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#020


 夜の大通りを、まさに大手を振って歩く。

 無人というわけではなく、まばらに通行人の姿はある。大体は酔っ払ったおじさんとか、巡回中の衛兵さんとか。

 それらの人たちも、わたしの存在には一切気付かず、すれ違い、通りすぎてゆく。『認識阻害』による擬似透明化は完璧にうまくいっている。

 ただこの素晴らしい魔法にも、限界はある。『応用魔術大全』第一巻の記述によれば、わたし自身の魔力が切れれば、その場で効果が解除される。また、わたしより魔力が高い人には一発で見破られてしまう。

 さらに、『認識阻害』を無効化する補助魔法も、複数存在する。『解析』『鑑定』といった魔法を使用されると、『認識阻害』を突き抜けて正体を見破られてしまうのだとか。これは知らなかった。気をつけよう。

 便利な魔法といえど、万能でも絶対でもない。そのあたりはよくよく心得ながら、上手に使いこなさなくては。

 昼間の大通りには、雑多な商店や屋台が営業していたけど、いまは酒場くらいしか開いてない。

 ではその酒場はどんなものかと、手近で開きっ放しになっている扉に寄ってみた。

 看板には「バッキャス食堂」とあるから、たぶん昼間は食堂、夜は酒場っていう感じのお店かな。

 もう中からは賑やかな歓談の声が洩れ聞こえている。

 そっと中をのぞいてみる。

 木製のテーブルが三つと、カウンター。

 客はひいふう……五人。店員は二人。まあ狭い。雰囲気は、前世日本で見かけた、町の個人経営の食堂に近い気がする。働くおっちゃんたちの憩いの場、という感じの。

 酒とタバコの匂いが、むうっと扉のほうまで漂ってきていた。

「おまえ、飲みすぎだ。明日早いんだろ?」

「だってよ。急に三交代といわれてもな。そりゃ忙しいのはわかるよ。人手が足りてねえのもな」

「だから、領主様じきじきに出ばってこられたんだろ。あの御方さえいりゃ問題ないさ」

「俺は前々から言ってただろ? 領主さまが普段、あんま仕事しねえのは、有能すぎるからだって。他の奴らのぶんまで、全部一人でできちまうんだよ、あの御方は。で、いつもは、あえて手を抜いて、仕事を下の奴らに回してやってんだ、って」

 おお?

 いきなり父の話題?

「いや、普段、そんな風には見えなかったさ。ゆうべまではな」

「そうだ。みんな見たよな? われらが領主様の、本気ってやつをさ」

「ありゃ凄かった」

「そんな言葉で足りるか? 熟練冒険者が束になってもかなわねえような、デカブツのモンスターをだぜ? それをオメエ、一発で黒焦げにしちまったんだぜ? 俺ぁ震えたよ。こんな凄ぇ御方の下で、いつも俺らぁ働いてたんだなって」

 皆さんよくわかってらっしゃる。そりゃ、あんなカッコイイ父を見ちゃったらねえ。わたしだって実の娘じゃなかったら惚れちゃいそう。反則ですってあれは。

 カウンターに並んでいる三人組。服装は、三人微妙にデザインが違うけど、無地のシャツにベスト、トラウザーの組み合わせ。庶民男性の平服というやつ。トラウザーは、ちょっと裾が広がってるズボンのこと。

 会話内容から、この人たちはたぶん衛兵さん。北門勤務の門衛と推測できる。今は勤務時間が終わって、束の間の休息中、かな。

 ……普段あまり仕事してないのか。父は。

 じゃあ領館で、いつも何やってるんだろう。昼行灯ってやつ?

 今は、間違いなく忙しいだろうけど。

 わたしは、そっと店の中に入り込み、端っこに立って、会話を聞き続けた。

 もちろん、領主の娘がすぐそばで、堂々と話を聞いてるなんて、誰も気付いていない。

「領主様といえば、ご令嬢を連れてきてたんだって?」

「シャレア様な。まだ四歳だとさ。可愛い盛りだなあ」

 んえぇ? わたしの話題っ?

「おまえは見たのか」

「ああ、庁舎の門のところで、ちょろっとな。なんといえばいいのか……利発そうに見えるんだけど」

「だけど?」

「ちょっと様子がな。とにかく、なんにでも興味があるみたいでよ。ずっと、きょろきょろしてて、まるで落ち着きがないっていうか」

「生まれて初めての遠出だろ? そりゃあ興奮するって。うちのガキだって、そんなもんだったし」

「そりゃ、そうかもしれんがな」

「なにより驚いたのは、あのお嬢ちゃん、文字が読めるらしいんだよな」

「ええ? 四歳でか?」

「ああ。マリシアがいうには、いきなり、新聞読ませろって、領主様にせがんでたそうでな」

「おいおい、俺らだって、新聞なんか読めねえのに」

「末恐ろしいな……」

 三人は、同時にうなずきあった。

 んん? この三人とも、いい大人のはずなのに、新聞が読めない……。

 そうか。

 前世というものがあるせいで失念してた。

 この世界は、前世でいえばせいぜい十八、九世紀くらいの文明レベル。識字率も、そう高くないはず。

 昨日わたしが、新聞が読みたいと父にねだった時の、周囲の視線は、そういうことか。

 わたしが想像していた以上に、あれは一種の奇行として、周囲の目には映っていたと。

 なんだか必要以上に目立ってしまってたみたいだ。今後は気をつけよう……。






 バッキャス食堂を出て、さらに大通りを北へと歩く。

 また小さな灯りが外へ洩れ出ている建物があった。

 看板を見ると「エンキドゥの酒場」と書いてあり、泡立つビールジョッキみたいな、やけにどこかで見たっぽいアイコンが描かれていた。ビアホールかな?

 そっと中を覗いてみると、バッキャス食堂の三倍ぐらい広い。

 ダンスホール風の内装にテーブルとカウンターが居並ぶ、なかなか高級そうな酒場だった。

 盛況なようで、ざっと見ただけで十人以上の客がいて、賑やかに飲み食いしながら騒いでいる。

 わたしのような陰キャには、ちょっと居心地悪い空間かも……とは思いながらも、出入口から酔客の姿を眺めてみると……。

 奥のテーブルで向き合う二人組を発見。

 かたや、大柄なスキンヘッドの男性。レザーのベストを着込み、身体にぴったりフィットしたインナースーツ、ごついレザーブーツ。腰のベルトに、短剣らしき武器をさげている。

 かたや、黒い長衣をゆったりと着込む、黒髪の若い女性。傍らの壁に、大粒の宝石がついた長い杖を立てかけている。

 いました、いましたよ。いわゆる、冒険者。

 たぶんスキンヘッドのほうは戦士とかで、若い女性のほうは、魔法使いかな。

 あれこそ、本物の冒険者。ぜひ一度、見てみたいと思っていた。

 やはり、妙な迫力がある。二人ともまだ若いように見えるのに、歴戦の強者感というか、本物の凄みというか、そういうオーラが滲み出ている。

 その冒険者の二人組、なんだか、ため息をつきながら、時折、ぽそりぽそりと言葉を交わしている様子。

 わたしは、こそこそっと広い店内を移動し、奥のテーブルの壁際にしゃがみ込んで、聞き耳を立てた。

 ……あれですよ、これは情報収集。あくまで情報収集ですから。

 けっして、趣味や、単なる好奇心を満たすために、盗み聞きをするわけじゃないです。本当ですってば。


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