真夜中。
月下の草原にて。
わたしは、直立歩行の巨大トカゲこと悪魔マルボレギアと、激しい戦いを繰り広げていた。
詠唱とともにマルボレギアが繰り出す、無数の炎の矢。『火箭』の魔法だ。
わたしは、それらをすべて見切り、かわしきって、お返しにと『衝雷』を放つ。
極太の雷光が、ビームのようにわたしの手からほとばしって、マルボレギアの腹を撃つ。
「ぐぅおお! ま、まだまだ!」
マルボレギアは、効かぬとばかり、右腕を振り、『氷刃』を打ち込んできた。
大剣のような氷の刃が出現し、宙を飛んで、わたしの頭上へ迫りくる。
「たぁー!」
わたしはとっさに『炎壁』を頭上に展開した。
高温の炎が、名称の通り、防壁と化して、わたしを守る。氷の刃は、瞬時に溶けて消えた。
ここだ!
と、わたしは、再び地を蹴り、マルボレギアへ肉薄した。
「その手は食わん!」
マルボレギアは、待ち受けていた。
突進するわたしへ、巨大な火の玉を投げつけてくる。『衝炎』の魔法。
わたしは慌てて『風刃』を展開し、火の玉を切り裂き、消し飛ばした。
その一瞬の隙を、マルボレギアが突いてきた。
繰り出される豪拳が、わたしの無防備なお腹に、カウンターでめり込んだ。
「ぎゃふっ!」
わたしは、カエルが潰されたような声をあげつつ、彼方へ吹っ飛ばされた。
そのまま地面へ背中から落っこち、倒れ込む。
全身バラバラになるかと思えるほど、とてつもない衝撃だった。痛い、なんてものじゃない。手足が痺れて動けない。
たぶん、アバラ骨が全部折れてる。『身体強化』が掛かってるから、この程度で済んだ。そうでなければ確実に死んでる。
この世界に転生してから、ずいぶんモンスターとも戦ってきたけど、これほどのダメージを受けたのは初めてだ。
――強い。
正直ナメていた。マルボレギアがこうも強いなんて思ってなかった。
わたしの『認識阻害』を素で突き抜けている時点で、わたしより魔力が高いことは承知していた。
それでも、心のどこかで侮っていた。それは否めない。
なにせゲームでは、ルナちゃんにあっさり浄化されて消えてしまうキャラだから……。
「……人間のわっぱにしては、強いではないか。レッドデビルとやら」
マルボレギアが、土を踏みしめ、ゆっくり歩み寄ってくる。
「その力、殺すには惜しいな。脳をいじって、わしの下僕にしてやろう。よい手駒となりそうだ」
ニイィ、と、そのトカゲ顔を醜く歪めながら、倒れたままのわたしを見下ろすマルボレギア。
……冗談じゃない。四歳児に何をする気だ、このトカゲ。手下なんて死んでもお断り。
それに。
まだまだ決着は付いていない。
わたしは、無詠唱で『治癒』の魔法を発動させた。
たちまち、わたしの全身を、癒しの蒼い輝きが覆い包む。
「ぬうっ!」
やけに慌てて、その場から、ざざっと飛び退くマルボレギア。
その様子に、わたしは、少し不審なものを感じ取った。
(……もしかして)
もう完全に負傷は癒えて、体力も回復している。
四肢にも力がみなぎっていた。
わたしは、その場から跳ね起きると、思念を集中し、マルボレギアめがけて――。
『治癒』
魔法を発動させた。
「おぐうううううううおおおおおおおおお?」
マルボレギアの全身が、涼やかな蒼い光に包まれる。
いきなり、体中を覆っていた鱗が、ぼろぼろ剥がれ落ち、火に炙られた氷のように、肌がじゅわじゅわ溶けはじめた。
ぶしゅうううっ、と周囲に蒸気がたちのぼる。
うわぁ。めちゃくちゃ効いてる。
「なななっ、こっ、こんな、ことが……?」
当のマルボレギアも驚いているようだ。
「あああっ、ありえぬっ、わしに、人間ごときの魔法など……通じるわけがっ……うごおおおお」
うわー。まだ溶けてる。
でもって、溶けながら話してるよ、このトカゲ。
背中の両翼が、原型をとどめないほどグズグズに崩れて、ぼとりと地面に落ちる。
同時に、マルボレギアは、その場に力なく膝をついた。
……いやー、まさかね。ただの思いつきで、確証はなかったんだけど。
まさか回復魔法が、悪魔に大ダメージだなんて。それもたった一発で、ほぼ死にかけとは。
魔法が通じない……といわれれば、確かにコイツには、わたしの攻撃魔法、全然通ってなかった。
最大威力の『獄炎』でさえ、ゼンギニヤの皮を引っぺがしただけで、マルボレギア自身は無傷。『衝雷』も効いてなかった。
それらが、わたしとマルボレギアの魔力の差によるものなのか、悪魔本来の性質なのか、そこまではわからないけど。
それが、思いつきで回復魔法を掛けてみたら、なぜか効果テキメンだった。弱点属性ってやつかな?
ゲームには、こんな話はなかったと思う。でも、いま実際そうなってるんだから、そうなんだろう。
だったら。
わたしは、両手を前にかざし、あらためて呪文を詠唱した。
マルボレギアは、なんとか動こうと、全身をぴくぴく痙攣させている。
でももう、身体が言うことをきかないようだ。
魔法が発動する。
『極大治癒』
治癒系統の最上位版。以前読んだ魔術書によれば、瀕死の重傷だろうと、いかなる重病だろうと、瞬時に快癒させる、という。ただし『治癒』と異なり、自分自身に掛けることはできないという制約があるんだとか。
ともあれ回復魔法でダメージを与えられるのなら、この魔法はさらに効くはず。
「ほがあおああああああ」
たちまちマルボレギアは、眩いサファイヤのような輝きに包まれ、なんともいえぬ悲鳴を残して、ばしゃっ、と、溶け落ちた。
……直立歩行のトカゲが、一瞬で全身崩壊して、赤黒いゲル状物質と化してしまった。
さらに、白い蒸気をあげながら、じわじわ小さくなってゆき……とうとう、きれいさっぱり蒸発して、消えてしまった。
うわー。効いた。むしろ効きすぎて、ちょっと引いちゃいますよ、これは。
ゲームのマルボレギアは、ルナちゃんの浄化の力で、キラキラした輝きに包まれ、実体が薄れて、消えていったけど……こちらは、なかなかグロい死に様だった。わたし聖女じゃないし、そりゃ、ルナちゃんのようにはできないよね。これは仕方ない。
最後は呆気なかったけど、マルボレギアは強敵だった。わたしを瀕死にまで追い詰めるなんて。
できればもう二度と、こんな相手と戦うのはゴメンだ。迷わず成仏していただきたい。
そして……。
これで将来のルードビッヒの死亡パターンをひとつ、事前に潰せたことになる。
そう思えば、感慨もひとしおというものだ。
まだまだ、先は長いけどね。
さて。
マルボレギアが蒸発し、回復魔法の輝きも消え去って、あとに残ったのは。
焦げた地面に転がり、ギラギラと異様な輝きを帯びる晶石。
そうか。さっき冒険者さんたちに押し付けようとしてた召喚石か。
どうしようかな、これ。
さすがに放置はできない。回収しておくべきだろうけど、こんな使い道もない欠陥品、お部屋に置いとくのもなあ。
どっかに埋めちゃおうかな?