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#025


 ぼんやり浮かぶ宵の月。

 その下で。

 わたしは、行商人ゼンギニヤと相対していた。

 うまく不意打ちで吹っ飛ばしたまではよかったのだけど、ゼンギニヤはある程度飛んだあたりで『浮遊』の魔法を使用し、姿勢を立て直して、おもむろに降下してきた。

 そこへわたしが追いつき、いまこうして、やや距離を取って向き合っている。

 ここは、ハイハットの焼け跡から数キロ離れた草原。

 周囲に遮蔽物は見えない。山の麓も遠くにかすみ、ただ生ぬるい風が草をざわめかせるばかり。

「驚いたぞ……妙なガキが居るな、とは思ったが」

 ゼンギニヤは、怪訝そうな目でわたしを観察している。

「いきなり魔法を放ってくるとはな。なんなのだ? おまえは」

 いまでも『認識阻害』は掛けたままなのに。どうもゼンギニヤは、最初から、わたしの姿が見えていたようだ。

 それは、ゼンギニヤの魔力が、わたしの現時点での魔力を上回っているということである。

 ただの行商人では絶対にありえない。

 それでも、わたしは、ゼンギニヤをまったく怖れなかった。

 むしろ、胸の中一杯、怒りの火が燃えていた。

 さっきまで、どうにか我慢していた。抑え込んでいた。この怒りを。

 こいつが。

 間接的にとはいえ、わたしの最推しを殺す。

 ルードビッヒの命を奪い、ポーラを破滅させる。

 わたしが一番好きな最推しカップルの未来を閉ざす……敵。

 もう我慢ならない。わたしから、尊い尊い尊い最推したちを奪う奴!

 絶対に許さん!

 わたしは、まったく迷うことなく、無言で右手を上げ、『獄炎』を放った。

 この世界に存在する火系攻撃魔法の最上位。ゲーム内の説明では、戦術核に匹敵する破壊力を持つというゲーム中最強の範囲攻撃魔法。ルナちゃんのレベルが100以上、かつ最高難度の「隠しダンジョン」最下層まで踏破すれば習得できるものの、消費魔力が大きすぎ、連発もできないため、まったく実用には向かないという、いわゆるロマン砲の一種である。

 先日読んだ『応用魔術大全』第七巻には、範囲魔法の運用法が記載されていた。魔法の効果範囲を広げる、もしくは逆に絞り込む。その具体的な術式についての解説。

 いま、その内容を思い出し、咄嗟に『獄炎』の効果範囲を、対象から半径三メートル圏内にまで絞り込んで、ぶっ放してみた。

 途端、地上に太陽が出現したかのような眩い閃光が一帯を覆った。

 続いて、ゼンギニヤの立っていた地面から、はるか上空へと、紅蓮の爆炎が噴き上がった。

 術者のわたし自身すら吹き飛ばされかねないほど強烈な爆風が吹き荒れる。

 ……これ、ちょっと失敗したかも?

