夜の大通りを、まさに大手を振って歩く。
無人というわけではなく、まばらに通行人の姿はある。大体は酔っ払ったおじさんとか、巡回中の衛兵さんとか。
それらの人たちも、わたしの存在には一切気付かず、すれ違い、通りすぎてゆく。『認識阻害』による擬似透明化は完璧にうまくいっている。
ただこの素晴らしい魔法にも、限界はある。『応用魔術大全』第一巻の記述によれば、わたし自身の魔力が切れれば、その場で効果が解除される。また、わたしより魔力が高い人には一発で見破られてしまう。
さらに、『認識阻害』を無効化する補助魔法も、複数存在する。『解析』『鑑定』といった魔法を使用されると、『認識阻害』を突き抜けて正体を見破られてしまうのだとか。これは知らなかった。気をつけよう。
便利な魔法といえど、万能でも絶対でもない。そのあたりはよくよく心得ながら、上手に使いこなさなくては。
昼間の大通りには、雑多な商店や屋台が営業していたけど、いまは酒場くらいしか開いてない。
ではその酒場はどんなものかと、手近で開きっ放しになっている扉に寄ってみた。
看板には「バッキャス食堂」とあるから、たぶん昼間は食堂、夜は酒場っていう感じのお店かな。
もう中からは賑やかな歓談の声が洩れ聞こえている。
そっと中をのぞいてみる。
木製のテーブルが三つと、カウンター。
客はひいふう……五人。店員は二人。まあ狭い。雰囲気は、前世日本で見かけた、町の個人経営の食堂に近い気がする。働くおっちゃんたちの憩いの場、という感じの。
酒とタバコの匂いが、むうっと扉のほうまで漂ってきていた。
「おまえ、飲みすぎだ。明日早いんだろ?」
「だってよ。急に三交代といわれてもな。そりゃ忙しいのはわかるよ。人手が足りてねえのもな」
「だから、領主様じきじきに出ばってこられたんだろ。あの御方さえいりゃ問題ないさ」
「俺は前々から言ってただろ? 領主さまが普段、あんま仕事しねえのは、有能すぎるからだって。他の奴らのぶんまで、全部一人でできちまうんだよ、あの御方は。で、いつもは、あえて手を抜いて、仕事を下の奴らに回してやってんだ、って」
おお?
いきなり父の話題?
「いや、普段、そんな風には見えなかったさ。ゆうべまではな」
「そうだ。みんな見たよな? われらが領主様の、本気ってやつをさ」
「ありゃ凄かった」
「そんな言葉で足りるか? 熟練冒険者が束になってもかなわねえような、デカブツのモンスターをだぜ? それをオメエ、一発で黒焦げにしちまったんだぜ? 俺ぁ震えたよ。こんな凄ぇ御方の下で、いつも俺らぁ働いてたんだなって」
皆さんよくわかってらっしゃる。そりゃ、あんなカッコイイ父を見ちゃったらねえ。わたしだって実の娘じゃなかったら惚れちゃいそう。反則ですってあれは。
カウンターに並んでいる三人組。服装は、三人微妙にデザインが違うけど、無地のシャツにベスト、トラウザーの組み合わせ。庶民男性の平服というやつ。トラウザーは、ちょっと裾が広がってるズボンのこと。
会話内容から、この人たちはたぶん衛兵さん。北門勤務の門衛と推測できる。今は勤務時間が終わって、束の間の休息中、かな。
……普段あまり仕事してないのか。父は。
じゃあ領館で、いつも何やってるんだろう。昼行灯ってやつ?
今は、間違いなく忙しいだろうけど。
わたしは、そっと店の中に入り込み、端っこに立って、会話を聞き続けた。
もちろん、領主の娘がすぐそばで、堂々と話を聞いてるなんて、誰も気付いていない。
「領主様といえば、ご令嬢を連れてきてたんだって?」
「シャレア様な。まだ四歳だとさ。可愛い盛りだなあ」
んえぇ? わたしの話題っ?
「おまえは見たのか」
「ああ、庁舎の門のところで、ちょろっとな。なんといえばいいのか……利発そうに見えるんだけど」
「だけど?」
「ちょっと様子がな。とにかく、なんにでも興味があるみたいでよ。ずっと、きょろきょろしてて、まるで落ち着きがないっていうか」
「生まれて初めての遠出だろ? そりゃあ興奮するって。うちのガキだって、そんなもんだったし」
「そりゃ、そうかもしれんがな」
「なにより驚いたのは、あのお嬢ちゃん、文字が読めるらしいんだよな」
「ええ? 四歳でか?」
「ああ。マリシアがいうには、いきなり、新聞読ませろって、領主様にせがんでたそうでな」
「おいおい、俺らだって、新聞なんか読めねえのに」
「末恐ろしいな……」
三人は、同時にうなずきあった。
んん? この三人とも、いい大人のはずなのに、新聞が読めない……。
そうか。
前世というものがあるせいで失念してた。
この世界は、前世でいえばせいぜい十八、九世紀くらいの文明レベル。識字率も、そう高くないはず。
昨日わたしが、新聞が読みたいと父にねだった時の、周囲の視線は、そういうことか。
わたしが想像していた以上に、あれは一種の奇行として、周囲の目には映っていたと。
なんだか必要以上に目立ってしまってたみたいだ。今後は気をつけよう……。
バッキャス食堂を出て、さらに大通りを北へと歩く。
また小さな灯りが外へ洩れ出ている建物があった。
看板を見ると「エンキドゥの酒場」と書いてあり、泡立つビールジョッキみたいな、やけにどこかで見たっぽいアイコンが描かれていた。ビアホールかな?
そっと中を覗いてみると、バッキャス食堂の三倍ぐらい広い。
ダンスホール風の内装にテーブルとカウンターが居並ぶ、なかなか高級そうな酒場だった。
盛況なようで、ざっと見ただけで十人以上の客がいて、賑やかに飲み食いしながら騒いでいる。
わたしのような陰キャには、ちょっと居心地悪い空間かも……とは思いながらも、出入口から酔客の姿を眺めてみると……。
奥のテーブルで向き合う二人組を発見。
かたや、大柄なスキンヘッドの男性。レザーのベストを着込み、身体にぴったりフィットしたインナースーツ、ごついレザーブーツ。腰のベルトに、短剣らしき武器をさげている。
かたや、黒い長衣をゆったりと着込む、黒髪の若い女性。傍らの壁に、大粒の宝石がついた長い杖を立てかけている。
いました、いましたよ。いわゆる、冒険者。
たぶんスキンヘッドのほうは戦士とかで、若い女性のほうは、魔法使いかな。
あれこそ、本物の冒険者。ぜひ一度、見てみたいと思っていた。
やはり、妙な迫力がある。二人ともまだ若いように見えるのに、歴戦の強者感というか、本物の凄みというか、そういうオーラが滲み出ている。
その冒険者の二人組、なんだか、ため息をつきながら、時折、ぽそりぽそりと言葉を交わしている様子。
わたしは、こそこそっと広い店内を移動し、奥のテーブルの壁際にしゃがみ込んで、聞き耳を立てた。
……あれですよ、これは情報収集。あくまで情報収集ですから。
けっして、趣味や、単なる好奇心を満たすために、盗み聞きをするわけじゃないです。本当ですってば。