。
モンスターより厄介なのは、各種のトラップ類。落とし穴、壁から弓矢、床から噴き出す炎、天井から降ってくる金属タライ、など種類豊富だ。なんでタライなの。
当初は、下層へ続く階段を見つけて降りていたのだけど、地下五層あたりから、ワープゾーンというか、転移魔法陣みたいなものが床に設置されていて、それでテレポートしてさらに先へ進む、という状況になっている。
おかげで、自分の現在地、自分がいま地下のどのあたりの階層にいるのか、全然わからなくなっていた。
(心配ないって! ちゃんと、あたしがいるところに近付いてきてるよ! あっ、そこ、まっすぐね!)
例の「声」ちゃんは、いよいよノリノリでナビゲートしてくれている。わたしは、言われるまま進んでるだけ。
でも、トラップ類は自力で察知して回避しないといけないけどね。「声」ちゃん、そういう細かいとこは把握してないっぽい。
いまも、左右の壁からいきなり突き出てきた槍先を、咄嗟にかわしたところ。あっぶなー!
わたしの『認識阻害』や『気配察知』もトラップには効果がないようで、いちいち、きっちり、引っかかってしまう。
行けども行けども、目に入る光景は暗い石の通路。
幾度も転移魔法陣に乗っかり、ワープを繰り返す。
遭遇するのはトラップとモンスター。
もうぼちぼち、嫌気がさしてきたかも……。
(いま、あなたがいるところってね、むかーしから、まだ誰も、降りてきたことがないんだよ。あの悪いやつ以外はね)
え。
じゃあ、わたしの現在地って、いわゆる未踏破領域ってこと?
(たぶん、そうだよ)
声ちゃんは、あっさり応えた。
その「悪いやつ」ってのは悪魔マルボレギアのことだろう。なにせ、声ちゃんをこのダンジョンの最深部に監禁した張本人だからね。そこは例外というかノーカンってことかな。
ただ、未踏破領域といわれても、見ためは上層と何も変わらない。
せめて宝箱でも落ちてればテンション上がるんだろうけど、そういうものはないみたい。ゲームとは違う、ということなのか、それともこのダンジョンだけそういう仕様なのか、そこはわからない。
(あっ、そこの奥ね、悪い子がいるよっ! ちょっと大きい子だよ!)
声ちゃんの警告。
通路の突き当たり、また両開きの鉄扉が行く手を塞いでいる。あの奥ね。
ここのダンジョンは基本的に、ああいう大扉の向こう側が、モンスターの待機所になってるみたいで。
わたしの場合、『認識阻害』があるので、待機モンスターを無視して先に進むこともできるんだけど、いまのところ、出てくるのは弱い相手ばかりだから、面倒とばかり、魔法一発でカタをつけている。
さて、扉に両手を掛け、ぐぐっと押し開いてみると――。
篝火が煌々と輝く、広い石造りの空間。奥には、二本の石柱が門構えのように並んでいる。
その石柱の手前、篝火に照らされて、それはもう大きな人影が、堂々と佇んでいた。
それまでのモンスターたちとは、外見からして、まるで格が違う。
体高は十二、三メートルぐらいあるだろうか? あのアースジャイアントに匹敵する巨体。
どこが「ちょっと大きい子」なの、めっちゃデカイよアレ!
青黒い肌、全身ぶ厚い筋肉に覆われ、両腕も太腿も隆々と力強い。肩から上は爬虫類の頭部っぽい。両手両足の五本の指先は、それぞれ鋭い鉤爪になっている。背中には黒い鳥のような禍々しい翼を広げ、赤い両眼を爛々と光らせて……左右を、きょときょと眺めまわしていた。
あっ、これ、わたしの『認識阻害』普通に効いてる。わたしの存在は感知できてないみたい。
ご大層な外見の割に、わたしより魔力は低いようだ。
モンスター図鑑には載ってないな。よっぽどマイナーなモンスターなのか、もしくはこの世に一体しか存在しない……オリジナルモンスター、という可能性もあるかな。そういうのは図鑑にも載らないだろうしね。
(あたしも、名前とかは、しらないよ。たしかー、あの悪いやつの、子分……とか? そんな感じだったかなー?)
疑問形でいわれても困るんですけど。
あれが何者であろうと、どのみち、わたしを感知できてないのなら、素通りしても問題なさそう。
でも、マルボレギアの関係者ってことは……あれも悪魔かな? それも、けっこう大物なやつ。
だったら。
わたしは、すたすたと広間の真ん中を歩いて、無造作に、その青白い巨大悪魔の前に立った。
まだ気付いてない……。
巨大悪魔は、ひたすら、わたしが開いた扉を凝視して、警戒している様子。
わたしが、すぐそばの足元まで寄ってきてるのに、無反応だ。
では。
『極大治癒』
いきなり治癒魔法をぶん投げてみた。
十数メートルもの巨体が、たちまち蒼い癒しの輝きに包まれた。
「うぶごかおおおへおどおおべげええおおおお?」
なんとも言語化が難しい絶叫をあげ、巨大悪魔は、一瞬にして、ぐずりと、その場に溶け崩れた。
ぶしゅうううー、と、濛々たる蒸気をあげて、名も知らぬ悪魔は、液体と化し、蒸発し、消え去った。
あっけない……。マルボレギアより、溶けるのが速かった。
わたしが強くなってるのか、それともこの悪魔、見てくれだけで、全然たいしたことない奴だったのか。
……と思ったら、わたしの肌が、猛烈に発光しはじめた。途端、全身にパワーがみなぎり、魔力が溢れてくる。
また一気に大幅レベルアップしちゃってるよ、わたし。さっきマルボレギアを倒したときと同じぐらいに。
ってことは、この悪魔……実は、めちゃくちゃレベル高かったってこと?
(うっわー、すごいね、あなた! 悪い子たちって、そうやって、やっつけるものなんだー。しらなかったよ!)
なぜか声ちゃん、大興奮。
いえ、わたしも、ついさっき初めて知ったんですけどね。悪魔の弱点。
(さあさあ、もうすぐだよ! あたしのところまで、あともうちょっと!)
おお、ようやくゴールが近い?
(そこの、わーぷぞーん? から、わたしのところに着くよっ! はやくきてー!)
え、本当にもう目前に?
広間の一番奥、二本の石柱が並ぶ門構えの向こう。
床に、転移魔法陣が光っている。しかも、それまでの白い光でなく、なぜか虹色に輝いてる。なにかの演出だろうか……。
これを抜ければ、ダンジョン制覇、ということに、なるのかな?
行こう。
わたしは、意を決して、門を抜け、虹の魔法陣へと踏み込んだ。