 爆炎と高熱は指定範囲内に収められたけど、爆風のほうを考慮してなかった。わたしのばか。

 わたしは、ぐぐっと両足を踏ん張って、かろうじて猛烈な風に耐え続けた。

 立ちのぼる巨大なキノコ雲。その中から、悲鳴にも似た、異様な声が轟く。

 炎は天へと巻き上がり、やがて消え去った。なおもおびただしい高熱が、真っ黒に焼き焦げた地面からたちのぼる。

 その熱く揺らめく陽炎のなかに、さきほどまでのゼンギニヤとは異なる影が、佇んでいた。

「お、おお……なんたる魔力……」

 不気味な声が響いた。

 体高三、四メートルくらいだろうか。さながら、直立歩行の超巨大なトカゲ。そんな異形が、そこに立っていた。

 トカゲと違うのは、四肢は人間に近い形状で、背に蝙蝠のような翼を負っていること。

 これこそ、悪魔マレボレギア。ゲームとまったく同じ容姿。一応、ゲーム内では、直立歩行のドラゴン、と形容されてたけど、こんな野郎はトカゲで十分だ。

「やっと、しょーたい、あらわしたなー! マルボレギア!」

 わたしは、ビシッと指をさして、凛々しく声をあげた。

 でもあれだ、やっぱり、口調も仕草も、どうしても幼児っぽくなる。

 これはなんとも締まらない。仕方ないよね、四歳児だもの。






 マルボレギアは、わたしの声に、あからさまに動揺していた。

「こっ、これ、わっぱ、なんで、わしの真名を知ってる? アリオクでさえ知らぬというのに!」

 直立歩行の巨大トカゲは、慌てたように後ずさりしながら、甲高い声をあげた。

 アリオクって誰だっけ……。

 ああ、思い出した。マルボレギアの元の上司である、魔王アリオク。別名を「剣の王」ともいって、一応、この世界では、悪の親玉として名を知られる存在らしい。

 ゲーム「ロマ星」には魔王と呼ばれる存在が二体いて、アリオクはその片方。ゲーム中では一度だけ、ちょっと顔を見せる程度。ルナちゃんと敵対することもなく、その後はもう出てくることもないチョイ役魔王である。

 マルボレギアは本来、その魔王アリオクの部下だったけど、アリオクに反逆して北塔の魔女の下についた、という背景がある。プレイヤー側からすれば、割とどうでもいい設定かもしれない。

 で、真名……?

 そういえば。

 こいつ、ゲーム内で、俺様はマルボレギアだー! なんて名乗ってるシーンはなかった。

 ゲームだと、ルナちゃんがゼンギニヤを追い詰めたとき、いきなり今の姿に変身して、それ以降、テキスト上での表記が、「行商人ゼンギニヤ」から「悪魔マルボレギア」に自動的に変わっていた。

 そりゃマルボレギアが慌てふためくのも道理。誰に名乗ったこともないのに、初対面の幼児が、いきなり真の名を呼んでくるなんてホラーだよね。

「わが真名を知る者を、生かしておくわけにはいかぬ」

 ようやく動揺から立ち直ったらしいマルボレギアが、ざざっ、と身構えた。

 真名を知れば、その相手に魔術的な攻撃を仕掛けることができる。呪いの対象とすることも可能。そうした攻撃から身を守るために、真名は秘しておくべき――というのが、魔術師界隈の常識だとかなんとか、前世でも聞いたおぼえがある。

 この世界にも、そんな常識だか迷信だかがあるんだろうか。悪魔であるマルボレギアが、やけに真名にこだわるぐらいだから、あるんだろうな、やっぱ。

 マルボレギアの背景設定はすべて、ゲームの設定と一致するものと考えていいようだ。

 とすれば……こいつを倒すのに最も効果的なのは、聖女が持つ「浄化」の力なのだけど。

 わたしにそんな特殊能力はない。

 じゃあもう、力押しでやるしかないよね。

「死ぬがよい」

 マルボレギアが右腕を前へ差し出す。

 攻撃魔法が来る――わたしは咄嗟に、横ざまへ飛びのいていた。

 マルボレギアの指先から、雷光がほとばしる。

 わたしは間一髪、その一閃を回避し、地を蹴って、マルボレギアめがけ突進した。

 瞬時に距離を詰めて肉薄し、跳躍。

 下から、その鼻面を――。

 ぶん殴る。

「うぼぇ」

 鮮やかにジャンプアッパーが決まった。奇声をあげつつ、マルボレギアの巨体が宙に舞う。

 そのまま、どしゃっ、と、無様に、焦げた地面へ落っこちるマルボレギア。

 これにて一撃ノックアウト……。

 とはいかず。マルボレギアは、素早く起き上がった。さすがに、悪魔がこの程度で死んだりしないか。

「こここっ、このわしをっ、素手で、殴り飛ばした、だと……」

 あまりダメージはないように見えるけど、なぜか、さっきより動揺している様子。

「きさま、本当に人間か? 何者だ?」

 問われても、まともに名乗るつもりはない。どこで誰が聞いてるかわかんないし。

「わたしは、レッドデビルっ!」

 とっさに、そう答えた。

 変なあだ名だけど、なんか、他に思いつかなかったので。もうこれでいいかなって。


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